現代に新たな肉体を得た与一は、かなりの時間を出久か引子の近くで過ごしている。ずっと他人の中にいたせいか自身のプライベートには無頓着だ。
とはいえ例外はある。今の彼には食事も睡眠も必要だし(食事については毎回新鮮な感動に震えている)、排泄や入浴まで他人と共にする趣味は無い。
そして偶々独りの時、廊下で初対面を果たした相手は──
「は?」
「あ゛?……ンだてめぇ、ウスラデクが連れてきた奴だな」
──爆豪勝己。
与一は非常に驚いた。思わず大きな声を出し、慌てて自らに落ち着けと言い聞かせるほどに。
「ええ、と。ごめんごめん、爆豪くんで間違いないかな」
「だったらなんだ」
驚いた理由は二つある。
一つは
黎明期の感覚を脱しきれない与一から見て、目の前の爆豪は立派な若武者だ。時代の違いとはいえ
(圧倒的な恐怖が敷かれていたあの時代において、戦士の資質とは戦力よりもまず抗う心だった)
「なんか……ごめんね……」
「ハァ?」
居た堪れずに謝ってしまった。
『彼が苛立つのは実に自然だ』と思ってしまったから。
九月以前にも与一は外界を認識できていたが、それは全て九代目のフィルターを通してのものだったらしい。それによる齟齬を感じることはほとんど無かったが、爆豪勝己は明らかな例外。
緑谷出久の中で、彼は遥かに幼い子供として認識されていたのだ。彼を思う時には緑谷自身も幼児化して『かっちゃんはすごい』と憧れ続けていた。
……余りにも酷いギャップだ。ナメられていると感じるのも当たり前である。爆豪は幼少期から幾多の壁を越えて今の彼になったのだから。
『これは流石にお説教かな……いや、こんな風に認識を歪めないと本気で自殺していた可能性も無くはないのか……?』
とにかく出久とは話をする必要があるようだ。
そんなことを決める与一を前に、爆豪はとっくに苛立っていた。年上であり
「用が無ぇなら行くぞ」
「あぁ、呼び止めてごめ──いやちょっと待って! 一つだけ」
「ンだよ」
与一が驚いた理由は二つ。
「君の、遠い親戚の──いや、君の“個性”の話だ」
■十五日
カリナとの訓練が始まる直前、被身子は爆豪に訊ねた。
「バクゴーってその手の隠し玉あります?」
前振りもなく一言目からコレなのは、良く言えば親しみでもある。爆豪は不快そうにしつつ的確に応じた。
「その手のって……スピード系ってことかよ」
「ですです。百ちゃんの言ったオールマイト級ってアレ、大袈裟なんかじゃないですからね」
「……
「めんどくさっ」
「アァ!?」
言ってはみたもののそれほど疑ってはいなかった。『
そして速さとはある意味で最も重要な能力だ。多少劣っている位ならどうにかできても、格差があると勝負にさえならないおそれがある。
「無いなら勝てませんよ」
「……分かってる」
「あや?」
意外な反応に被身子は首を傾げた。勝てないと受け入れ──いやありえない。となると。
「取っ掛かりはあるってことです?」
「まだ試してもいねぇが、あるにはある。
そっちこそどうなんだ」
「あ〜……へへ。バクゴーに先を行かれちゃいました、これについてはノープランです。ミルコに【変身】しても追っ付かなかったので」
「……そうかよ」
ミルコの機動を完全に再現できるかという疑問も無くはないが、被身子の戦闘能力は──中でも特に反射速度と俊敏性は──爆豪も認めざるを得ない。その彼女がこうまで言うのだ。
現時点までの自分では、勝てない。腹立たしい限りだが。
「だからこの模擬戦で壁を越えなきゃなーって感じです」
「…………珍しくぺらぺら喋ったかと思えば」
改めて見れば──黒装束に狐面姿なので表情も何も見えはしないが──被身子は緊張しているようだ。珍しいというより記憶に無い。
だからほんの気紛れに、爆豪は気遣いのようなものを覗かせた。
「ぐだぐだ言わんでも、“プルスウルトラ”つっときゃ通じンだよそういうのは」
……もちろん、被身子が素直に受け取るとは限らないが。
「ソレ嫌いです」
「校訓だかんな!?」
お茶子と透が因子切れで降参し、残るは三人。
「手ぇ貸せデク。俺が使ってやらぁ」
「…………何をしたらいい?」
与一から聞かされたことを試す。つまり“
加速だけならできそうな気はした。問題は変化……つまり減速の方。誰かのように一々手脚を痛めてはいられない。跳ねの良いリングロープが要る。
「そのクソ紐で兵怜を囲え。切り返しに使う」
「ならそれなりに弾力があった方が良いのかな」
「その都度俺が跳ねやすい
「わかっ──ん!? 聞き間違いだよね!?」
「うるせぇやれ。形も四角にこだわんなよ」
それが出来るはず、なんて信頼は無い。何度かカリナのターゲットにはされつつしっかり生き残っているのだから最低限の力はあると評価するが、以前からのマイナスをひっくり返すには足りない──というより採点ジャンルが異なる。
力の有無よりは勝ち気の問題であり、その点ここ数日の緑谷にはハングリー精神が欠片も見当たらなかった。だから信じきることは不可能だ。
だがもし【黒鞭】がこの期待に応えられなければ。例えば固いだけで弾力の変わらない、ただのロープのような役立たずなら。
カリナ相手には何もできず敗れる。間違いなく。
だからこれしかない。
「待……つワケないか。それに、やるしかない」
──そう、気に食わないが“やるしかない”。
「かっちゃん。そっちの狙いは出来る限り支える。でも読み間違いだって起きるから、こっちの意図も出すよ。良さそうなら乗って欲しい。
でなきゃ、その……」
分からないでもなかった。カリナには数え切れないほど襲いかかり往なされている。『爆豪ならこう来ると思った』なんてメタ読みを食らう下地は充分。
個人のクセやパターンを誤魔化す発想も一人ではバリエーションに限界があり、シンプルにして効果的な対策は頭脳を増やすことだろう。
「……デク」
言うまでもなく、一ヶ月ほど休学していた幼馴染の雰囲気は一変している。
鬱陶しくて堪らない前のめりな姿勢は無くなった。分かりやすい熱も消えた。ブレず揺るがず、大人のように静かで──静かに、何をしたいのか分からなかったが。その点が気に食わなかったが。
「俺ぁ兵怜に勝つ。その為に
「……僕も勝ちたい。
「分かってやがんならいい」
この状況で『かっちゃんに』などと言うよりはマシになった。
ならば良し。
使い勝手の悪さは叩き直してやる。その程度には使ってやる。勝つために必要だから。
「……いい感じだね、二人とも。
緑谷くん【黒鞭】どうぞ──わぉ」
言い終わる前にカリナは囲まれていた。ひとまず六角形。三角形にも四角形にも変化しやすい自由な幾何。更に爆豪が何か言うより先に高さを増し天蓋を覆う──【黒鞭】の結界。
閉じ込めることを目的としたものではないので、爆豪がするように隙間に身体をねじ込めば出入りは容易だが。
「入って来んなよレズ女。もうてめぇの出番は無え」
「何言ってるか分かんないです。
緑谷くん、足下近くにカメラの覗き穴作りませんか」
「あっそうか。今やります!」
緑谷が自分の目の前に用意したような覗き穴を幾つか増やさせ、中を観察するカメラロボットを囲むように配置してやると、被身子も【黒鞭】の外側に腰を下ろした。とりあえず手は出さないつもりらしい。
「……で、爆豪。なんか手立てがありそうなこと言ってましたけどどーするんです?」
「もう待たせやしねえ。こうするだけだ」
「え──」
「汗舐めるだけで速くはなんないでしょ!?」
「なっとるだろがぁ!」
「そうだね!?」
ワケが分からない。ぱっと見で三割増しくらいは速くなった? なんでどうして不っ思議ー! ねじれ先輩みたいなこと言いかけるぐらい本気で混乱してる。
最初はさほど脅威じゃないと思った。爆豪は速度を扱いかねてるし緑谷くんとの連携も全然ダメ。
だけど、あぁもう! どんどん良くなっていくなぁ!
「真上!」
「
跳ね上がった爆豪を受け止める【黒鞭】。たった今新しく張られたものだ──瞬時に、そして恐ろしく正確に。その張力で上向きの力を殺し反動で落ちてくる。多少のタイムロスはあるけど【爆破】よりも身体の負担は遥かに軽い。
「
「上げるけど一割ずつだ!」
ヤバいヤバいヤバい。避けるのも往なすのもまだまだできるけど、この展開は
そりゃ『予想を超えたプルスウルトラ見せてみろやー』って圧かけたのは私だけど、みんなあっさり壁越えすぎじゃない?
──いや、違うな。
私が期待してた成長っていうのは、例えば上鳴くんみたいな感じ。内容じゃなくて目覚めるきっかけがね、ほら
青山くんとかは今日この場で目覚めたわけじゃなく、練習してたものを実践に移した形。もちろん何も悪くないけど、そういう成長なら私より先生方の方が上手く導けるわけで。せめて遠慮の無いぶっぱが招く結果はできるだけ見せたつもり──少しでもプラスに働くことを祈ってる。
そんな中でとびきり異質なのが……緑谷くん。
“繭”の中でのこと、与一さんからふわっとは聞いたけどさ。
「緑谷くんどんだけ無理させられてたわけ!?」
「え!? いやアレは与一さんがやらせてたわけじゃ──」
「集中しろクソデクァ!!」
待って待って、この【黒鞭】の練度は本当におかしい。位置だけじゃなく張力まで調節した縄を張ることにほとんど思考や意識を
それはまるで、今の私が〔身体変造〕や〔ベクトル透過〕を使う時のような馴染み方。五年とか十年とか、そういう単位の鍛錬なくしてありえないような。
……緑谷くんが引き篭もってたのはたった一ヶ月。
でもこの矛盾はある継承者の力で無理なく説明できる。
「そっか、【変速】──!!」
九月までとは別人じみた彼の体格。それが肉体改造みたいな“超常”ではなくただ(その身体が経験した)時間経過の結果なら……え? 私には
“
慄きながらの呟きに、更に驚きが重なる。
なぜか爆豪が、知るはずもない【変速】の名に反応したのだ。
「てめぇも聞いたんか。あのヒョロモヤシとなんかコソコソしてやがったもんなぁ」
「かっちゃん、与一さんにそんな呼び方は許さないし君も後悔すると──ん?」
“てめぇ
それはアレですか、爆豪に高速機動のヒントを与えたのは与一さんてことで……?
「え゛、まさか二代目の“マイヒーローときどき鬼スパルタコーチ”ってかっちゃんのご
「余計なこと言わない!!」
「ハイッ!!」「ァ?」
迂闊にご先祖様とか言っちゃダメでしょ九代目ェ!
以前ほど神経質に隠す必要は無くなったとはいえ──いや振り返ると前々からうっかりポロリが多過ぎるぞ! ……オールマイトも大概か。深く考えないでおこう。
頭を切り替える。
「っあー、でもそっか、うん。繋がった」
「一人で納得してんじゃねーよ」
「爆豪の
いつも“ニトロみてーな汗”と言っていた。それは爆発性の液体って意味なんだろうけど……医者にとってのニトログリセリンはお薬だ。
もちろんニトロを舐めたって人間は加速なんかしません。してたまるか。
するとしたら、それを可能にする発動器官は──普通に考えれば心臓だろう。
今の爆豪が『【爆破】のためのニトロを【変速】に流用してる』みたいな理解は、きっと因果が逆なんだ。
まず特別な心臓があった。拍動の速さと全身の速さが連動するような。
その機能が世代を重ねて高まっていった時、真っ先に破綻するのは血管だ──ん? もしかして爆豪がすぐにぶっちんぶっちんキレ散らかすのって心臓が強過ぎるせい? 思わぬ伏線回収。
でも血管が切れちゃうと血流が(量も速度も)下がってしまう。それが【変速】に差し支えるのだとしたら……破れないようにする、よね。
心臓がつつがなく“個性”を発揮するために生み出した、薬剤のような生成物。それは血管を柔軟かつ強靭にさせて──。
つまりむしろ『本来は【変速】のためのニトロを【爆破】に流用してた』みたいな?
まぁ爆豪の世代では着火能力まで身についてる以上【爆破】を流用とは言わないか。でも【変速】の方も……天哉くんがやろうとしたニトロターボみたいな無茶な流用ではない、と思われる。
現に今、爆豪の心臓は凄い速さで脈打ちながらとっても安定してるから。不整脈みたいな揺らぎは全く無い。テンポに反して落ち着きすら感じさせる、単調とも言えるリズムだ。
「心臓や頭に痛みはありませんね?──ごめん、無くても訓練なんだから短めに済ませましょう。拍動が乱れない範囲でギア上げてみますか」
「上等」
爆豪は最初と同じくちょっと嫌そうな顔で(気持ちは分かる)自分の掌をべろりと舐めた。割と大量にいったな。
──ドコン、と。
立ち止まった状態でそれはかなり嫌な心音だ。
BPM四〇〇超*にしてはありえないほど安定してるけど。
「ちょい上げ過ぎ。下げられます?」
「こんくれぇ平気だ」
「なら訓練に付き合わずに意識奪いますよ」
「……チッ」
多分しんどかったんだと思う。文句を言わずに下げたから。
ていうか身体から絞り出すみたいにしたら勝手に爆発してるし。やっぱり【爆破】が支流で【変速】が源流っぽいな。
──下がらないようなら不整脈を理由に
「約三五〇……不整脈の兆候なし。良いですよ、短時間なら揉んであげます」
「……デク、遅れんじゃねえぞ」
「力を尽くすよ」
洒落にならないスピードだ。汗を舐める前の彼じゃどう頑張っても今の爆豪に勝てない。速さに慣れるためなのか無理なのか【爆破】を使わないけど、それでもなお。
速度は……三倍弱くらい? 今の私でも完全には置き去りにできない。『訓練で使うと決めた範囲の力だと』と注釈はつくけどね。
こっちが視えてる、動きを追えてる、そればかりか──ついて来る。
これでもなお彼を補助できる緑谷くんがホント謎。
「おらおらおらおらおらァ!!」
「【爆破】抜きでも殺意の
とても不味い。
いや爆豪の成長はすごいことだし喜ばしいよ。緑谷くんも安定感は抜群で、“救助”でもそれ以外でも大きな戦力になると思う。
その上で、私から見ても実はまだ余裕がある。
爆豪は確かに私やオールマイトや治崎がぶつかりあう超高速機動の世界に片足を踏み入れた。けどそれだけだ。まだまだひよっ子。そして更に速度を高めようにも……あんまり適性無さそう。
「ちィ、そういうことかよ……!!」
「私も根拠なくデカい面してないってことです」
この速度域になると最大の壁は空気だ。超パワーで強引にねじ伏せるか〔ベクトル透過〕みたいな小細工でスルーしないと……速度を上げるだけじゃそうやって限界にぶち当たる。たとえ汗の量を増やしても。
──だから、不味いのは私でもなくて。
愛しい被身子。
私と別の場所で戦うことは──隣で
彼女は震えている。
取り残され・ついて行けなくなる恐怖に。
よりにもよって私との距離感において、他の恋人たちならまだしも爆豪の後塵を拝した憤激に。
あぁ、もう【黒鞭】の外で泣きそうな顔じゃないか──ハイおしまい! 訓練ここまで!
「えいっ!」
「「雑ゥ!!」」
良いんだよ、最初に宣言した“しごきタイム”の三分間なんてとっくに過ぎてるんだから。みんな頑張ったからね。
だから手加減ゼロで訓練を終わらせたことに問題は無い。あったとしても今の被身子を放置なんかしないけど。
「お疲れ被身子。色々試してたけど結果は残念だったね。一旦休憩にしよう?」
「リナちゃん…………」
「覚醒なんて狙って起こせるもんじゃなーいの。
仮について来られなくても今さら逃がしやしないし、ていうか被身子ならなんとかすると思ってるよ私」
「リナちゃぁん……」
嘘泣きとかそういうのは有り得ない。今この時は本気で苦しんでる。でも何日かしたらあっさり乗り越えてケロッとしてる可能性もそれなりに高い。
だから悪いけど、心が痛むと同時にレアな魅力を見られて嬉しくもなってしまう。
今の被身子はまるで出逢ったばかりの頃。もっと幼いかな? そして当時よりちょっとは大人な私に、身を投げ出すように甘えてくる。
!!
これは──身長逆転おねロリ……!?*
周りのロボットが備えたスピーカーから、そりゃあもう数え切れない咳払いその他が聴こえたけれど、気にしないことにした。被身子がそれどころじゃないし、そもそもハグとキスまでしかしてないもーん。
その内に
次話からは(最後の)間章です。
新技能のこと、火伊那さんのこと、被身子のこと、大人側のこと、諸々を整理したら最終章ということで。