※誤字報告ありがとうございます。
黒霧とは、ある
ドクターは肉体改造を施した。
しかし──決して性転換などという処置は行われていない。
もっとも、それらの事実を知る者はすでにない。壊理はもちろん死柄木も、黒霧本人でさえ。その人物の名前や素性はもちろんのこと、男子だったことも死人だったことも知らずにいる。
だから、それが間違いだと気付きはしない。
主に弔が崩壊させた無機物や、時には食材や虫などの有機物を練習台にして、壊理が【巻戻し】を使い慣れてきた七月の始め。
「壊理。以前に頼んだことを覚えていますね」
「…………うん。まだ怖いけど、今なら大失敗はしないと思う」
黒霧は彼女の“個性”に身を委ねた。自身が何者かを知るために──そうしなければ、何処を目指して良いか分からなかったから。
脳や記憶を除いた、肉体のみの逆行。そう壊理に願ったのだ。
ところで、【巻戻し】の効果は単なる時間逆行に留まらない。成人した人間を子供に、胎児に、胚細胞にまで戻して消滅させることができるばかりか、命を保ったまま類人猿や猿に戻せる可能性さえ秘めた、まさに奇跡のような能力。
そこには当然、使い手たる壊理の意思が反映される。しかし彼女は自分の“個性”への理解が浅い。
頼まれたのは改造前への時間逆行で、本人もそうするつもりで使っているが、無意識の願望もはっきりと
「え…………」
「黒霧、お前……」
顔色を真っ青にした壊理。目を見開く弔。
黒霧はまず、自分の視界がクリアなことを自覚した。これまではずっと薄く煙った視界で過ごしていたのだ。
「おや……おや?──“個性”が……これは困りましたね」
かつてAFOは【命令】や【強制】に類する“個性”で黒霧に制約を課した。その一つに『“個性”の黒いモヤで常に素顔を隠せ』というものがある。
AFOが死亡した時点でこの鎖は緩んでいたが、今や完全に破壊された。『黒いモヤ』が出せなくなってしまったからだ。
【巻戻し】が意図せぬ結果を招く可能性はいくつか想定していた(例えば記憶を失った場合に備え、自分へ宛てたビデオレターを撮ってある)。
しかし“個性”が変わるのは想定外。【ワープゲート】という“個性”は下僕に与えるには余りにも強力なことから、自分の“個性”は生まれつきこれだったと推測していた。
(今や知る者はないことだが、【ワープゲート】は男子学生が持っていた
理由がなんであれ、バーに引き籠もって潜伏している三人にとって【ワープゲート】の喪失は大問題だ。だから黒霧はそのことばかりに気を取られていた。
一方、死柄木達の混乱はまるで方向が違う。
「黒霧……お前、女だったのか?」
「何を言うので──おや」
言われるまで気が付かなかったが、まず声が違う。見慣れた店内をぐるりと見回せば身長も少し縮んだらしい。バーテンダー風の衣服は丈や袖が余っているのに胸と尻周りがかなり窮屈である。
「どうやらそのようですね」
「落ち着き過ぎだろ……というか、なんで男物着てたんだ」
「どうでしょうね、可能性としては──」
答えながらスラックスのベルトを締め直し──ついでに中を確認すると、なるほど下着まで男物であった。
「何やってんのお前」
「いえ、確認を。恐らく身分の偽装ではないでしょうか」
顔を隠すよう命令されていた。つまり見られては困る顔だということ。であれば性別も装うことはありえるだろう。体格を変えるくらいは造作もない技術があったのだから。
「じゃ、じゃあ黒霧さんは元々女の人だったってこと? 私が変えちゃったわけじゃない?」
「あぁ、そんなことを心配していたのですか。安心してください、【巻戻し】で性別が変わるとは考えにくい」
「良、かった……私の、せいかと」
「まさか。それに直前までの記憶も消えていません。よくやってくれましたね、壊理」
安心してふにゃりと笑う壊理。黒霧も応じて、うっすらと微笑むように目許が和らぐ。
分かりやすい笑顔ではなかったが、その表情がよく見えることは壊理を大いに喜ばせた。
──繰り返すが、黒霧の素体は男子学生である。これは【巻戻し】による性転換に他ならない。
全ての胎児は女性に近い身体で生育し、男児だけは男性体への転換作業が(母親の胎内で)行われる*2 。よって全ての男性は【巻戻し】によって女性になりうるのだ*3 。
「それで黒霧、お前これから…………」
「死柄木弔?」
「いや、黒霧って外見じゃねーなと」
口籠った死柄木の言葉に、よく磨かれたバーカウンターを覗き込んでみれば……確かに。
【ワープゲート】という黒モヤを失った上、露わになった癖っ毛は青みがかった白、瞳も空色。改造前のものだろう“個性”は白い雲を生み出すもの。『黒』の要素がない。
「では白霧で」
「そのまんまじゃねーか。そもそも霧って白いもんだろ」
「では霧で」
「……そーかよ」
外見が大きく変わったことに戸惑いのあった死柄木だが、話してみればこれまでの黒霧と何も変わっていない。それが分かって肩の力が抜けた。
「で、お前これからどうするつもりだ。元の家族でも探すのか」
「まさか。……元々は、警察か公安委員会に忍び込んでデータベースを洗うつもりだったのですが……」
黒霧は──改め、霧は──自分が何者かを知りたいだけで過去に戻りたいわけではない。今ここにある繋がりを捨てるつもりもない。
だから記憶までは戻してもらわなかったのだ。壊理の力ならそれも叶うだろうと察していながら。
具体的には、生前の自分が一般人だったのかヴィランだったのか、あるいはヒーローやその卵だったのかを確かめるつもりでいた。
もっともそれは【ワープゲート】がある前提で、侵入と脱出がほぼノーリスクでできると考えられたからこそだ。今は……直前まで座標を把握していた場所にゲートを開こうとしても全く手応えがない。
「なら強引に突破するか」
「死柄木弔。退路のあてもない攻め手は下策です」
「邪魔する奴なんか全員殺せば良いだろ」
死柄木の言葉に、壊理は悲鳴を漏らしかけた。恐怖や緊張が溢れている。
それを痛ましく思いつつも、霧にはより優先すべきことがあった。
「それが可能かという問題もありますが……いえ、今は喫緊のことから取り組むべきです。急いで拠点を変えましょう」
「あ?」
「ここは安全ではありません。説明は道中でします、急いでください」
急かす霧の先導で、一行は住み慣れたバーを後にした。
──三人がそれぞれに、小さくない不安を抱えたまま。
細かい部分はかなり曖昧にされたけれど、とりあえず困っていることははっきりした。なんとも現実的で世知辛いことに、一言で言ってしまえば──生活費。
お金の問題である。
今すぐどうこうは無いものの、稼ぐ手段を失って使う一方になってしまった、と。
色々と苦労していたようで、霧さんの外見は『色白で痩せ型』なのか『寝不足だしやつれてる』なのか判断に迷う感じだったんだけど、壊理ちゃんによると後者らしい。
今日ここに来てるのも、彼女の発案で霧さんに気晴らししてもらいたかったんだって。
「そうだったのですか、壊理」
「いい子だね壊理ちゃん。何か甘いものでも奢ってあげよう」
せっかくお店に入ったのにメニューの金額を気にする様子も切なかったから、思わず大きなパフェ奢っちゃったよ。夢中で食べてる、可愛い。
それにしても、お金かぁ。
「“個性”が変わってしまったというのも驚きですけど……確かにワープなんて便利な“個性”なら、働き口には困らなかったでしょうね」
「えぇ。先月までは“荷運び”などを手伝えば暮らすに困らなかったのですが」
“荷運び”、ね。ブツのヤバさからすれば運び屋とか呼ばれるお仕事だろうに。
ワープできる運び屋なんて無敵だから儲かったとは思う。リスクといえば色々と知り過ぎてしまうこと位で……あぁ、だから急いで拠点を変えたのか。いつでも悠々と避けられるはずだった口封じから逃れるために。
その辺りは得心がいったのだけど……うーん。
もうちょっと、踏み込んで確かめておきたいなぁ。
他の人にできないことを特殊技能で代わってあげればお金は手に入るだろう。それは分かる。
けど大抵のヴィランはそんな面倒な稼業はやらない。もっぱら短絡的に、一般人からの恐喝や強盗でお金を得ようとする。
もちろん犯罪だけど不可能ではなかったはずだ。死柄木もいるんだから。
霧さんは何故それを選ばなかったのだろう。少なくとも、貯えを切り崩しながら糊口を凌いだりこうして私に弱みを晒したりするよりは、ずうっと流されやすい誘惑だったろうに。
その辺りを訊ねてみると──
「それは……私が過去にヴィランとして指名手配などされている可能性を警戒して」
「…………なるほど」
──はぐらかされた、と思う。だってそれが本心なら今ここでも顔隠してるはずだし。
誤魔化し自体は別に構わないんだけど、実際のところはどうなんだろう?
壊理ちゃんの目や情操を気にしてヴィラン活動を避けてるんなら優しい話だ。そのまま社会復帰してほしいものだけど、希望的観測が過ぎるかな。
或いは壊理ちゃんに関係なく、ヴィランの親玉に操られていない霧さん元来の性格が正義感に溢れるものだった、とか?
考えを巡らせながら小粒のメリットを提示する。まずは信頼を得ないと話にならない。
「私の方でデータベースを調べてお伝えしますよ、過去のヴィランまたは行方不明者として霧さんの顔が登録されてるかどうか」
「……助かります」
どんな理由であれ、犯罪を控えてくれるならそれはありがたいことだ。どうか真っ当なお仕事で生きていってほしい。
「コンビニ辺りのアルバイトって身分証とか要るんでしたっけ」
「一般的な仕事ならどこでも求められると思いますが」
「すみません、アルバイトってしたこと無いや……そういう身分証って
「は?」「ア?」
「え?……あっ」
──おっと。
ヴィランの思考をトレースしてたせいか、ついついアウトローな発想が飛び出してしまった。いや普段から割とこんなことしか考えてないけど。口に出しちゃったのは反省だな。
「雄英生の妹にしては大胆な発想ですね」
「あはは……まぁまぁ、私のことは良いじゃないですか」
なお、USJ時より大幅に縮んでいる私は兵怜カリナではないと思われている。彼らにとっては憎き敵だろうから、好都合とばかり
嘘はそれだけだ。他は何も偽らず、一緒に最善を考えてみよう。
「んー……大きく分けると三つの選択肢があると思うんです」
「三つ、ですか。一つは開き直ってヴィランになる?」
「はい。それを択ぶなら私は何のお手伝いもできません」
これは当たり前の線引きだ。手伝いをしないどころかはっきりと敵対することになってしまう。そうはなりたくないものだけど。
「二つ目は、身分証の偽造だとか無許可で“個性”を使うとかしつつ、人を傷つけずに働いてお金を稼ぐ、言うなればグレーな道です」
こういったことは霧さんも考えていたようで、表情は厳しいものの気乗りしたような返答をくれる。
「あぁ、商売は原資さえあればと考えてみたこともありますね」
「お。何だか訊いても良いですか?」
「“個性”については明かせませんが、リサイクルショップのようなものは出来ると思っています」
この発言に期待の眼差しを向けてきたのは、それまでパフェに夢中だった壊理ちゃん。
……きっと壊理ちゃんの“個性”がリサイクルに役立つんだろうね。気付かないふりをしておこう。
「良いと思いますよ。修理の作業は普通のリサイクルショップでも隠れたバックヤードでやることが多いですから。こっそり“個性”使ってても比較的バレにくいと思います」
「……不法行為を責めないのですか?」
「それは今更じゃないですか」
大袈裟に肩を竦めてみせる。
そこに、これまで不機嫌そうに黙っていた死柄木が口を挟んできた。
「出来もしねえことを
……なるほど。出来るわけがないと彼は考えるのか。
その発想は、例えばヴィランの家庭で育った人などに──こう言ってはなんだけど──典型的なもの。やるだけ無駄だという
内心カチンとくる。口には出さないけれど言い返したくなる。
──試してもいねえことを諦めんな、無精者。
TSに戸惑うのもいいけれど、泰然として冷静に『下着は男物……ブラジャーはともかくこれらは今後も使えそうですね』とか考えるジト目お姉さんもいいと思いませんか?
(まぁここまでなんの感慨も無いのは、男性的な恋愛感情や性欲について一切の記憶や実感を持っていないせいなので、その点にハスハスするのも不謹慎ではありますが。
そもそもTSした自覚もないし現状を悲観するようなタイプでもないので、可愛いと思って頂ければ遠慮なくハスハスしてください。
ただしこのお姉さんも善属性ではない点と、本人やガードマンから容赦ない反撃を喰らうおそれがあることにはご注意されたし★)