叡智の洞窟からの『西方にて再び侵攻軍が興りつつあり』知らせは各地に衝撃を与えた。
使者が来訪して書状を受け取る、そんな通常の手段であったなら信じられなかっただろう。
書状を運んで来たのは空を飛ぶ異形。更には、どういう絡繰りか魔法か、壁に映し出された危機を訴えるティキユバスと叡智の洞窟の代表を名乗る金狐族の娘と西方での集まりつつある軍勢の様子。
知らせは現実離れした手段によるものであったが、前回の侵攻を覚えている多くの為政者にとっては、まやかしだと一笑に付すには無視出来ない内容の知らせだった。
サフィエ・スヴァーリと名乗った叡智の洞窟の代表は映像の中で、住民避難と各地の連携協力による備えを訴え、各地の連絡網の構築には叡智の洞窟は全面協力する事と併せてティキユバスでは出来うる限りの数の避難民の受け入れをする準備が始まっている事も伝えた。
ティキユバスでは重機によって避難民向けのキャンプ地の設営が行われていた。
無闇に森林伐採などを行わずに、将来的に農地として使えるような場所を選定してある。
一区画あたりの収容人数を決め面積を出して区割りをし、各区画毎に人数に見合う共同の水場、炊事場、トイレを設ける。
「長引くようなら仮設住宅も考えないと……」
「いや、先生。前回と同じなら奪うだけ奪って、兵糧が無くなりゃ撤収するんじゃないか? 心配するほど長引かないと思うぞ」
サフィエ達は叡智の洞窟内にある閲覧室の一つを対策本部にしていた。
ここには刻々と変化する状況がトヨタマビメ(が操作するドローン)によって地図上に反映されるようになっている。
プロジェクターによる投影は、やれ目が疲れるだの、近付くと影が出来て見えなくなるだのと不評だった。
そこで航空写真とそこに被せる透明樹脂シートを用意して大きなテーブル上に広げる。これなら地図は汚れないし、サフィエが(オオワタツミを使って)用意した水性ペンで地図上に書いて消してが出来る。トヨタマビメにドローン操作で状況を書き込んで貰ったり、シンボルを付けた駒などを置いてそれを動かして貰えば、状況をほぼリアルタイムで地図上へ反映出来る。
「近隣からの避難民は概ね集まって来てるな。問題はドーボァズ国がな……」
「ったく、先生の事を魔女だなんだ言いたい放題言いやがって。挙げ句に協力を拒否とか何考えてんだよ」
古参の二人がボヤきつつ、キャンプ地の現場から上がって来る資料を見ながら地図上に避難状況を書き込んで行く。
「あー、それは仕方ないよ。元カァフシャアクの王族で百年以上前の元王女だって正体バラしちゃったし」
「なるほど。今更出て来てデカい顔すんなって事か」
「まぁ、得体の知れない相手を怖がってるんじゃない? わたしって、十五かそこらの小娘にしか見えないし」
「確かに九人の子持ちには見えんわな」
対策本部に笑いが起こった。
「でも困りますな。
「仕方ないですよ。我々は武力を持ってませんから西方の動向を知らせて動いてもらうしかないですから」
皆、口は動かしながらも皆淡々と書類の処理を進めて行く。
『タマちゃん、ドーボァズのホントのとこはどうなの?』
『相当数のスウツノ教徒が元カァフシャアク領土の市井に存在しているものと推定』
『そっか……。対岸で動きが無かったのはそう言う事かぁ。こっちの情報も渡ってる可能性高いよねぇ。ふむ……』
考え込むサフィエ。暫くして視線を感じ、はっとして周りを見ると、この場に居る全員が此方を注視している。
「ごめん、ちょっと考えに没頭してたわ」
「何か策でも思い付きました?」
小首を傾げ頬に指を当てるあざとい仕草でサフィエは言う。
「んー、餌を撒いて十万の大軍を一網打尽に出来ないかなぁ、なんてね?」
古参の北方矮躯族の一人がギラリと目を輝かせた。
「ほほう。是非とも詳しく」
* * * * * *
ドーボァズ国はカァフシャアク王国滅亡後にその領土を占拠した国から、凡そ七十年前に各地に残っていた旧カァフシャアク王国の貴族・豪族が反乱を起こし、それにより独立した貴族・豪族が合議制を採る国であり、首班は持ち回りで力のある貴族から選ばれる。
その国の議場にティキユバスから使者が訪れていた。
「これが目録でございます」
ドーボァズ国はティキユバスとの協力を拒んだが、ティキユバスとしてはドーボァズは最前線として持ち堪えて欲しい。
それ故に幾隻もの船に支援物資を満載にして訪れたのだ。
その中には純金塊五万ファラ(およそ五百キログラム)も含まれていて、その現物は彼等の目の前に置かれていた。
目録を見たドーボァズの首班はほくそ笑む。特に要求などしていないのに、大量の食糧と五万ファラもの金が只で手には入ったのだから。
「確かに。此方で確認した現物とも相違ない。ご苦労であった」
首班は感謝の言葉も言わず、とっとと去ねと言いたげな態度で使者に返す。
「必要であれば、まだまだ支援は出来ます故に。それではこれで。貴国に神々と聖霊と祖霊の加護があらんことを」
そう挨拶すると使者は議場を後にして帰って行った。
「濡れ手に粟とはこの事ですな」
「全くだ。それにしてもティキユバスか。カァフシャアクの王族を騙る者が率いる得体の知れない者共め。それにしても見よ、この黄金。あの言い様では、まだまだ
上機嫌な議長が首班に問う。
「搾れますかな?」
「いや、もう時間も無い。残りは先方にお任せしようではないか」
議場は賛成の拍手で沸いた。
* * * * * *
「やっぱりって感じでしたね」
金塊に仕込んだ盗聴器により、事の荒ましをリアルタイムでトヨタマビメを通して聴いていたサフィエがそれを皆に告げていた。
それを聞いての言葉である。
「これで餌に食い付いてくれるかどうかだな」
「ドーボァズの一般民衆の事は考えなくても済むから負担も減るな」
ドーボァズ国を支配していたのは結局はカァフシャアク王国が滅ぶ前にスウツノ教に転んだ貴族の子孫たちだった事で事態が明確になった。
ドーボァズ対岸で動きが無かった事も、こちらに協力する気が皆無だったのも納得出来る。
「東方各地にこの事を知らせますか?」
「止めとけ止めとけ。折角食い付きそうなんだ。あいつ等に他国を通してバレているぞと知らせる事は無い」
仕込みは終わった。後は餌に釣られて獲物が来るかどうか。
「それで先生。どうやって十万の大軍を一網打尽にするつもりですかね」
「まき網漁よ」
「え?」
一同、サフィエが何を言ってるか理解出来ずに動きが固まる。
「まき網漁ってアレですよね。二艘の舟使って網でぐるっと囲む」
「うん、それよ。あいつ等、船団組んで来るんでしょ? でっかい網で囲んで一纏めにして沖に引っ張って行って孤立させて無力化」
「いやそんなデカい網とか船とか、あと一ヶ月も無いのに用意できるんですか?」
「出来るんだな、これが。でもどうやってとか、どんな船だとかは内緒よ。ふふっ」
悪戯っぽくサフィエが笑う。
「かーっ! 何だよ何だよ。気になるじゃねーか! でも、捕縛した後はどうすんだ?」
「もちろん解放するわよ?
捕虜の処遇は、以前にトヨタマビメと検討していた事を採用したらしい。
船団捕獲後に捕虜たちは順次
「まぁ、餌に食い付いて団子になって来てくれないと無駄になるんだけどねぇ」
「しかし、十万の大軍を魚扱いですか。武力で相手するよりも、えげつないですね。漁獲される相手が哀れですよ」
* * * * * *
中つ海を大船団が進む。全てが帆走併用のガレー船で、その船の数は二千を数える。兵員の数は漕ぎ手を兼務している者を含めると二十万人。これはトヨタマビメの予測の二倍にもなる。また戦闘に参加しない漕ぎ手の奴隷は十万人である。
ロールムレムを出た船団、いや艦隊は中つ海の沿岸部を進み、ドーボァズとその対岸の領で補給を受けた後、一直線に沖乗りでティキユバスへと向かっていた。現在その距離およそ百五十キロメートル。
ドーボァズから『ティキユバスは財宝を唸るほど貯め込んでいる』との報告を受けた西方諸国の権力者達は色めき立った。
証拠の一部としてドーボァズから献上された純金塊が彼等の欲の後押しをする。
そしてティキユバスは東方に出回る知識の大本である事も伝わった。
これにスウツノ教が反応する。
神の教えを冒涜する、神に対する不敬であり罪であり悪である知識の巣窟、悪徳な異教の首魁を滅する機会だと信徒に呼び掛けた。
結果、トヨタマビメの予測を超えて二十万もの大軍に膨れ上がったのだ。
奴隷達が櫂を漕ぐ一際大きなガレー船の船首に、この船団、東蛮征伐艦隊と名付けられたらこの船団の総司令官であるスウツノ教の大司教、パオロ・ライナルディが広がる海原を眺めながら立っていた。
「忌むべき穢れた地までどれくらいかね」
「ライナルディ大司教に申し上げます。夜間は篝火を焚き奴隷どもに昼夜を問わず漕がせております。順風も受けておりますれば明日の昼までには着きましょう」
「そうか。神から我らに与えられた富を取り戻し、それを不遜にも窃盗していた邪教徒どもを滅するのも、もう直ぐか」
これからの略奪と、その後の栄達を思いライナルディ大司教は機嫌を良くしていた。
まさか自分達が脱出不能の罠の中に突き進んでいるなど思いもせずに。
そして夜を迎えた。篝火を焚き星を頼りに船団は進む。
その夜の海中で巨大なモノが彼等を絡め取る為に動き出した。
* * * * * *
『目標群、捕獲範囲に入る。洋上プラットフォーム・アマビエ、目標群南の所定位置にて待機。捕獲網海中にて捕獲範囲に展開済み』
『よーし、タマちゃんいくよー。
『捕獲網全ブイ、ブロー。本艦も浮上します』
東へ進む東蛮征伐艦隊の予測進路の南、つまり艦隊(船団)の進行方向右手に待機させた洋上プラットフォームから、艦隊の後方を時計回りにぐるりと、捕獲網を海中に展開しながら回り込んで囲んでいたオオワタツミは浮上した。
上下に網を支持する柱を備えた浮沈可能なブイも一斉に浮上する。海上と海中の両方に網があるのだ。支持柱は直立させる為に海中の方がかなり長い。
この捕獲網、カーボン・ナノチューブを使った繊維で作られており、ちょっとやそっとでは破れないし、人が登ろうにも細すぎて、下手に素手で触れると肉に食い込む危険物だ。
更に浮上すると網には電流が流れ、触れると死なない程度に感電する。
ブイとブイの間もカーボン・ナノチューブで作られたワイヤーで繋ぐ念の入れようである。
『全ブイ、浮上を確認。包囲完了。捕獲網、ブイ、ワイヤー全て所定の機能を発揮、異常無し』
『それじゃオオワタツミ側の端をアマビエに接続。巻き取りながらネノクニまで曳航しようか』
文字通り『一網打尽』にされた艦隊は訳も分からないままに一塊にされ、為すすべも無く曳航されて行った。捕獲作戦中にパニックを起こしたり船が破損して海に転落した者は作業ドローンよって救助されていたのは言うまでも無い。
これにより西方諸国は約二十万人の兵と、約十万人の奴隷と、約二千隻の船を一時的に失う事になった。
この作戦中、サフィエは自宅に居た。開始時は丁度夕飯の後洗い物中。その後は四つ子のおねだりで一緒に入浴からの寝かしつけ。そして朝まで最近北方矮躯族の奥様方から習った編み物をしながら作戦に参加していたのだった。
明日の投稿も午後6時になります。
次話が最終話となります。