ワイン病院で治崎が力を得てから一晩が明け、カリナはまだ昏睡している間のこと。
十一月十三日は、午前中だけでも大きな事件が二つ起こっている。
まずは朝七時頃の永田町──緊急対策会議で議員や首相が集まっている首相官邸。
その通用門に治崎が現れた。警備員たちは蜂の巣を
例外は以前から恐れられていた凶悪ヴィラン数名*で、厳重かつ荒っぽく拘束したそれらを警備員に預けていったのである。
去り際に、『無免許でのヴィジランテ活動を少しばかり大目に見て欲しい』などと言い置いて。
ヴィジランテ。治崎本人も笑いそうになるほど馬鹿馬鹿しい自称だ。彼を知るヒーローらもありえないと一蹴するだろう。しかしその認識は世間の多数派ではなかった。
ヴィランが悪という当然の前提すら揺らいでしまった今では、治崎のことを『オールマイトやエンデヴァーの欺瞞を暴いただけでなく、頼りないヒーローの代わりを務めてくれる』などと感じてしまう者も出てくるだろう。
もう一件の流血を踏まえても、なお。
首相官邸の件が報じられるや、ピリつきながらも危うく持ち堪えていた治安のバランスが大いに悪化した。『ヴィジランテ活動が公に認められた』かのような錯覚がそうさせた。
支配するのは恐怖。一部のメディアはこういった(自主的で不法な)自警団活動のことを“善意の市民による平和維持”などと肯定的に扱ったが……そうしなければ治崎らに目をつけられ殺されるとの危機感を大袈裟とは言い難い。
同じ恐怖はあらゆる場所で顔を出す──少なくとも怖気づいたものと解釈されたのが、同じ日の朝十時頃に開かれたある緊急記者会見だ。
ウォッシュとリューキュウの間、第九位にランクインしていたヨロイムシャの──瞬速の引退表明である。
惨敗の責任を取るような言い回しだが、そもそも彼はあの場にいなかった。ワイン病院の一件で緊急招集を受けながら応じなかった唯一のベストテンだ。
だからヒーローからの反応は冷淡になる。会見会場では『今やめてどうすんだ!』などの罵声も飛び交ったが、心が折れた者に無理やり続けさせても良い結果は出ないだろうと判断して。
──その判断は誤りだった。ヒーローは彼を慰留するか、そうでなくとも保護すべきだったのだ。それが可能だったかを別にすれば。
会見から小一時間ほど後、ヨロイムシャは治崎に殺害された。
「これはまた……実に困ったネ……」
公開された惨殺動画に、根津は憂いを深くする。敵ながら見事だと称えそうになるほどに、ヒーロー側がされたくないことを的確にやり続ける攻め手だ。
「ヨロイムシャも“筺”にされたと?」
「それだけじゃないのサ」
校長室には目良をはじめ公安の人間が何人か詰めて情報の整理を行っている。
首相官邸の件についてはまだ公的なコメントが出されていない。現状はヴィジランテ活動を黙認するような形になってしまっているため、雄英としても公安としても明確な指針を打ち出して欲しいところだが……国はまだ動かない。【ハイスペック】と言えど対処に困るのが本音である。
「この動画、公開してる側からのコメントのようなものは何も無いでしょう?」
「えぇ、メッセージ性という意味では弱そうな……あ、いえ。そういうことですか……」
寝不足が極まってきた目良も遅れて追いつけた。
この動画がずっと無言で、ただ無惨に殺したことだけを示す記録映像じみているのは──これが最も雄弁だからだ。あらゆる解釈が幅を利かせる。
耐えがたい不安に苛まれる無力な人は治崎の暴力に希望を見出すだろう。
一方で同じ映像をヴィランが観れば──すぐに分かるはずだ。ヨロイムシャを殊更に苦しめて死なせたことが。その悪意と暴力性。言葉など無くとも語られるヴィランとしての名乗り。つまり
ヴィランでなくとも計算高い一般人から観ればどうか。決して少なくない数が実在している『勝つ側に味方する派』は強力な誘惑を感じているだろう。
そこまで考えていない層は? これはネットで無数に確認できた。とりあえずヨロイムシャの方を叩くのだ。きっと、より叩きやすいから。
そしてまた、同じ動画をヒーローが観れば。
目良は物憂げに息を溢してしまう。
「……ヒーローも人間ですからね……」
今、総てのヒーローは瀬戸際に立っている。岐路に追い込まれ選択を迫られている。
治崎を倒す──つまりオールマイトを超えるという不可能に挑むか。
正義と誇りに唾を吐いてヴィランに堕ちるか。
さもなくば、命を捨てるか。
普通に考えるなら選択肢はもう一つある。ヨロイムシャが選んだ道、廃業だ。しかしそれが命を捨てることと同義にされてしまっては……。
「今の治崎を相手に『抗って死ね』とは……命じられません。
「同感なのサ。生徒には自身の命を優先して欲しいし、そうさせる義務が僕らにはあるんですから」
命を捨てさせたいわけではない。しかしそれを合理的かつ消去法的に考えればどうなる?
逃げれば暴徒化した市民に背中を刺されヴィランに殺される。
立ち向かうならば敵対すなわち死。
ならば──膝を屈することが最善だとでも?
ありえない。
迷わず言い切れるのは直接戦闘を担わないデスクワーカーだからだろうか。なればこそやるべきことは明確だ。
勝ち目を作る/見出す。
治崎を
せめて机上だけでも充分な可能性を組み上げるまではこちらの仕事だ。そうでなければどうして彼らの背中を押せようか。
会長が述べた通り、以前からこうだった。
これからも変わりはしない。近属の訴え通りなのは腹立たしいが必要なことだから。
今回は難易度が極まっているだけで、ヒーローを管理するとは──あるいは支えるなどと言い換えても──彼らを危地へ送り出すことそのものなのだ。
そしてこの日、思いがけないところから『勝ち目』が
──
「官邸の件も
近属の物言いは分を弁えたものだ。治崎廻という特級戦力が“我々”(近属をトップに新生した異能解放軍)に属しても
そうでなければこうして義理を果たそうとはしなかったかも知れない。
「この力を得るまでの協力には感謝しているつもりだ。俺の不利益にならない限りは力を貸す。それに“本懐”の方も忘れてはいない」
「……恐怖か」
「あぁ」
戸村家の三人は狙われていると自覚しているはず。だから大人しく雄英に匿われているのだ。
それでもこちらが示す力を鑑みれば安心などできないだろう。殺しにいけばそれは逆に『苦しみを終わらせる福音』にすらなりかねなかった。冗談ではない。
「オヤジと組の仇だ。苦しみ抜いてもらう」
「分かった。そういうことなら恐怖と混乱を広める助力を願うとしよう」
恐るべき協力体制である。個人戦力としての治崎は言うに及ばず、近属の影響力も無視できない。
小型脳無と融合したことによるワープ能力。過激派解放戦士を従えた[政治家]は数の力と呼べるだろう。またIT系企業として動画配信プラットフォームを自前で持っており、気月ほどではないが人心扇動の素養もある。
順調にいけば国の混沌を決定づけるのに一週間とかかるまい。
ただし、二人ともある点においては
実際、魔王は
知らなかったはずはないが──それはすっかり、
■十三日・午後
※カリナが目覚める少し前
その大物は全く唐突に雄英を訪れた。アポなど無い。
本人にとっては
「……目的は治崎だと思いますが、何故ここに?」
「一番ホットな情報がここにある。常識の通じない
その人物と護衛の他に、校長室には根津と目良と未歳根博士(その傍らには離れたがらない妻も居るが、マーサは呼ばれたわけではない)。
この人選の時点でそれなりの情報は得ているのだろう。それ自体は驚くに値しないが。
「お会いできて光栄に思うが、今は時間が無い。
「……喜んで、と言いたいところですが……」
流石の太郎も対応に困って根津を見やった。もちろん根津にも決定権は無い。
国外のヒーローに日本での活動を認めて良いか、なんて。もしくは機密に近い情報を漏らすか否かも。
「政治
「それは
「当たり前さ。私は私の判断で
アメリカ不動のトップ、
戦闘機とそのパイロット一団を連れて来ておいて『何処が個人の判断だ』と問い質したいが無駄である。アメリカがスターを守るし、彼女もそれを自覚して限界まで我を通す。そもそもアメリカでは──オールマイトのおかげで治安の良かった日本以外では──慣習や法の遵守といった観念がストップ
……ある意味でカリナの極まった姿である。
だから太郎にとっては順応しやすかった。
「念のため確認させてください。治崎を倒すためであっても一般市民を意図的に見殺しにはしませんね? 被害は最小限という原則は?」
「もちろん。その最小限がデカくなることは予告しておくが、例えば周辺を無差別に破壊するような攻撃は敵を洋上に連れ出してから使うと約束する」
巻き添えを出さないとは約束しない。それは一種の誠意なのだろう。
「失礼をお詫びしますスター、
「……それは?」
太郎は答える前に部屋を見回した。今から言うことに一番ショックを受けるのは……目良か、もしくは愛する妻か。
憂いはするが黙ってもいられない。時は金なりだ。
「私情と強調したからには非公式なのでしょうが……国からも指令を受けているはずですね。
「…………」
「もしくは“動作する筺の現物”ですか」
どちらにも否定は無かった。肯定したも同然だ。
知りたいという欲求は理解できなくもない。正しく使われる可能性だってある。しかし国を丸ごととなると……信じ切るのは難しい。
「であれば僕は協力しません。筺を壊さずに摘出する方法? そうですね、治崎の次に詳しいのは恐らく僕でしょう」
「太郎さん、やめな──!!」
「僕を拐うのは無理ですよ。マーサさん無しでは生きていけませんから」
「太郎さん!?」
突然の
「情報提供はしない、それで?」
「それだけです。僕に貴方がたを止める力なんてありませんから」
「
「いいえ、止められるものなら止めています。ただ──」
仮に太郎が全てを決められるなら、筺は例外なく完全に破棄するしそんなものがあったという記録も残さない。自らの研究も処分する──少なくとも部分的には闇に葬るだろう。
しかし不可能だ。情報は拡散する。
『……今後、きっと筺は普遍化していくのだろう。アメリカが現物を持ち帰ろうと持ち帰るまいと。それは止められない。
避けられない未来で、避けるべき地獄だ』
「──止められずとも後押しはしない。
そのことが貴女を危険に晒すとしても」
「貴様!」
「やめて」
太郎の言葉は明らかに敵対的なもの。護衛の軍人が掴みかかろうとしたのも無理はない。
しかしスターはそれを止めた。
易い覚悟ではないと見て取ったからでもあるが──他にも
「
──あぁ、もちろんこの場合でもチサキは倒すからそこは安心していい」
「条件? 僕に選べることとは思えませんが……」
太郎個人はスターを危険に晒したいわけではない。全ての情報を明かしたいという思いも持っている。しかしそれを択ばなかった。
スターも同様、これを言いたくはない。ろくでもないと心底から思っている。それでも選択を迫ると決めていた──祖国のために。
自身が得たものではなく、過去に非公式の経路で漏れてきただけの可能性。それは日本(の公安)だけでなく、アメリカにとっても垂涎の超常である。
「
次話もスターや治崎などの話です。
その次はカリナ達に戻ります。