カリナの母、
【冷却】や【凍結】ではなくこんな名前がついたのは、若い頃の彼女がしばしば制御に失敗して氷漬けになっていたせいである。体内深部までの凍結ではなく体外が氷で覆われるだけ*1 であり、冷気への耐性もあったので命に関わるようなことは
自身を巻き込まず、氷で手甲や脚甲を創るぐらいの制御は高校生の内に身につけた。しかし──例えば民間人を護る盾になりたい時、他のヒーローの為に足場が必要な時、洪水を食い止める堰が切れた時──意図的に氷漬けになることも多かった。自分ごと凍らせるのが最も速く・大きく・強固な氷を作れたから。
太郎と結婚してからカリナを授かるまでの約二年間だけでも、全身が氷漬けになること二〇回弱、確認された心停止状態三回。夫が肝を冷やし、早期引退を勧めたことなど数え切れない。
太郎が娘に“個性”の危うさを教える時はいつも、『真似すべきではない例』としてマーサが槍玉に挙げられたほどだ。
だからカリナはその自爆技、『
──
──できたとしても内側から砕かれて終わりだ。
──つまり、アイスエイジは──
突如、マキアの拳が巨大な氷で覆われた。
その大きさは確かに驚くべきもので、なおも氷塊は恐ろしい速さで成長を続けている。水平に伸ばされていた巨人の腕も突然の加重に傾いた──が、それだけだ。全身を拘束するにはまるで足りていない。片腕に大きな重石がついた程度で、足腰を踏ん張ればこのまま振り回すことだってできる。
だからピキピキと氷が育つ音よりも他に意識が向いた。“個性”の一つである【犬】が捉えた、誰かが強く地を蹴る音。マキアの顔面に近い高さ、離れた位置から誰かが跳んで──いや、宙を駆けてくる。
『氷はオトリか!』
そう判断して首を回すと、重力が消えたような不自然な軌道で迫りくる
──これが仇か? 脳無を見たと呟いていたのは確かに女の声だったが。
その先入観が侮りを許さず、マキアはお茶子に注目する。本当の呟きの主もそこにいるが、目に見えないため咄嗟には気付けない。
騎馬戦の時とは違い全裸の透による、全身に注ぐ太陽光を集束した光線がマキアの網膜を灼く。【痛覚遮断】のお陰で痛みこそないものの、視界は完全に白で塗り潰された。
アイスエイジは隙をついて──手慣れたエンデヴァーの融解により──脱出し、再びヒーロー達の猛攻が重ねられる。
(なお透を背負っていたお茶子は、視線を引くために一旦空中に躍り出ただけで、目潰しが済むと同時に百が引き戻している。『近寄るな』という言いつけを破ってはいない)
視覚を失ってもギガントマキアには犬並みの嗅覚と聴覚があり、全く動けないということはない。
しかも一部のヒーローの攻撃は無視してしまえた。彼にとってはほぼノーダメージだからだ。
流石にオールマイトは例外の一人だが、それも対処できないほどではない。
──こんな拳がAFOを殺したと言われてどうして納得できようか。
探し求める仇はオールマイトではない。マキアはそう確信している。
では誰なのか? それを知る術など持っていないが、はっきりしているのは雄英の施設を襲撃した際に敗れたこと。ならば高確率で近くにいるだろう。
目を潰され、しばらく視界は
しかし現状すぐに自分を制圧できそうなヒーローもいない。そう判断したギガントマキアは……憎き仇の方から現れてくれることを期待してしまった。速やかに全てを蹂躙するという最善手を択ばず受けに回ってしまったのだ。
主への忠誠とも言えるが、それ以上にヒーローへの侮りである。
──最も時間を与えてはならない生徒が観察している前で、様々な“個性”による攻撃に晒され、あるいは避けて、あるいは不意を突かれ……その特性を丸裸にされながら。
故に『鬼札』は勝ち筋を見出し、『最優』はその道を駆け抜ける。
軽くない怪我を負ったMt.レディは伝令役を担い、プラカード代わりのホワイトボードに大きく作戦を書いてヒーロー達に伝達する。作戦と言ってもその内容は極めて単純だ。たった二つのことしか書かれていない。
ひとつ。“まず耳と鼻も封じるのサ!”
キィン──と耳を
ふたつ。“呼吸を封じるかどうにかして、口を大きく開けさせて欲しいのサ!”
“どうにかして”。本当にこの通りに書いてあった。口さえ開くなら何でも良いから細かい部分はお任せということだ。
ヒーロー達は一瞬面食らったものの、雄英の
──なお百は、この作戦が
そして業火が巨人の頭部を包み、周囲の酸素を一瞬焼き尽くす。灼けた熱気を肺に入れるのはマズいと息を止め、【耐久】や【エネルギー効率】を持つマキアはそれを苦にもしないが、続けざまに腹部をオールマイトの連撃が襲うととうとう息切れに達したらしい。
狙い澄ました電磁加速砲が、大きく開かれた口内を穿つ。
「やったか!?」
誰かが叫んだ。しかしギガントマキアの【剛筋】は皮膚を硬くする“個性”ではない。文字通り剛健な筋肉を得るものだから、口蓋垂筋など口内組織も同等の防御力を備えている。
マキアは衝撃に驚きこそしたものの、口の中なら柔らかいだろうなどと考える浅はかさを嘲笑──いかけて、遅すぎる悪寒に震えた。
口周りも硬化しているせいでマキア本人からは分かりづらいが、弾の後方には紐状の何かが繋がっているようだ。
これは……導火線?
──爆弾か!?
流石に体内で炸裂されては危険だと焦りを覚える。撃ち込まれた『砲弾』はかなりの大きさだが、マキア自身の小指よりは小さい。食道を通りうるサイズだ。
直感に従い紐を掴んで引き上げ──られない。あっさり千切れてしまった。しかも問題の爆弾(?)は、飲み込むまいとしているにも関わらず何らかの仕掛けで胃の方へ滑り落ちようとしている。
──マズい!!
マキアは自身の喉を両手で強く絞めつけた。息は意識的に止められても反射的な嚥下は抑えきれないから、物理的に通り道を塞いだのだ。
両手が塞がれたことでまたもヒーローが群がってくるが構ってはいられない。久々に感じる死の気配が背筋を駆け巡っている。
見つけた。見つけた。
この剛体を滅ぼしうる者。
マキアは確信する。この作戦の指揮者こそが主の仇だと。
巨人の標的が明らかにわたくしに変わりました。この可能性があったので透さんとお茶子さんにはすでに退避してもらっています。
あまりに濃密な殺意。自ら両手を
それでもカリナさんを最前線に
必ず生き残ってみせます。今は高らかに叫びましょう。
「
『
オールマイトがよく口にするせいかヒーロー全体の標語みたいに思われてる節があるけど、雄英高校の校訓だ。
お母さんはこれを口にしない。士傑OGだからではなく、お父さんが嫌ってるから。
当たり前だ、【氷河期】で
安全マージンをとった訓練の場でならともかく、ただでさえブレーキが壊れがちな現場で持ち出す言葉ではないと私は教わった。
じゃあそれに代わる家訓みたいなものがあるかというと──そんなにご大層じゃないものを一つだけ挙げられる。
『できることをやれ』だ。
──何が言いたいかと言うと、お母さんが巨人に捕まった際、周りの人は『アイスエイジが限界を超えて自分を犠牲にヴィランを制圧するのでは』とか思ったかも知れないけれど、私や百達からすれば『アイスエイジがそんな無茶するわけない』のである。
じゃあ足りない分は誰かが補わなきゃいけないよね、ということ。
そんなわけで私は今、巨人のお腹の中にいる。
〔身体変造〕でいつものように爪を操って弾殻にし、ついでに身体を限界まで──相当な無理をして──細くした状態で百に射出され、胃を覗き込める場所に辿り着いた。途中で食道が絞め付けられるみたいに狭く閉じようとしたけど、隙間はあったのでぬるりと滑りこんだのだ。どんな怪力だろうと体外からの圧迫では血管や食道などの密閉はできない。
爪の殻で押し拡げるように突っ張って胃の入り口あたりに留まり、強力なライトで下方向を照らす。
大怪我をおして動こうとしていた13号先生が『快く貸してくれた』*2 ヘルメット越しに見る光景は……うん、思ったより小さいけど大まかな構造は普通の人間と同じだ。
とりあえず超強力な麻酔薬を投げ込む。これが効いてくれるかどうか、しばらくは待たないとダメだろう。
効かなかったらどうしよっかな──いや、全くのノープランではない。用意は二つほどある。
でもそれは最終手段だ。どちらも殺してしまう可能性がそれなりに高い──片方は流石に死ぬと思うから。
「テストテスト。聞こえたら応答願います……ダメか」
持ってきた無線機はどの帯域で呼びかけても応答なし。生体って電波通しづらいから仕方ない。
──と、不意に変化があった。これまではヒーロー達と
……走っている? 逃げ出した?*3
状況が分からない中、今度は全体が大きく傾いて水平に近い状態になる。私を吐き出そうとしているのか体内が引き攣るように収縮した。
沢山の協力で飛び込んだのに、あっさり追い出されては堪らない。爪盾を更に押し拡げて位置を保つ──が。
口の方から大量の水が流れ込んできた。吐き出すどころか呑み込むつもりか! しかも勢いが凄っ!?
耐えきれず、完全に胃の中へと叩き込まれてしまった。幸い内容物はほぼ無いけど気分の良いものではない。ましてやこのまま出口へ運ばれるなんて真っ平ごめんだ。
幸い巨人の方にもそんなつもりは無いらしい。再び直立姿勢に戻ると、私を押し潰すように胃袋が下から上へ収縮する。更にえづくような痙攣が続いて──これもしかして、自分で自分の腹を殴るか何かしてる? ハイムリック法を自分でやってるようなものだ*4 。
やはり吐き出したいのだろう。といっても喉に詰まったお餅じゃあるまいし、幾ら胃が動いたって私は簡単に出ていっ──
「あぁーー!?」
しまった大失敗。私は踏みとどまれても水が吐き出されることまでは防ぎようがなくて、一緒に麻酔薬も出ていってしまった。まだ溶け出したばっかりだったのに。これじゃ効果は期待できない。
……くそ、どうする。これだけの巨体を殺さずに無力化する方法なんて。危なっかしい方法しか思いついていないというのに。
これまでに人を殺したことはない。でも死を目の当たりにしたことはある。中二の九月、インゲニウム事務所で職場体験をさせてもらった時のことだ。
パトロール中にすぐ近くで交通事故、それも大規模な玉突き事故があった。インゲニウムは私を軽傷者の救護に回そうとしたけど、軽傷者なんて探さないと見当たらない有り様だったし、探すとはつまりトリアージ……命の取捨選択に向き合うということだ。
幸い、足が竦んで動けないなんてことはなかった。〔身体変造〕で隙間を拡げて怪我人を運び出すような手助けも、慎重かつ手早くできたと思う。
でも私はやっぱり素人の子供だった。やってはならないミスをした。
よく覚えている。忘れられやしない。
その人は五〇代くらいの男性で、やや肥満気味で──怪我の詳細までは思い返すのが辛いけれど。
客観的に見てその人の状態は『瀕死』であり、状況を考えれば『救命困難』だった。優先度を下げる黒のタグを置くのが冷徹な正解だった。
でもその人は、混濁していたものの意識はあって。薄く開いた目が私を捉えて、喃語のようになりながら『死にたくない』と言った──気がした。
私が手に取ったタグは、赤。最優先で救う人を──
──近くで他の人を診ていたサイドキックに止めてもらえて幸いだった。後でインゲニウムからお叱りを受けたのも本当に有り難いと思っている。
『その優しさは尊いものだし、失くして欲しくはないのが正直なところだ。でも、あぁ、もう分かってるとしても言っておくよ。
……視野が狭いと。あの人を生かすということは、他の誰かを見捨てることだと』
じゃあ今の状況は?
この巨人がスタジアムまでの道程に刻んだ破壊を見た。Mt.レディの怪我は軽くなかったし、他にも数え切れない被害があるはずだ。それを長引かせるのが正しいわけがない。
でも今、私の目に映るのは圧倒的にリアルな人体。どれほど大きくてもどんな超常を備えていても、見間違いようもなく生きた人間だ。
理性は被身子の顔で殺意を推す。
速さと確実性を思えば殺すべきだと──殺したいのは独善じゃないと。
感情は百の顔で法に縋る。
ヒーローにそんな権利はないのだからと──殺せないのは弱さじゃないと。
──この二人をこの配役で思い浮かべる日が来ようとは。理性が百で感情が被身子ならよくあるんだけどね。
いずれにしたってこの綱引きは幾度も見てきた。結果は分かりきっている。
どちらが勝つこともないんだ。だから私は中道を択ぶ。
殺しちゃうかも知れないけど殺さずに済むかも知れない、そんな不確実こそが──最善ではなくとも、灰色だとしても──善意だと信じて。
持ち込んだ二つの『最終手段』。
片方は大型の水筒みたいな見た目で、中身はテルミット反応炉である。お腹の中で二千度以上の熱が発生し続けたら流石に死ぬと思うんだよね。
手に取るのはそれではなく、もう片方。非常に細くて柔らかいが、トン単位の張力にも耐えるワイヤーである。
〔身体変造〕で爪を細長く伸ばし、その先端に穴を空けてワイヤーを通す。つまるところ縫い針だ。これを大きく湾曲させて、と。
ヒーロー仮免許があったって医療行為をして良いはずはない。もっともこれは絶対に医療行為なんかじゃないけど。
ぶすり、とね。
──よし。
食道のすぐ隣を通る下行大動脈を
口の方から挿し入れられた管──伝声管──で外と連絡が取れて、そこからじっと待機すること一時間以上。今度こそ全身を完全に拘束したというので血管を開放したら、何もせずともすぐに心臓が動き始めた。とんでもない生命力だな。
……でも正直なところ──ホッとして、しまった。どうやら殺人犯にはならずに済むようだと。
スタジアム自体は無事だったとはいえ、体育祭なんて続けられるわけがない。被害は甚大だ。
この時点でもひどい──バクゴーでさえ文句を言えないほどの、私自身に起こった
同じ頃に遠い場所で起こったもう一つの事件。連絡を受けた人も動転していたのか、A組みんなの前でその話をしてしまった。
何人かのクラスメイトは悲しいことが続き過ぎて
私ともう一人は流石に黙ってなどいられない。
「兄さんが!?」「天晴さんが!?」
私が職場体験でお世話になった恩人、インゲニウムその人が…………ヴィランに大怪我を負わされ、救急搬送されたとの報せであった。
※カリナの