仮にAFOが学者や研究者なら。
あるいは“個性”を寄生虫に
未来は大きく変わっていたかも知れない。
倫理観に大きな問題こそあるものの殻木は医学者の端くれ。その知識は広範で体系立っている。
対してAFOの仮説は体験に基づくもので、そういう見解は──どれほど鋭い洞察が含まれていても──得てして漏れがあるものだ。
『“個性”の側も地球や人類に滅びてもらっては困るから、この寄生体は人類の弱さや脆さに合わせて弱体化したのではないか』という仮説を聞いたなら、殻木は付け加えるように
『では、人類に合わせたのとは
生物の進化は常に枝分かれを続けるもの。
魚類などが分かりやすい例だろう。厳しい生存競争に晒される中で、あるグループは弱く小さな子孫の“数”を増やした。別のグループは逆に少数の個体の“強さや大きさ”で生き残りを図った。あるいは川や陸に新天地を求めた系統もある。
このような分岐はほぼ全ての生き物に見られるものだ。もちろん寄生生物にも。
確かに寄生生物には、宿主のありように合わせる生き方が多く見られる。AFOが前提にしたように、宿主に死なれては困るから。しかし逆の生存戦略を取るものも居る──それなりに多く、無視できない程度の数が。
そのような“個性”も実在する。『それ自体の渇望で持ち主を衝き動かす“個性”』。
珍しくはあるが普通に存在する。一般人でも──百がそうしたように──調べれば得られる程度の知識なのだからAFOが知らないはずはない。
ただしそういった“個性”は彼にとって無価値に近いため、『雑考』からはすっぽり抜け落ちていた。
AFOといえど“個性”からデメリットを取り除いてメリットだけ奪うようなことはできないからだ。制御不能の“個性”を奪ってしまえば自身をも振り回しかねない。そんなものは奪い集める対象から除外して当然である。
──無論それは、彼にとっての価値に過ぎないのだが。
理性の枠に収まらず自滅しかねなかった“個性”は歴史の向こうへ消えていった。彼だけが生き残った。
だからAFOは
自滅しない程度に丸くなった現代の“個性”など家畜のようなものだと。自分こそ唯一生き残った『原種』であり、頂点に至る魔王だと。
なまじ
“個性”に関する自らの見立てに自信を持つ故に。
その傲り故に、彼は────。