母、【
父、【防護膜】。ごく小規模で脆弱ながらバリアのような力場をまとえる。
いずれにせよ【変身】には繋がりそうもない。父の【防護膜】が創るバリアは物質ではないし目にも見えないため外見の偽装には役立たず。
強いて共通点を挙げるとしても『皮膚など身体の表面が発動部位である』点ぐらいか。
だから太郎やカリナは──超常生理学の常識は──突然変異的なものと説明する。
被身子も【変身】についてこのように理解していた……が。
確認のしようがない別の可能性も、在るにはある。
本人も記憶にないほど幼い頃、母親という最大の庇護者から否定的な感情を受け取ったら。子の側に超常中枢があり、大きなストレスを生命の危機と解釈したなら。
生存本能に基づいて“個性”の方向を捻じ曲げることはありえる。例えば『親から愛されるための個性』を目指して──それを達成できるかも分からないやり方で。
真実どうだったのか今さら確かめるのはほとんど不可能。
だが、よりによってその容疑は。ただの嫌疑に過ぎずとも──
──被身子にとって
渡我家が兵怜家と関わりを持ってからの二年間。
この間、被身子の両親は色々と行いや考えを改めてきた。反省と悔悟の歩みだった。
並行して被身子が歩んだのは──強いられたのは──少し違う苦しみである。
それははっきりと矛盾する、逆方向へと己を引き裂く変化。
一方では怨みを宥めるように。
許せとは言わないし仲良くなれとも言わない、ただ殺したり傷つけたりはダメだと。
被身子も納得した。もし害すれば最愛から引き離される、そんなのはお断りだから。
同時に怨みを煽るかのように。
カリナや百は多くを与えた。常識や規範の破り方を、善意と献身と肉悦を、庇護と安息と安眠を。
被身子は
知り合って間もない百の言葉は響かなかった。
納得できない。だってそれはとても──
──ズルい、ズルい、分かってくれて嬉しい、ズルい。
憎めない。恨めない。そんなネガティブな感情をカリナにぶつけるなんて、そんな向こう見ずな勇気と自己愛を持てるわけがない。
(こうした経緯で被身子vs.百の初激突が起こり、百の中では『結構な大喧嘩』として記憶されているが、カリナも被身子も大したことだとは思っていない)*
被身子は耐えた。両親に直接的な危害を加えたことは一度もないし、定期的に連絡を取ったり顔を見せたり……積極的かはともかくそこまで嫌がらずに、程よい距離を探り探りにして。
カリナと百による(色んな意味での)ガス抜きがあっても、容易だったとはとても言えない。
多少の愛着はある、関わること自体への無力感や無関心もある。それでも……怨恨もまた色濃いのだから。
ではどうやって耐えたか?
──免罪符によって、だ。
『お父さんお母さんもこんな私を望んで産んだわけではない』。そのようにして、言わば被害者のポジションに据えた。
そうすることで初めて、どうにかようやく、殺意を遠ざけて来たのに。
その前提が崩れようとしている。
殺されるかも知れない。
でも外の見知らぬ暴漢に殺されるよりはずっといい。
そんな、少し投げ遣りな気持ちで素人なりの考えを話した。
「私があなたの“個性”を【変身】にしてしまった可能性は、ゼロじゃない」
「そん……なぁ……?」
帰宅した時の様子とはまるで別人だ。親とはぐれた幼稚園児のよう。雨に濡れた紙粘土のよう。
笑顔にも泣き顔にも見える、殺意にも慟哭にも感じる、ただ不安定に揺れているのだけは見間違いようがない。
──それでなんとなく、満足できてしまった。
だって昔のこの子ならここまで葛藤しない。殺意が溢れたらとりあえず行動に移して、血を吸いながら考えるぐらいの順序だったのに。
「被身子」
「黙って下さい、だまって……!」
今まだ無事なのは私が母親だから──なんて自惚れるつもりはない。そこまで想ってもらえるほど私は子育てをできていない。天秤をぎりぎりで釣り合わせている沢山の愛情は私達以外が与えたもの。
『与えていない』だけでは足りないか。プラスが少ないばかりかマイナスになっている。この子の足を引っ張っている──今もなお。
これ以上は、もう。
「聞いて、お願い」
「黙ってったら!」
「…………」
分かったわ、と頷き返す。怯えて震える小さな娘に。愛すべき、護るべき、恐るべき娘に。
私はもういい。構わない。ただそのことが新しい呪いや枷になるとしたら? ……それだけは嫌だ。
手を、伸べる。無言のまま。
瑞々しく手入れの行き届いた頬へと。
「────」
「な……? お母さん!?」
「黙ってって言うから」
逃げられてしまった。それもそうか。
しかし私が、この“個性”が与えてしまった呪いならば……解かねばならない。何を差し出して何を曝け出しても──
「触って、くれないかしら」
「…………震えてるじゃないですか」
「それは、だって……怖いもの」
触れ合うことで一体何が伝わってしまうのか。
私は自分の弱い心を律しきれないし、思ってしまえば伝わることも止められない。
この“個性”に良い記憶なんて無い。そもそも一方的に内心を暴かれるばかりでメリットもないし。
人との接触を避ければわざわざお金をだして制御訓練までする切掛もなく、半ば自動的に内心が伝わってしまうまま……。
【防護膜】だけで決めたわけじゃないけれど、日常的な接触なら素肌が触れ合わず【接触伝心】が発動しないあの人でなければ一緒に居られず結婚もできなかっただろう。
こんなままならない“個性”を持ってしまった私は、決して聖人君子でない私は、子供をもうけたこと自体が間違い? そうなのかも知れない。
だけど一つだけ、たった一つだけ。
「きっと嫌なものが、伝えたくないのに伝わってしまう。ごめんなさい。
でもそれだけじゃない、絶対に伝わるはずのものがあって、それを受け取って欲しいの」
同じ日の夕方、実家を出た被身子はカリナに連絡を取った。
セキュリティの為にいちいち雄英ネットの暗号化通信を介するのは面倒に感じるが仕方がない。
『リナちゃん、ちょっと教えてください』
『なーにー? 今日の下着はパステルグリーンだよ』
『見たい!』
『暗号化されてても学校のサーバー通したくないなぁ!?』
とはいいつつ画像は添付されていた。小さなタオルと脚で隠れて下着こそ写っていないが、余計にエロティックなことは間違いない。
『わーい私のは後で送りますね! それで訊きたいのは──』
改めて問うのは母親の推測について。
【接触伝心】を持つ母親が子供に否定的な──“サルみたいで可愛くない”とか“愛する自信が無い”とか──感情を持ったとして、それを受け取った赤ん坊の“個性”が歪むようなことがどれほどありえるのか?
返信はすぐだった。短文が続けざまに送られてくる。
『?』『げそれまさか』『お母様が!?』『誤解だー』『えっとまず生後に歪むってことはかなり考えにくいよ』
カリナにとっても超常後成学は未確定の推論だが、そういうことが起こるとすれば胎児期なのはほぼ確実だ。出産より後なら天然器官はとっくにその形質を確定させており、超常器官に変わるには遅すぎる。*
『はっきりは言えないけど……長めに見てもせいぜい妊娠三十二週あたりがリミットじゃないかな』
『それまでならありえるんです?』
『妊娠中なら、うん、まぁ。否定する根拠は弱いけど……』
妊娠中の母親が、その
そして【接触伝心】が胎児に伝えてしまう可能性はそれなりに高い。
『でもそれは』
『分かってます、恨んでませんよ。あ、お母さんを殺したりもしてませんから』
『……うん』
被身子の母親が『これだけは伝わる』と確信していた感情。それは間違いなく被身子に伝わった──自信を持って言い切るようなものではなかった気もするが。
……罪悪感、ないしは自己否定。
我が子を愛せるか不安に思う自身への強く深い蔑み。
妊娠中の、つまり被身子が産まれる前の、すなわち母親に罪などないはずの段階から。
『ビックリしたのです。私、自分が
『それは被身子の凄いとこだよ。私たちに出会えてなくてもどんなに孤独でも、自己否定だけはしなかったんじゃない?』
『かなり息苦しい気はしますけどね』
全く別の運命において、彼女が一貫して“トガヒミコ”を名乗り続けた(ヴィランネームを使わなかった)ことなど知る由もないが。またそこには両親への嫌がらせもあったかも知れないが。
被身子は常に被身子だった。
四ツ橋の“
むしろ自信を高めたとさえ言える。
五体のかしこを欠こうと、目立つ生傷などを負っても。そんな自分を詰るようなヴィジョンはまるで浮かばない。
極端なことを言えば全ての記憶を失っても。どうせカリナに惹かれるんだろうなと当たり前に思い描ける。
──ならば。
『戦う方法、思いつきました』
合流後、被身子からアイデアの概要を聞いてカリナはしばし絶句した。
全くもって予測していない形だったからだ。
「待って、待って待って……まずサイズの問題は?」
「それはこれからなんとかします。どうにかなるでしょう」
「まぁ『再適合』後の私に【変身】するよりはずーっとハードル低いけど……」
被身子は総体積を大きく変化させることが苦手だった。一般的な成人サイズならどうにかカバーできるが小さな子供や巨人サイズには【変身】できない。
それが可能になるならそれだけでも『覚醒』と呼びうる成長だが、既に一度為し遂げた被身子は越えうる壁と見なす。
「出来る気がするので出来ます。他はどうです?」
「被身子が言うと出来ちゃいそうだなぁ。
サイズをクリアできるなら後は再現の方。厳しいこと言うけど透やお茶子だけなら意味は薄い」
「分かってます。時間は限られますけど、A組全員プラス相澤先生はイケます」
「わお。もちろん血は要るよね?」
頷き返す被身子。どうあれ【変身】なのだから血液は必須である。
しかし問題にはなりそうもない。事前にもらっておけば済む話だ。
「血なら専門分野みたいなもんか……うん、多分いける……」
「今さらですけど、私がその状態で【変身】すれば──」
「あ、うんそっちは大丈夫。被身子の言ったような効果は出るよ。【
実現可能性、(これから)クリア。
必要なリソース、近しい仲間の血液。特に問題なし。
効果効用、論じるまでもなく極めて大。
そして残るは安全性。
カリナは頭を抱えた。一番のリスク要因はどうやら自分だから。
「……私さえちゃんとすれば問題なし、か……」
このアイデアを実行すると、被身子は
しかし被身子は真っ向から否定する。
「いえいえ。なんかの間違いで私が別人みたいになっちゃっても、それは別に構わないんですよ」
「構うけど!?」
流石に『被身子がそう言うならいいや』とは流せない。だってこれを通してしまえば結局のところ“
──カリナはそう考えたが。
「
被身子は“なんかの間違いで”──つまりどんな原因だろうと──構わないと言った。
それは別人ではなく自分なのだと。カリナの関わりがあってもなくても自らそのように胸を張れると。
よって安全性も……クリアとは言えないが、カリナと被身子は納得した。
「あーだめだめ、緊張感ゆるみそう」
「役に立てそうです?」
「そりゃもう! 被身子すごい!」
「えへ〜」
決戦は近い。
気を引き締めはするものの、被身子のお陰で対治崎の勝率は間違いなく高まった──返す返す、思いもしなかった形ではあるが。
“せいぜい妊娠三十二週”:胎児は妊娠十週頃までに筋骨の基礎が、十六週頃までに中枢神経の基礎が作られ、三十二週頃までに内臓の形がほぼ完成する。
この段階に至った天然器官を後から変成させることは──例えば【AFO】が青山優雅に対して行ったことは──極めて難しく、そんなことができる超常は滅多に存在しない。