カリナが実力を示した十五日の夜。
「む?」
「お、なんか大事なメールかも。全員のケータイが一斉に鳴ってる」
被身子とカリナが微かな音を聴きつけた。
盗聴を避けるため隣室に仕舞ってある携帯電話の振動音だ。いそいそと取り出してくると、届いていたメールは全員同じもの。
ただそこには『内容そのもの』が書かれていない。『内容を読むための手順』だけだ。
「げ、雄英ネットってなんだっけ?」
「機密情報のやりとりに使う校内専用システムですわね。パスワードは覚えておられますか?」
「春に設定したっきり使うの初めてだし、忘れててもしょうがないって」
「……カリナさんまでお忘れで?」
「んーん、多分覚えてるけどみんな百の画面覗いてるから」
「全くもう……」
苦笑いしつつも押しくら饅頭が嬉しそうな百。淀みなくパスワードを入力して専用サイトにログインする。
表示されたのはある事前告知だった。雄英高校が
……ちなみに、クラスの仲間などがログインできずにいるようなら(セキュリティに充分配慮しつつ)教えておくようにとも指示があった。パスワード忘れは想定内らしい。
肝心の内容はというと……学生の視点だといまいちピンと来づらいものだった。
〈臨時独立特区・雄士英傑〉なんて看板こそ仰々しいが、内容的には『当たり前では?』な部分が目につくからだ。
「冒頭、“この臨時特区は国家の非常事態に鑑み──”辺りは嫌味と予防線だね。『国が何にも言わないから仕方なく勝手に独立特区とか言い出したけど、はっきりした指針が示されたらちゃんと従いますよー、クーデターとかじゃないですよー』的な」
「“本来あるべき法に基づく秩序──”は当然のことですわ。ランキング発表イベントの日以前はどなたにとっても当たり前だった『“個性”使用と武装の制限』ですわね」
つまり外の常識がどんなに変化していようと、雄英(と士傑)の敷地内は以前のルールを貫くぞという宣言。
さすがにそれだけならばわざわざ言うまでもないが。
「そのためとはいえ、“本来あるべきではない臨時体制”のとこがネックかねぇ、根津先生も思い切ったことするもんだ」
「ごめんリナリナ、そこピンと来ないや」
「書き方がめんどくさいだけで内容は簡単。避難民に対する警察権の行使だよ。はっきり書いてないけど司法権もかな」
「「「……あー……」」」
透たちが揃って納得の声を漏らす。思い当たるようないざこざはこの数日で幾度も見聞きした。
避難してきた者達が敷地内で違法行為を──“個性”を使うなど──しても、現在それを裁くことはできない。もちろん制止はするし厳重注意もするがそこまで。教職員はヒーローであっても警察や裁判官ではないからだ。
このせいで無数のトラブルが生じてもいたが、それでも軽々には無視できないのが国の法秩序である。
しかし既に待ちに待った。幾度も問い合わせや申し入れをした。もう待てない。
故に敷地内に限りその秩序からはみ出すことで、結果的に限定範囲内の治安を維持する。それが独立特区の意図するところだ。
──表面的には。
ソファでダウンしていなければ火伊那は違和感を指摘しただろう。この内容を普通に読めば大きな疑問を抱く。
『警察権だの司法権だの、そんなもん治崎が来たら全部終わるんじゃないか?』
カリナの存在を知らない者からすれば当然の反応である。ワイン病院での一件も治崎とスターとの戦いも──彼女がアメリカの第一位であることも含めて──世間に暴露されているのだから。治崎はなおのことそう理解する。
彼にそう思わせる(ことで襲撃を遅らせる)という根津の思惑までは、学生からは察しようが無いが……別に察する必要もないのだ。
当人も自身の扱いに納得している。
「校長は色々考えてるだろうけど、私の存在を罠みたいにしたいんじゃない? 最後の情報封鎖の件は多分そういうことでしょ」
情報封鎖という言葉は使われていないが、ニュアンスとしてはそういうことだ。
今後の臨時特区ではヒーローが臨時に警察権を行使するけれども、それはそれとして避難民の人権は最大限尊重する──するしかない。
具体的には通信機器を取り上げたりしないし、外部との通信を勝手に盗聴したりもしない──したくても許されない。
つまり避難民の中にスパイが紛れ込んでいてもその仕事を妨げることが難しい。
だから全ての学生は、全ての避難民をそのように警戒すべし、と。
学内であっても機密情報は口にしないこと。不便であっても雄英ネットの暗号メッセージ機能を使って伝達すること。必要な時を除きお互いの本名を口にしないこと……などなど。
「疑いたくはありませんが、間諜が居ない保証などございませんものね……」
「あれだけ居たら一人や二人はもう居そうなのです」
「ちっちっち、二人とも分かってないね。スパイも怖いけどこういうのは本当に悪意ない人が悪意なく漏らすんだよ、SNSとかで」
「えぇ? 漏らしたらその人自身が危なくなってまうのに?」
「う〜ん透に一票かな。そういう自由な発信を許すことで迷ってる人も避難してくるかも知れないから、悪いことばっかりじゃないけど」
ともかく学校からの連絡は以上のような内容だった。
──短くまとめると、明日から学内は少々『お綺麗で窮屈』になる。
とすると……。
迷いを振り切り、カリナはきっぱりと告げる。
「…………被身子、ちょっと真面目な話しようか」
「……リナ、ちゃん……」
恐れと不安を露わにしつつ、被身子は断らない。それが必要なことは彼女も痛感しているのだ。
「え、っと…………あは、何言おうとしてたんだっけ。そう、そうだとにかく被身子、連絡はつくようにしといてね」
「ほえ???」
「ごめん待って今のナシで」
──私も、あれだ、怖い。
今は被身子と二人きり。落ち着け、落ち着け。
A組全員との模擬戦を始める前の時点で、私と治崎のマッチアップに一番分かりやすく慌てたのが百であり、分かりにくく慌てたのが被身子だった。『再適合』を済ませたことで、はっきり言えば明確な差が開きすぎてしまったのだ。
“置いていかれてしまう”──いや実際にはそんな心配は全っ然要らないんだけどさ。私の戦闘力に何としても追いつかなきゃって強迫が被身子を襲った。
で、我武者羅ながらにやれるだけのことはやってたんだよ。上鳴くんや爆豪みたいな目覚ましいものこそ無かったけれど、昨日までは出来なかったはずのことを幾つか成功させてもいた。
──もちろんそれは、戦闘力だけから評価するなら、焼け石に水ってことになっちゃうんだけど。
「模擬戦の前にも話したけどもう一回、私のためにも整理させてね。
まず被身子は、別に私に並び立つ必要は無い。気持ちは本当に嬉しいけど、その気持ちが戦力として結実するかどうかは愛情と関係ない」
「……はい。大丈夫です」
「ありがと。で、被身子がそうなりたいなら私はそれを応援する。最善手を考えるし……あんまりにも無理っぽい方法で行き詰まってたら他を勧めもする」
「……はい」
被身子はまっすぐこっちを見てくれている。俯いたり泣いたりはしていない。
会話のテンポが普段よりずっと遅いのは一言一言を噛み締めてくれているから──別に普段が流し聞きしてるわけじゃないけど。私も被身子にかける言葉を絞り出すのに普段よりずーっと時間がかかっちゃってるし。
これはそういう話題なのだ。
「“今の私になる”っていう方針は、やっぱり難しいと思うんだ。だって元の私に八人分の力が乗っかってるんだもん。初めて【不透明】を使った時みたいな覚醒が少なくともあと七回くらい必要っぽいじゃん」
「……無理、ですよね……」
「被身子なら無理とは言わないけど──」
あ、しまったぬか喜びさせた。
「──時間はね、かかると思うよ。治崎との戦いには間に合わないんじゃないかなって」
「あ、そう……でした。言ってましたっけね」
「うん……だからその、“私になる
「…………」
あぁ、とうとう相槌もなくなってしまった。被身子は苦しんでいる。私も辛い。
模擬戦前に話したのはここまでだ。“私になる以外”ってのがどういうことなのか、もっと分かりやすい言い換えはしていない。被身子も……きっと分かってはいるんだろうけど。
「私……私は。ずっとリナちゃんと同じがよくて、リナちゃんになりたくて」
「……うーん?」
「分かってます。そうですよね、ちうちうはさせてもらってもリナちゃんに【変身】しっぱなしだったわけじゃない。……それでも私には“私”がありません」
「……うん」
「“リナちゃんになる以外”って“
「…………」
胸が痛い。被身子からの痛みだけじゃなく。
私自身が痛みを感じるほど、それは身近な悩みだった。
「どう、したらいいんだか……」
「……うん、それなんだけどね」
「え、何かあるんです?」
「あるにはあるよ。だから話そうって言ったの」
「さっすがリナちゃん!」
きつい抱擁と啄むようなキスの雨。だけどどうだろう、この話は喜んでもらえる内容だろうか。
不安なのでもうちょっと激しめのをくれないかな? あ、被身子もそういう気分ではないと。じゃあしょうがない。
「えっと、どこから話そうかな……まずね。これは『お互い様』なのよ」
「お互い様?」
「今の被身子のあり方には私と百の影響がすっごく大きい──その通りだと思うよ。周りからはすごく個性的に見えるだろう特徴も、被身子からすれば『知り合う前の自分とは何一つ同じじゃない』みたく感じるんでしょ?」
「ばっちりです♡」
うーん罪悪感。これについては『被身子のことだからよく分かる』ではないんだよ。
これはね──実体験だ。
「私もそうだから」
「は? ……はぁー!?」
わぉ、被身子からこんな風に詰められるの初めてかも。
「それ本気で言ってますか全っ然そんなことないですよまさか病気ですかお父様呼んできますか」
「まず落ち着こうか?」
「落ち着いてられませんよ!?」
「いやそもそもさ、当たり前だけど被身子と知り合う前の私のことあんまり知らないでしょ?」
「う……」
「責めてない責めてない。私もあんまり知られたくなかったからありがたい位」
……そうなんだよ。
被身子と接する時の私って──ひいては百や透たちと接する私って──ほとんどあの夏に新しく形作られたんだ。
小学生時代はコミュニケーションスキルが死んでたし、中学に上がっても表面を取り繕ってただけ。浅ーい表面的な人付き合いに終始して(それだって私なりに頑張った成果である)、無個性の人達のトレーニングでそこそこ気安い仲になっても敬語は取れなかった。
今みたいな言葉遣いで、自身の慾やクズさやエグさを前に出して、相手のそれらを愛でる──そんな私はそれまでどこにも存在しなかった。
……なんならヴィランはみんなクズだとかナチュラルに信じてたような気さえする。
今の私だって……まず被身子を好きになって、そこに否定しがたい悪性があったので悪を憎めなくなっただけ。独善の塊だ。
「今の私が『本当の私』かって訊かれたら考え込んじゃうよ。嘘ってわけじゃないけどさ」
「そ、う、あー……」
被身子がなんだか面白い感じに言葉に詰まった。いや分かるよ、今の(被身子に形作られた)私が『本当の私』だっていったら(私に形作られた)被身子もそうなっちゃうからだよね。
……うん。つまり私達はどっちもどっちなんだ。
「あは、ごめんごめん意地悪したいわけじゃないんだ。
私も被身子も、今のこれが“
「えっ」
「私も被身子も、そんなご大層なモノ持ってない気がするの」
「えぇ〜……?」
あー、被身子でさえそういう反応か……いや、被身子だからこそか。百は脇で見てたから知っている。
お茶子辺りは私のことをよく傲慢キャラ扱いするし、それも的外れとは言えない位に自信満々な振る舞いをしてるっていうのは……うん。確かにそう。
でもそれは、周りに与える印象ほどには毅くない。
「ステインの件の後さ、保須に会いに行ったじゃない? その日のことを“ちょっと変だった”って被身子は言ってた」
「はい、覚えてます。確かどっかの子供が……ん? アレって霙理ちゃんだったんです?」
「そうだよ。八斎會から拐われて、私はその痕跡を追おうとしたけどダメだった。そのことで落ち込んでたんじゃないか、みたいな推理だったけどさ」*
「推理なんてものじゃないですけど。でも大体合ってる的なリアクションでしたよね?」
「…………外れでは、ない」
「……リナちゃん?」
はぁぁぁ言いにくいなぁ恥ずかしいなぁ本当のこと。でも被身子が不安そうだし。もういいや勢いで突っ走ってみよう。
「私ね、被身子が傍にいないとめっためたに弱いんだよ。もし家に被身子がいて、保須でステインに遭遇したのが他の誰かだったら、あそこまで慌てて会いに行ってはいないと思う」
「え♡ え、え?」
「信じてないみたいだからもう一つ、私が中三の時。被身子、ミルコさんとこ行ったじゃない? 泊りがけでさ、四泊五日だっけ」
「はい、確かそうですけど」
「…………私ね。
その五日間のこと、ほとんど覚えてないの」
「──え」
「初日のことは多少覚えてる。その後も授業とかちゃんと受けてはいたみたい。でも後でノート見て『誰が書いたんだコレ』って驚いたよ」
百や両親からは『異常な行動をしてたわけじゃないけどずっとぼんやりしてた。あと帰ってくる前日がめちゃくちゃ元気溌剌だった』と聞いている。……どっちも全く覚えが無い。
被身子はゆっくり言葉の意味を咀嚼して、早とちりや勘違いじゃないかと疑ってから、感極まって首筋に噛み付いてきた。
「っ♡、吸いながらでいいから聞いて。
私は、私の方がずっと、被身子に依存してる。あの職場体験以降、二日以上別々に過ごしたことがないから百以外にはバレてないだけなんだよ」
歯を埋めたままコクコクと頷くものだから、血管とか色々が引き攣れて痺れるような快感が肩から広がっていく。私は震えを堪えながら被身子の後頭部を撫でたりして──そう、こういうところだ。
この脆く愛しく油断ならない小悪魔ちゃんを繋ぎ留められるように、そのためにこそ、この傲慢キャラは生まれたのである。だから彼女がいないとどうしていいか分からない。道に迷ってしまう。
──だけどさ。
「ぴったり寄り添って過ごしたのは幸せだった。ずっと嬉しくて楽しかった。でもこれを続けてる限り“私”ってやつは手に入らない。
……ちょっと近過ぎっ、たんだ……」
「リナちゃん、泣かないで」
「泣いてないし」
目尻をくしくしと拭かれながら事実を主張してみる。今のはアレよ、欠伸みたいなやつ。
被身子と
「……あ、だから“連絡はつくようにしといて”なんですね!? すごいロングパス!」
「んぇ。話す前から『プチ家出』は計画してたでしょ?」
「計画って、うーん。こっそり出ていっちゃおうかなって片隅では考えましたけど」
「私と百は絶対そうすると思ってたよ」
「じゃあそうなんでしょう、ね……」
……私達がそう予想するならそうなんだろう、というのは。あまりに象徴的な考え方でちょっと苦笑い。
「被身子ってほら、追い詰められても計算高いっていうかさ。私が『再適合』で髪から因子補充ができるようになったのも切掛といえば切掛なんでしょ」
「あー……まぁ、傍にいなきゃ
「お互いにね。私もそうなのは覚えといて」
「はぁい」
色々と条件が揃っちゃったんだよ。因子のこともそうだし、行き詰まりへのイライラからも環境を変えたいだろうし。
被身子は力を求めてる。それには“
トドメに明日からの学内はちょっぴり被身子には過ごしづらい。
「黙って出ていったりしたら全力で取っ捕まえるとこだけどね」
「流石に置き手紙くらいはしたと思いますけど」
「それだけだと私のメンタルが多分耐えられないから。お願いします定期連絡はください」
「はぁい♡」
外は危険だとか、その手の心配はしていない。被身子だし。
……あー、でもそれは私だからか。
「他はどうする? 被身子が嫌じゃないなら色々言っておいても」
「お父様お母様には伝えますよ」
「あと相澤先生とか。言わなくても私達の様子から察するだろうけど」
「不思議な家出ですね!?」
確かに。ルール的に認められるわけないのは分かりきってて、それでも正面から言っていこうってんだもんね。
「まぁ言ったら言ったで面倒臭いかな〜」
被身子の実力を分かっててもすっごく心配はすると思う。でも言わないよりはマシかなぁ……どうだろ?
──とか、つらつら考えていた所に。
続いた被身子の言葉は、完全に想定外のものだった。
「そりゃ胃潰瘍にさせたいわけじゃないですけど、だからって先生に言うんですかぁ?
『お外で
「……えっ」
「えっ?」