■十一月十七日
〈臨時独立特区・雄士英傑〉とやらが宣言された翌日。
新生・異能解放軍の長である近属は、本拠地たる群訝山荘の地下にある広大な空間にて──床に這いつくばっていた。
もう立てないのか。かける言葉も冷たくなる。
「多少はマシになったが……本当にセンスが無い」
「…………」
何か言い返そうとして、しかし言葉になっていない。ぜひゅーぜひゅーと荒い息が漏れるばかり。
床に垂れた汗はコンクリートを変色させ、濃いグレーは水玉模様ではなく大きな円を描く。その上にちらほらと赤や黄色の染みが散る、つまりありふれた
「なんだ不満そうだなスケさん。立場的にも能力的にもお前が最も狙われるのは間違いないだろうが」
「ス…………」
「山ほどのヒーローがお前に群がるぞ。俺が仇討ちを済ませたらどうするつもりだ?」
「ク、ソが……!!」
近属も必要性は納得しているはずだ。俺が手加減に手加減を重ねていることも分かってはいるだろう。どちらかといえば感謝されていい気もするが。
「私を、く……見下すな……ぁッ!」
地を蹴りながらの拳。もちろんあっさりと受け止め──いや、別に攻撃力は良いのだ。こんなものでは学生にも防がれるだろうが、コイツが直接敵を打倒する必要性は低い。
しかし──
「うぼぇ!?」
「遅いな」
──こんなに手を抜いたカウンターが当たってしまうのは良くない。ワープを瞬時に発動できれば避けられるに決まっているのだから。
激しく咳き込む近属を放置して傍らのノートPCをカタカタといじる。泥の展開速度などを撮影し分析していたものだ。
「ふむ……ここしばらくタイムの向上が見られない。その小型脳無の力では既に最速ということか」
「なぁんだつまんねぇ。ワープなんて強キャラの代名詞背負っといて制限多いなスケさん」
訓練を手伝いもせずに見物していた荼毘がけらけらと煽る。そう、実際できないことは多い。
「代名詞かは知らんが、もっと速ければ敵対するのは厄介かもな」
「だよなあ。どんな攻撃も躱せそうなもんだぜ」
最大の制限はワープ元にもワープ先にも地面が必要なこと。空中や水中は対象にできない。泥を媒介とする以上は如何ともし難いのだろう。
またこの制限はヒーローサイドにバレた可能性が高い。
……とはいえそれを踏まえても。
俺は単独で浮遊・飛行できるのだから、最大の弱点は近属ということになろう──恐らくはヒーローから見ても。だからこうして鍛えている。
流石に少し休憩を挟む必要がありそうだが。
「──荼毘、お前は?」
一方でコイツは……何を考えている?
荼毘は十二日の狙いを達成できていない。学生に邪魔されたそうだ。それにしてはどうにも不可解だが。
「あん? 俺も訓練か?」
「
「要らねえっつっただろ」
今や『余り』すら発生しているというのに。二人分の冷却系カートリッジと生まれ持った【蒼炎】だけで戦うつもりらしい。
自ら焼き切った左手も、一言言えば治してやるものをそのままで良いという。むしろ絶対に治すなと。
「お前の成否には興味ないが……」
「じゃあ気にすんなって──なんだよ?」
言葉には出していないが、疑念が視線に乗ってしまったか。
荼毘は瞬時に着火した。感情的にも実際的にも。
「オイまさか俺の裏切りとか疑ってんじゃねぇだろーなぁ!?」
「…………疑いもする」
「俺が!? クソヒーロー共に寝返る!? 旦那でもスルーできねぇぞ虫酸が走らァ!」
荼毘の全身は文字通りの火達磨。掴みかかってくるのを躱して宙へ舞い上がっても、【蒼炎】の噴射で即座に追い縋る。
「 取 り 消 せ 」
「分かった、お前の寝返りなどありえないな……済まなかった」
口先だけの謝罪を述べながら、業火が収まるとすぐに全身を──左手は生やさずに──治した。
正直なところ戸惑いが大きい。俺がこうしていなければ死んでいる……というか何故死んでいないんだ。“筺”の埋まっている両前腕以外はほとんど炭だったぞ。
「ケッ、胸糞悪ぃ……しくじったからって俺がもっと凹むとかブチ切れて“筺”ガン積み特攻かますとか思ったのかよ」
「そうであれば納得だ。妙な疑いも持たなかった」
「はっきり言い過ぎじゃね」
それ以前に不可解なのは、荼毘が病院襲撃後も(たった今の激発は別として)これまで通りなこと。へらへらと、あるいは飄々とした態度は崩れていない。拉致してある母親を怒りに任せて殺すなどもしていないようだ。
──まぁ最終的には好きにすればいいことだが。
「何かしら考えがあるならいい。自爆でもするつもりなら一言ほしいが」
「自爆ねぇ。選択肢に入れたことはあるけどイマイチだな」
明かされないものの先の展望は持っているらしい。
それが何であれ俺から深堀りする理由は無い。組織の長である近属はそうもいかないだろうが──
「貴様……気分次第では我々の被害も気にせんのだろう……!」
「ンなこと分かってただろ? まぁわざと巻き込みゃしねーよ、そこは約束してもいい」
──そもそも行動原理が復讐と気分に染まった奴だからな。俺も同類ではあるがコイツほど極端ではない。
荼毘に『自爆の五分前までには連絡を寄越せ』などと言ったところで守るわけがないのだ。その位は近属も学習したのだろう。
「…………マシな方か……」
渋々と納得ないし譲歩をして──ただしもし敗れるようなことがあればエンデヴァーがフリーになるわけで、勝算くらいは確かめておきたいところ。
「しかしあの白い焔はお前も知らんのだろう?」
「あぁ、アレはこっちが心配するようなもんじゃない──驚きはしたがよ。正面から見りゃバレバレだぜ」
「ふむ?」
続きを促す近属の視線に……応えるつもりはないらしい。それどころか雑に話題を変えやがった。
「旦那はどーなんだよ。舐めプかましてんじゃねーの」
「俺は最善手を打っているつもりだが」
舐めてかかっていると? ヒーローや一般人は頭を抱えていると思うぞ。
この数日間は我ながら勤勉に全国へ飛んだ。各地でヒーローやヴィランを襲い──
「実際、拾い物もあった」
「お?」
──作製した“筺”も数多い。
熟練度の問題を考えると有用性としては『そこそこ』ランクのものがほとんどだが、おいそれとは使いにくい戦略級も一つは手に入っている。
「じゃあまだ嫌がらせ続ける感じか? とっとと攻め込むもんだと思ってたぜ」
「舐めていると言われるのは不本意だが……楽しみを引き延ばしてはいる」
今の執行猶予は戸村霧に対する嫌がらせ、すなわち本筋の一環だ。
さっさと攻めようという意見も理解はする。荼毘は世直しになど興味は無いのだから当然そう考えるだろうし、俺の中にもそういうプランはあった。
何故そうしていないかといえば……奴らが想像以上にヌルいから、だ。
幾度も小競り合いになったスターアンドストライプの様子から見る限り。
俺が国を指導する立場ならこんな怪物は生かしておかない。手段を選ばず殺しにかかるだろう。
あるいは外聞を気にするとしても、ならば誰かの所為にしてしまえばいい──例えばアメリカの。アメリカナンバーワンが足止めをし、本国はそこにミサイルでも撃ち込んで、国民の被害には『アメリカが勝手にやったことだ』と知らぬ存ぜぬを決め込む、とかな。
そんなシナリオも考えたから、現実は想定よりヌルいものであり続けた。初回もそれ以降も。
ヒーローに協力的な賢い市民だけならともかく、サクラに踊らされた愚かな邪魔者まで含めて全員を護ろうとするとは……アメリカにも同じ病気は蔓延っているらしい。
あれこそ典型的な症状だ。薄気味悪い。
かの国には在日米軍基地を
あれほどの戦力を甘く見ることなどできない。対処は必要であり、だから済ませた。それに引き換え……あの連中と来たら一体何を気にしているやら理解不能だ。
明らかに国を壊す側の
個人は“個性”に、国家は“英雄”に毒されるらしい。
「そんなヌルい連中だから『旦那より強えヒーロー脳無』なんて造りゃしねえだろって?」
……仮に造られるならその素体はエンデヴァーになる見込みが大きいんだが。コイツあまり考えていないな。『ヒーローに時間を与えるとどうなるか分かったもんじゃない、危ないからさっさと攻め落とそう』などの真面目な話ではなく雑談の類だ。さっさと暴れたいのでそれっぽい理屈をこねているだけとも言える。
攻勢に出ないことが不満なのは分かったが……せっかくだから自問しておこう。
俺は奴らを舐めてかかり、足下を掬われるリスクを見過ごしているか?
「……奴らのヌルさは理由の半分だな」
「もう半分は?」
「仮にそんな戦力がいて奴らに反抗の牙があるとしても、俺たちが奇襲を受けることはない」
「あー……アレか、衛星の」
そう。近属は異能解放軍の戦略資産をほぼすべて乗っ取っている。この群訝山荘もそうだし、衛星軌道上からの監視の目も。
主な監視対象は雄英高校を始めとする重要施設であり、例えば昨日の朝に一人の一年生*が雄英を離れたこともリアルタイムで把握していた。
移動中までずっと追いかけてはいないが、数時間ごとの
加えて、近属は映像以外の情報源も挙げる。
「当然スパイも潜り込ませている……不要だったかも知れんが」
「それもヌルさの証明だな」
雄英・士傑に逃げ込んだ避難民(およびそれを装ったスパイ)はスマートフォンの類を没収されていない。流石に一定の情報統制は行われているようだが、それぞれの学内に滞在しているヒーローの顔触れはかなり具体的に把握済みだ。
もしこれが大幅に増減するようなことがあれば何かしら漏れてくるだろう。
奴らの視点に立って考えた場合、足りないものが余りにも多い。仮に俺と拮抗しうる戦力があっても移動手段の問題がある。
例えばヒーロー側にもワープ系能力者がいれば話は変わるが──
「移動手段ね……そういやワープ系の“筺”って使い物になったのか?」
──その可能性は極めて低い。元々レアな上、その種の“個性”持ちは
「いや、全員ダメだった。〔融合〕なら違ったかも知れんが」
近属は部下とワープ系“個性”の〔融合〕を禁じている。裏切りに備えてのことだ。“筺”であれば遠隔でも容易に破壊できる。
結果としてワープ使いが増えるようなことこそなかったが、ヒーロー側に加わる可能性もほとんどゼロと言って良いだろう。
──完全なゼロではない。具体的な可能性もある。
【巻戻し】によって喪われたであろう【ワープゲート】が同じ力で復活する、という。
壊理がそれをするかは分からないが出来なくはないはずだ。
仮にそうなれば……むしろ望むところじゃないか。
無敵のつもりで好き放題やってくれたクソを、それを持ったまま縊り殺せるなら完全な復讐だ。この怒りを叩き付ける先としてこの上ない。
もっともその場合、近属の組織や野望はどうなるか知れたものではないが。
それこそ荼毘の言った通り、“ンなこと分かってただろ?”という話になる。そこまで期待されるのは筋違いだ。
ともあれヒーローサイドの勝機は著しく乏しい。
……これも舐めているということになるのか? なるのかも知れないが、しかし客観的で合理的な評価ではある。
というのも──
『ボス! 緊急ですご指示を!』
「私だ。簡潔に言え」
『
──今や力は黙っていても寄ってくるのだ。ヴィランはもちろんヒーローからの寝返りも。世間から爪弾きにされ憎悪を溜め込んだ“異形型”も。
「場所は?」
『オウ、ここは博多だぜぇ。アンタが治崎か?』
問いにはマイク越しの声が応え、近属は頷きながら映像を繋ぐ。
何か微細な音でも聴き取ったのか、九州支部にいる暴漢はカメラ目線で凶悪に嗤った。
「……なかなか有望そうじゃないか。すぐ行くから待ってろ」
『ガッカリさせねえでくれよ』
なかなか使えそうな面構えだった。だから早速立ち上がったが、映像を切った近属はそれを制して言う。
「いや。治崎は少し休んでいろ」
「なに?」
「休息が解決になるかは分からんが、何かしら問題を抱えているのだろう──というより」
その視線が滑るのを見て納得してしまった。確かに道理だ。
「働け荼毘」
「えー」
「えーじゃない。貴様は私の命令に従う気が無いのだろう。ならば取り引きだろうが」
荼毘が物言いたげな視線を投げてきたが無視した。コイツが受けている恩恵の多くが俺からのものなのは確かだが、近属の組織と行動がエンデヴァーへの個人的復讐をお膳立てしているのも事実。轟冷への拘束についてもそうだ。
しっかりと利を得ているのだから何も返さないのでは仁義に反する。
「あー……チッ、そうだな借りも作りたくねーし。しゃあねえ行くか」
「殺すなよ、あの新入りは使える」
「へいへい」
やいやいと言い合いながら泥に沈む二人を見送って、素直に身体を休めることにした。
この身体は色々と人間離れしているが無尽蔵というわけじゃない。特にここ五日ほどは中々にハードワークだったからな。
近属の奴が気を回したのは、俺にヒビが入り割れるところを見たからだろう。確かにオールマイトの力はこの身を苛み食い破ろうとしている。
とはいえ【オーバーホール】と【超再生】で充分に補えるダメージでしかない。ヒビ割れもまだ不慣れだった十三〜十四日頃に何度かやらかしただけだ。
既にこの力については完全に掌握して──いや、そこまで言うと嘘になるか。
事前に想定していた超パワーは脳無の分も含め使えている。
まさかの複合能力についても概ね問題ない。あの頭痛*は鬱陶しいが間違いなく有用だし、アメリカナンバーワン様のお陰でかなり慣れることもできた。
ただ……あと一つだけ。*
病院でも最も頑強で攻撃的な抵抗を続けていた何か。
それだけは全く使えていない。一切応じないのでどんな力かさえ分からない。
懸念というならこれが最大のものかもな。実に得体が知れない。ここぞという時に牙を剥くために大人しくしているだけとも思える。
……思いつきだが本当にありそうだ。とはいえ、都合良くコレだけを切り離して捨てるような真似はできそうにないが。
逆に言えば、こんなワケの分からないあやふやなリスクにさえ劣るのがヒーロー共だ。ただでさえ戦力に劣るのに妙な勝利条件を増やしてハードルを上げている。
対するこちらは気楽なもんだ。今は霧と名乗るあの女を殺せれば最悪それでも良いのだから。
そこに全てを賭けるような必要に迫られるとも思えないが……捨て身を躊躇うべき理由も特に無い。
そしてそこまでしても仇討ちさえ叶わないような未来は、いくらなんでも考えにくい。
…………備えはしておくか。