■十一月十五日
悪夢の始まり──ビルボードチャートのランキング発表──から四度の夜を越えて、日本は完全に様変わりしてしまった。
これまではまだ、治安の悪化も夜陰に紛れようとしていた節がある。紛れきれてはいなかったものの昼日中から暴れる者は少なかったし、たまにいても正規のヒーローが踏ん張ってくれた。
あんなことがあってもなお、会社に通ったりパンを焼いたりインフラを直したり郵便を届けたりといった
朝のオフィス街で無差別に暴れ出したヴィラン集団。そこに乱入する治崎とスター。広がる混乱と、『アメリカのヒーローが民間人を殺した』という繰り返されたデマゴギー。
それが偽報であることを星条旗のチームは知っている。しかし既に帰還命令が出ていることもまた事実。
『自分たちはこの男を放置し日本を見殺しにしようとしている──』
そのような罪悪感がなおのこと、日本の市街にミサイルやレーザーの束を降らせることを躊躇わせる。
そもそもそれで殺しきれる確信が無い──ワープ能力の対策を確立できていないから。
一方で雄英高校は数多くの避難民を迎えている。生徒の父兄が中心だがそればかりではない。近隣住民をはじめ、自警や武装にどうしても馴染めない者は遠方からでもここを目指す。
「救けてェっ!」
一目で“異形型”と判断される大柄な女性が叫んだ。雄英の敷地までもうすぐというところで、自警団気取りのチンピラ三人に囲まれてしまったのだ。
「なんだよ俺たちがヴィランだってのかぁ?」
ヴィランかヴィジランテかなどどうでも良い。武器を見せびらかして怯える人間を囲んでいる時点でアウト。
「ザけんなよ正義のパトロ……ぁ!?」
「なぎぁっ」
「──ひぃっ!?」
囲まれている女性には
そこへメモのついた救命胴衣のようなものがふよふよと飛んでくる──いや、差し出された。黒い鞭によって。
「『落ち着いてこれを着て前をしっかり締めてください、引っ張りあげます』──ありがとうございますっ!!」
見れば雄英を囲う高く強固な塀の上に人影が並んでいる。胴衣をコミカルに揺らしてくれる青年、黒尽くめの男性、そして拳骨の落とされた頭を抱えて蹲る少年と……なにやら大きな機械(?)のようなシルエット。
正門まで迂回することなく、【黒鞭】に吊り上げられてゆっくり安全に塀を越えた女性は、まずロボットによる簡易スキャンを受けた。健康診断とボディチェックを兼ねるものだ。
護身用のブザー装置はスキャン後に返されたが、飲食物や催涙スプレー等は(体質などにより特別に必要なものでないか確認の上で)廃棄され、代わりに水などが支給される──つまり避難者が武器や毒物を持っていたら取り上げられる。
当たり前のことだ。逃げ込んだ女性にとってはむしろ安心材料である。
「受付へご案内しますね」
そう声をかけてきた人物が顔も身体も完全に隠していて少しだけ驚くも、詮索すべきではない。自身の身体*と同じく、みんな何か事情があるのだと飲み込んでおく。
流石にそれが緑谷引子──“例の暴露映像”の一人──であることなど想像もしないが、仮に知っても隠して当然と思うだろう。
「あ、はいお願いします。──あなたもありがとう!」
感謝と共に手を振ると、照れ臭そうに掌を見せてくれた。まるで学生のような初々しい反応だ。
「ベテランさん新人さんのペアで高校生の引率とか、そんな感じですかね?」
「あー、その……」
その“新人さん”は一人息子の出久だ。高校一年生には到底見えないが隣の爆豪と同い年である。引子は答えに窮した。
「あ……ごめんなさい、あんまりアレコレ訊くもんじゃないですよね……」
「いえいえいえ、いいの、いいんです」
この女性が悪いことなど何も無い。口数が多くなるのは良い兆候とも考えられる。
それに……出久は【継承】に類する力を持っていない(他者に渡すことはできない)らしいと分かった今、厳に隠す意味も無くなった。ならばここで突っぱねるよりは、散々怖い思いをしてきただろう女性に幾ばくかの安心感を与える方がずっと意義深い。
「ちょっと不思議なことだから説明に困ってしまっただけなんです。こんなのはおかしな……そう、うん。笑い話よ。
だってあの子、元気に生きてるんだもの。やりたいことやりながら」
「納得いかネェ!」
……無免許の爆豪であっても雄英の敷地内なら“個性”使用が認められている。塀の上が敷地に含まれることは校長認可済。『敷地外への攻撃』そのものは相澤が一時的に認めた。
だから相澤が叱っているのは──
「
──
「充分離れとったわ実際きょとんとしとっただろがぁ!」
「反省してねえなお前」
救助対象の女性とチンピラ達の頭は三〇センチと離れていたかどうか。それは相澤にとって危険な近さでも爆豪には安全な距離だったのだろう。『余裕のあるケースで』などと定めていた曖昧さは誤りと認める。
だからといって実戦初投入には余りにも大胆だったが。相澤は先に周りを褒めることにする。
「緑谷、お前はよくやった。捕縛布じゃ手間取る距離だ、【黒鞭】の
「は、はいっ!」
それは緑谷だけではない。女性は気付いていなかったが、『大きな機械』には裏方もいる。
「峰田、お前も爆豪を止めろと言いたいが……変なタイミングで遮ってもどうせ止まらんし、逆に要救助者が危なかったかも知れん、アレで正解だ」
「ウッス!」
LRADの難関だった『スピーカーの固定』は【もぎもぎ】がカバーしている。本人はせっかく進化した“個性”が接着剤扱いされていたく不満そうだが、【透過】中の通形だろうと
空中に設置しただけならこれまで通り弾力があり多少は動かせる。
このお陰でスピーカー用の支柱などが減らせた。全体の重量も大幅に削れている。
代わりに別のサポーターが必要にはなったが。
「芦戸はどうだ」
「ギリッッギリ! ぶっつけで三連射とかハラハラして洒落にならないよ〜〜!!」
一度固定したら峰田も解除はできないので、撃つ度に【もぎもぎ】を緩めて再照準を可能にするのが三奈の役目だ。並みの酸では溶けない髪のおかげで【酸】の成長も著しい。
「これが理由だよ爆豪。こいつはお前個人の武器じゃなく、発目がそう呼んだようにLRAD
──芦戸は謝るな、爆豪も責めるんじゃねえぞ。チームとしての自信なんてのはチームの経験でしか育たない。お前のそれは裏付けのない過剰な自負だ」
「…………チッ」
どうやら爆豪も(態度は最悪だが)納得したらしい。
そこへ丁度他のチームが交代のためにやってきた。避難民の受け入れは二四時間体制なので当然ローテーションが組まれている。
それに一年A組には、これから別の予定もあるので。
「相澤先生、例の訓練はかっちゃんも──」
「ぬぁんでウスラデクが俺の心配しとんだクソがァ!」
「罰になるようだから個人的には自粛させたいよ。だが生憎と、兵怜もコイツには参加して欲しいそうだ」
「! へっ、そーだろーよ俺がいなきゃ意味ねえよなぁ!」
なお相澤は爆豪に罰を課さないなどとは言っていない。
カリナたっての希望で行われる戦闘訓練、『雄英に来ているA組全員vs.カリナ』が終わってからにしようと判断しただけである。
カリナは部屋にこもっているとかで『来ている全員』と表現したが、十五日の朝までには全員が揃っていた。全学年、ヒーロー科は大体がそうだ。
世間の治安の悪化、また雄英高校の生徒というだけで狙われる傾向がそれだけ強いのである(特にヒーロー科は体育祭などで顔と名前が知られている)。家族にまで悪意を向けられて一家丸ごと逃げてきたケースも少なくない。
それは嘆くべきことだが……相手が多いこと自体はカリナにとって好都合と言えた。
■訓練場Ω
予定の五分前にジャージ姿でやって来ると、ぐるりと見回して状況を歓迎する。迎えた側は全員ヒーローコスチュームで臨戦態勢の二一人。
「わ、全員集合は予想外。みんなよろしくね!」
『兵怜、やつれ……いや違ぇな──?』
ずっと校内にいる轟にとっても、病院の件以降でカリナを見るのは初めてのこと。その姿はまた少し変化していた──体育祭の前後ほどではないが。
身長は変わっていないが全体に薄く細くなったような。心配したのは一瞬で、すぐに筋肉の密度が増しただけだと察する。何気なく歩く様子は軽やかなようで、重心とその移動は大樹のごとき安定感だ。
より大きなもう一つの変化は、髪。
非常に目立っていた三色の髪は……どう表現したものか、轟には上手い言葉が見つからないが。正面からの第一印象では『
『金と黒と茶……それに青紫? 前みてーな明るい緑もあるな、色増えてんじゃねーか』
それが何を意味するやら、見た目からの判断は不可能。
カリナから距離を取って円陣を組みミーティングを始める──と、そのつもりで集まっているのに一向に始まらない。
中心の百が何も言わないから。
「百ちゃん百ちゃん、みんな待ってます」
「え。あ、そう……ですわね。失礼をいたしました」
轟ですら一目で気付いた。百は勝ち筋を見出だせていない。それで言葉に詰まっていた。すでに勝負を諦めつつある。
「やる気ねえなら帰れやカス」
「帰りません。まずは情報共有と参りましょう──と言っても、カリナさんの手札は皆さんもご存知の通りですが」
「あん? そりゃおかしくねえか」
切島の言葉に周囲も頷く。集められた理由は『カリナの新技の慣らし』だと聞いているからだ。これについては百が慌てて訂正する。
「申し訳ございません! わたくしの誤解というか伝達ミスというか、ともかく新技という言葉は不適当でした。
正しくは……『全性能が大幅にレベルアップした』とお考え下さい」
「ケロ、それって例えば爪の速さや硬さも?」
「はい、もちろん」
「あの目覚ましい格闘技術もか」
「あ、技術面では大きく変わって……いない、はずです。筋力体力が別次元すぎてはっきり分からないのですが」
「分からない? 渡我さんとも模擬戦などはしていないのかい?」
飯田と同じ疑問を共有したのは十七人。例外が四人いる。いつもの四人──いつもは誰よりカリナを理解しているはずの。
「私たち四人が同時に本気でかかっても、今のリナちゃんとは
「「「ぇ…………」」」
嘘だろ、と言葉にならぬ呻きを漏らしたのは誰だったか。轟自身か、あるいはクラスの大半かも知れない。
あの被身子が、それも息の合うだろうこの三人と組んで、手も足も出ない?
沈黙の間に気持ちを入れ替えた百が、極めて分かりやすくまとめる。
「一言で表すならオールマイト先生です。カリナさんご自身は“たぶん全盛期の七割ぐらいには迫れてるんじゃないかな”と」
「「
今度ははっきりと。途中で被身子に睨まれても峰田・上鳴の口は止まれなかった。
疑ってしまいたい思いはなおも高まり続ける。『
「腕全体と共に爪を伸ばされると先端の速度はライフル弾に迫ります。避けるにせよ受けるにせよ先読みは必須でしょう。
爪ほど多用していなかった〔ベクトル透過〕も大きな脅威になりました。青山さん、それに爆豪さん上鳴さんも。不用意な遠隔・範囲攻撃は味方を傷付けるばかりとご承知おきください。
轟さんは先日の怪我をご存知なのでご心配かも知れませんが、今やどんな怪我も瞬時に完治します。遠慮や気遣いは一切不要です」
信じ難さの反面、全て本当だとすれば納得できる面もあった。
百が何の策もひねり出せないこと。
被身子がこんな訓練に文句を言わないこと。それどころか──
「殺す気でやったってどうせ当たりませんしね」
──“殺す気でやって構わない”と容認すること。
普段は賑やかな透とお茶子が一言もなく静かな闘気を研ぎ続けていること。
また、離れた場所のカリナが手脚に嵌めている
期末試験時に教師陣が着けていた
もちろん、諸々を分かった上で“到底受け入れられない”のが爆豪勝己という男だが。
「上ッ等じゃねえか舐め腐りやがってェ……!!」
「バクゴーのことは買ってる方ですよ、ご指名ですし。ただリナちゃんは自分を正しく評価してるだけです」
「てめーら勝つつもりあんのか? ぁ?」
相手を褒めるばかりで対策の一つも出さないのは、爆豪に言わせれば客観的評価ではなく負け犬根性だ。
その発破は被身子や百にも正しく伝わっている。伝わった上で、やはり対策など出てこないのだが。
だから百は別の形で『勝つつもり』を示した。
深く腰を折って──いつも通り、真摯な言葉によって。
「不甲斐なさをお詫びした上で……どうか、どうかご助力をお願い致します。皆さん、わたくしはどうにかしてカリナさんを負かして差し上げたい。
この模擬戦は──あぁ、来ましたわね」
意外な言葉の真意を問い返そうとしたところに、多数のロボットが訓練場に入ってきた。その全てが大きなカメラを構えている。
そして百は訊かれる前に明かした。
これから始まる戦いが
「多くの先生方やトップヒーローがご覧になっています。
これは、カリナさんに治崎との正面戦闘を任せるか否かの試金石なのです」
──カリナに勝たせたくないと願う動機でもある。
『対治崎の最前線を任せたくないので』→『この場で負かしたい』。
これは百個人の情と判断であって、恋人たちの総意ではありません。