ジョージ・グレンの告白から3年とたたずに世間の話題を掻っ攫っていった宇宙開発事業だが、CE17年のこの頃はその前、CE9年にL1で建造再開された次世代宇宙ステーション「世界樹」の改良型に当たる宇宙ステーションの建造ラッシュが始まったり、CE10年に本格化し始めた宇宙ビジネスがコロニー月面への資材調達基地として整備されたコペルニクス基地を経由して本格的に軌道に乗り始めた年であり、また、さらなる宇宙開発の為の設備が更に作られ始めた時期であった。
東アジアのカオシュン、オーブのカグヤ、日本皇国の種子島にマスドライバーが建設され始めたのもこの頃である。
これらの宇宙開発施設建造ラッシュはCE20年代を通して続き、その後は宇宙におけるコロニー建設がメインとなって宇宙開発は続いてゆくことになる。
そしてそれらが一段落してきたCE30年
話題から地味に消えかかっていたコーディネイターの件についてパレスティナに各宗教界の権威者が一堂に会し、コーディネイターに関する議論を行う「パレスティナ公会議」が行われる。
しかし、半ば当然の話だが各宗教界それぞれで別個にスタンスを構築していたために結論はまとまらず、会議は7日通して行われたが特にこれといった結論を出せずに終了。
結果としてコーディネイターの是非に宗教は結論を出せないとして大半がその権威を失墜させることとなったのだ。
これ以前から
【遺伝子コーディネイトしてコーディネイターを産むのは自由だが、子供の遺伝子を弄るほどの干渉をした以上、生まれた子に対する親の義務は更に重いものとなる】
としてコーディネイターを寛容する代わりにコーディネイターを生んだ後について、その養育責任の重さを追及する態度を確立させていた日本の神道、仏教系は唯一その流れから逃れることができたが、その事実も相まってコーディネイター寛容論が世界に蔓延。
それまでコーディネイトやコーディネイターに対して非常に厳しい態度を取っていたユーラシア、大西洋連邦もその警戒が一気に緩む程の猛烈な勢いで一気に第一次コーディネイターブームが到来。
この頃から幾度かに分けてコーディネイターの総数が一時期に急増する傾向が現れるようになる。
この寛容論が終焉を迎えたのはCE40年頃だ。
この頃になるとジョージ・グレンの告白から年月が大分経ち、最初期に生まれたコーディネイター達が成熟したのもあってか彼らが学術・スポーツ・芸術の各方面で大きな成果を上げ始めたのだ。
これは遺伝子操作のない人………俗に言う「ナチュラル」とコーディネイターとの能力差が顕著に現れ始めた事を指し、それによってナチュラル、コーディネイター両者間で差別問題に発展、ナチュラルの反コーディネイター感情とコーディネイターの反ナチュラル感情が一気に悪化し始めたのである。
これが引き金となり、狂信的カトリックやイスラム原理主義過激派、ブルーコスモス構成員等の武装遺伝子差別主義団体が地下で結集、各国に対して行われていた反コーディネイター運動が過激化することとなり、ついには武力テロが発生するようになってしまう。
CE44年に大西洋連邦、ユーラシア連邦、東アジア共和国の共同出資の下完成し、建造拡大が行われていた「プラント」と呼ばれる工業コロニー群も、反コーディネイターのテロ行為の標的となっていった。
これらに対し各国はテロ行為への対策を勧めていったが、既に多くのコーディネイターが暮らしていたナーウィシアと、故あってテロ嫌いを拗らせていた日本の対応は特に強烈であり、この二国はテロ鎮圧に容赦なく軍を動員、時にはテロリストとその「協力者」を纏めて殲滅する程であった。
さて、前述の通り、この頃には既に宇宙開発も進み、宇宙コロニーもその数を増やして人の生活の場が宇宙コロニーにも広がっていった訳だが、世に盗人の種は尽きまじ、それに並行してコロニーを軸に宇宙空間でも犯罪は起きるようになり、暫く時を置くとついには宇宙海賊なんかも生まれるようになったのである。
これに伴い各国は宇宙における戦力拡充にも目が行くようになりそれまで警備艇に毛が生えたような程度だった宇宙艦隊が、それぞれに大きく拡充されるようになる。
CE47年にナーウィシア連邦共和国「ジャブロー」地下ロケット基地から打ち上げられ、ナーウィシア宇宙軍にて就役した宇宙巡洋艦「サラミス」級はその先駆けとして有名である。
さて、此処から先においては、この世界の各国と、宇宙開拓の流れで生まれた勢力「プラント」について軽く触れる必要があるため、次回はそこからとしよう。