サフィエが旅を始めてから百年以上の時が過ぎた。
訪れた地での滞在期間は凡そ十年から十五年。老いないサフィエが留まれるのはそれが限界。この百余年で彼女が回れた地は六ヶ所でしかない。
それでもサフィエの蒔いた種はその地に芽吹き、根付き、周りの地に広がって行った。
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旅を始めて最初に向かったのは港町ファーティから直線距離で五百キロメートルほど東にあるシャティウルハリ国。
そこにはダニーロフの古馴染みである人物が治める領があるからと彼から聞かされ、手始めにそこから始める事に決めていた。
ダニーロフからの身元保証書と紹介状のお陰で領主との面会もスムーズに行われ、領内で新しい作物等を広める許可も直ぐに得られた。
しかし作付けが許可された現地に行くと、そこは出来たばかりで開墾も進んでいない開拓村。領からの援助も殆ど無く入植者達は食うにも困る有様だった。
件の領主は、ダニーロフからの紹介とは言え、成人もしていないような小娘(実際には三十路過ぎ)を信用していなかった。
現状で問題の無い農地を任せてダメにされたら大損だし、サフィエの言う土地に合う新しい作物や農法、農民への教育などには全く関心が無かった。
ならば自分に損が無い、潰れる前提で、食い詰め者どもや都市部に違法に住み着いていた貧民どもを送り込んで作らせている形だけの開拓村へと送り込んでいたのだ。
サフィエが聞くと、ここに居る人達は元は浮浪者や貧民街、所謂スラムの住人で、農業の経験者は皆無。僅かな種籾と人数分にも満たない粗末な農具を持たされ、困窮者救済の名目で、まるで捕縛された罪人のような扱いをされながら無理やりこの場所へ連れて来られたのだと、諦念が浮かぶ虚ろな目で村の代表者が話してくれた。
サフィエは激怒した。チアノクの教えにある相互扶助を歪んだ形で行っている此の地の主を悔い改めさせねばと決意した。
領主とは綺麗事や善意だけでは務まらないのはサフィエも理解している。しかし、この仕打ちは余りにも非道ではないか。
困窮者を都市部から何とかしたかったなら、こんな乱暴な事をしなくても他にも様々な遣りようは有ろう。ここの領主がダニーロフの古馴染みだろうが何だろが、弱者を虐げる唾棄すべき奴をこの際だから無視して勝手にやってやる、とサフィエは決意した。
しかし、まずは飢えに苦しむこの入植者達をなんとかしなければならない。幼子や乳飲み子を抱えた母親も居るのだ。
『タマちゃん、麦と豆と塩の在庫確認! 十分あるなら大至急二百キロずつ送って! あ、ちゃんと脱穀してあるやつね。それと鍋釜食器二十、いや三十人分。あと粉ミルクと哺乳瓶も五人分!』
『着陸場所の指示を要求』
『背に腹変えらんない状況だから、ここに直接乗りいれちゃって!』
キレると自重が吹き飛ぶサフィエ。初手からのやらかしである。
要請を受けオオワタツミに曳航され中つ海を
腰を抜かし恐れる村人達を
簡単に塩で味付けしただけの豆を入れた麦粥を作る。トヨタマビメが気を利かせたのか圧力鍋も荷物に有ったのでそれを使って豆は柔らかく煮る事が出来た。
「取り敢えず簡単な物だけど出来たわ。食べて。あと赤ちゃんの居るお母さん、お乳の出は大丈夫?」
安心させる為に微笑みながらサフィエが村人達に声を掛けると、拝まれた。
口々に、ありがたや、神々の御使いさまだ、いや慈悲の神の使徒さまだと言われ、それはもう拝み倒された。
その日、村人達は久し振りに満足のいく食事が出来た。
その後は適宜食料を輸送用ドローンを使い補給をしつつ、村人達の体力の回復を待ち開墾を進めて行く。農機具はサフィエから高品質の物が提供された。
サフィエが率先して働くので、元気になった村人達も「女神さまに続け」とばかりに働く。
いつの間にかサフィエは御使いさまから女神さまに昇格されていたらしい。
ここで伐採や切り株の掘り起こしや馬車に積んでおいた馬鍬を使った耕耘にと、偽装ロボットホース(ウミサチヒコとヤマサチヒコ。サフィエ命名)が大活躍した。二頭の正体を知らない者達からは、大人しい上に人の指示を理解して黙っていても仕事をこなす、賢い名馬と思われていた。
サフィエは大地と同様に、人も拓き耕し育てた。
読み書き計算を教え、記録を残す事を教え、チアノクの民として徳を積むことを教え、育んだ。
新規作物は勿論の事、既存の作物の生産性を上げる智恵を授け、人口も増えて開拓村は何時しか豊かな村へと変わっていった。
志を持つ者には金狐の宿塾への紹介状を
代替わりした領主は、父親と違い非常に協力的で、何くれとなく支援して貰えたのも大きかった。
噂は噂を呼び、元開拓村には教えを乞う人々が訪れ、新しい作物や技術、教育が領内に広がって行く。
そうして最初の地での二十年は瞬く間に過ぎた。
来たときにお乳が出ない母親に抱かれていた乳飲み子達も皆立派に成人し、あの諦念を露わにしていた代表者だった男は村長として十年を勤め上げた後に引退し、既に鬼籍に入っていた。当時の現役世代だった村人達も老境に差し掛かっている。
「収穫も安定したし、人も育ったし、歳を取らないのを誤魔化すのも苦しくなって来たしで、そろそろ次へ行くべきかしら」
最近は私塾で子ども達に教える事が増えたサフィエは独りごちる。
「塾の後継者候補も、任せても問題ないレベルになってるし。うん、そうしよう。それにファーティの様子も見ておきたいから、一度帰ってみよう」
諸々の引き継ぎを済ませると、惜しまれながらもサフィエは再び旅に出た。
『次は東方の北の方に行こうかな。寒冷地向けの作物も広めないとね。タマちゃん、
『要請受諾』
『タマちゃん相変わらず堅いよぉ。付き合い長いんだから砕けても良いんじゃない?』
『本要請は以前より検討中』
『いけず~』
ロボットホースのウミサチヒコとヤマサチヒコが蹄の音を響かせて馬車は進む。穏やかに旅は続く。
* * * * * *
港町ファーティへ、サフィエは『サフィエの娘のフェニド』としてと足を運んだ。
金狐の宿塾は規模も大きくなり、名称もスヴァーリ
すっかり様変わりしてしまった嘗て暮らした場所。その敷地に入り受付で自分で書いた紹介状を出しフェティエとの面会を希望すると怪訝な顔をされた。
聞くとフェティエは先年、第一線から退き、今は非常勤で講義を行っている。そしてファーティの近くの宿場町スーコンサルで夫と半隠居生活を送っているとの事。
―それもそうか。フェトも五十歳過ぎた頃だもんねぇ―
とサフィエは納得した。
受付に礼を言い、妹の住まいを教えて貰い、サフィエはスーコンサルへと向かう。
フェティエの住まいは直ぐに見付かった。スーコンサルで道行く人に聞いたら「門扉の所に狐の像が置いてある家? ああ、知ってるよ」と即答だった。
そこに着くと確かに受付で教えて貰った通りに門扉の両側にデフォルメされた狐の置物が置いてある。
建物はフェティエの趣味らしく可愛らしい色使いにデザインだった。
「ごめんください! フェティエ様はご在宅ですか? わたしサフィエの娘でフェニドと申します!」
呼び鈴を鳴らし少しドキドキしながらサフィエは玄関から呼び掛けた。
家の中からパタパタと駆ける音がして、玄関が開けられると、老境に差し掛かってはいるが美しい婦人が現れる。目尻に小皺増え少し老けてはいるが、サフィエが見紛うはずがない、フェティエだ。
現れたフェティエは目を見開きサフィエを見つめると、両手を口に当てる。と同時にその見開かれた双眸からは涙が溢れた。
「あ、あの……」
戸惑うサフィエに妹はきつく抱き付いた。
「ひぐっ……、姉さん……、姉さん……」
―やっぱり分かっちゃうか―
いつかのようにサフィエは抱く付く妹の背中を優しくトントンとあやすように叩くのだった。
フェティエが落ち着くと、サフィエは家の中に招き入れられる。
夫のアルペレンと長男は学考舎へと出勤しているし、次男以下との息子達は独立、娘達は既に嫁いでいる。
「この前ね、孫が生まれたの。わたしももうお婆ちゃん。それにネケサとエディトだけど二人とも、もうお母さんよ?」
お茶を飲みながら姉妹で話す。このお茶はサフィエがファーティに持ち込んで栽培されたものだ。
「ネケサとエディトに子供が……。わたしもフェトと同じでお婆ちゃんだわ。そう言えば手紙はタマちゃんドローン便で届けてたけど返事は来なかったのよね」
「ええ? あの子達、ちゃんと書いて交易商人に渡してたわよ? それにわたしも何度か出してるし」
「ひょっとしたら……。あのクソ領主か……。やってくれたわ」
どうやらサフィエ宛ての手紙は全て途中で彼の領の領主、それも親子二代に止められていたらしい。
『タマちゃん、あのクソどもの屋敷で、わたし宛ての手紙の捜索をお願い。派手にヤっちゃって良いよ』
何となく『殺っちゃって』に聞こえたのは気のせいかも知れない。
「手紙、まだ続けるの?」
「う~ん、ほら、わたしってこんなんでしょ? そろそろ『サフィエ』としては死んだ事にして消えようと思ってるのよ。そのために、あちらを離れた後は偽名を名乗って娘と言うことにしてるの」
「そうなんだ……。わたしは姉さんが歳を取らない事を知ってるから、そうするのは分かるけど……。皆、悲しむわね……」
暫し、しんみりとして無言になる姉妹。空気を変えたかったのかフェティエが姉を
「そうそう! こっちにまで姉さんの噂が流れて来たわよ。何でも『豊穣の女神の御使い金狐族の美少女』が現れて荒れていた開拓地を豊かにしたとかなんとか」
「ぐはぁ!」
ダメージを負うサフィエ。それを見てコロコロと笑うフェティエ。
しんみりとした場面も有ったが賑やかに楽しく姉妹は二十年ぶりの再会を楽しんでいた。
しかし、サフィエはいつまでも留まる事は出来ない。別れの時は来る。
「暫く泊まって行けば良かったのに」
フェティエが引き留めるが、サフィエは悲しそうに首を振る。
「駄目よ。偽名を使っても、わたしを知ってる皆には、きっとバレてしまうわ。特にネケサとエディトには」
「そうかぁ……。姉さん、また会えるわよね?」
「そうね。今度は『サフィエの孫』とでも名乗って会いに来るわ」
二人はどちらともなく抱擁し、別れを惜しんだ。
「フェト、またね」
「うん。サフ姉さん、またね」
再びサフィエは旅へと戻る。後ろ髪を引かれながらも旅路へと。
スーコンサルを後にしたサフィエは東方でも寒冷地が広がる北へと馬車を向ける。
最初の地ではトラブルも有ったが、結果的には概ね上手く行った方だと彼女は思う。
北へ南へ、そしてまた東へ。
サフィエの旅は続く。
本人の与り知らない所で豊穣の女神の信仰を振り撒きながら。
明日の投稿も午後6時になります。