君の代わりに呪いを受けたい:銀髪ハイライトオフ奴隷TS転生 作:愉悦・C・アグレッション
1話
人間に必要なものって何でしょう。
「おい、ガキ。お〜い? 死んだ?」
基本的人権とか、衣食住とか。
そういう「普通」のことなのでしょうか?
「ほっとけ。そいつ死んでるよ」
「しゃーねぇ。捨てていくか」
「代わりなんていくらでもいるしな」
かつては日本という国に生まれ、普通の暮らしをしていた私。
あの頃の私はありふれた「普通」を享受し、感謝すらしなかったというのに――今はこんなにも「普通」を渇望しています。
……いいえ。渇望なんてしたら、壊れてしまうから。
過去の記憶だけを拠り所に、私はギリギリのところで正気を保っているのです。
「最後に一発ヤッていくか?」
「冗談でもやめとけ。やばい病気持ってるぞ」
日本にいた頃の私は不慮の事故で死んで、漂っていた魂がこの世界に辿り着いた。
この世界に産まれた私は、始めから奴隷でした。
殴る蹴るは当たり前。口答えをすれば「おしおき」。主様の機嫌次第で食事が抜かれることもしばしば。
3日間食事を与えてもらえず、不衛生な床にあった汚水や蟲を口にして生き延びたこともあります。
常に両足を鎖に繋がれ、行動の自由はありません。
口は基本
生きるか死ぬかも主様たちの気分によって決まる。
ゴミ屑同然の人間。それが私。名前すらない使い捨ての奴隷です。
「行こうぜ」
「あ〜あ、顔は好みだからヤりたかったな〜」
主様たちの声と足音が離れていく。
私は見捨てられたのでしょう。
視界を上げようとするが、身体がぴくりとも動かない。目の前には傷み切った銀髪が地面に広がっている。視線を少し下に下げると、小さな手が横倒しになって赤い水の中で溺れていた。
――どうして、こんなことに……?
確か、馬車に乗っている途中に事故に遭って。私は誰かを庇って、お腹に木片が突き刺さって――
……あー……。
まぁ、いいか。
どうでも。
「……けほっ、けほ」
とてつもない寒気と不快感の中、胃の中からせり上がってきた液体を吐き出す。
すると、視界の中央にあった私の手が真っ赤に染まった。
「…………」
既に虫の息だった私は、その一連の動作だけで想像を絶する体力を消費した。
視界が赤黒く染まり、四肢の末端から感覚が消失していく。瞼がとてつもなく重くなって、私はどうしようもない強烈な眠気に襲われた。
……私、死ぬんですか?
そうですか……。
最悪の人生だったなぁ……。
……寒い。
……怖い。
くるしい。つらい……。
だれか……助けてほしかったなぁ……。
まず、血の味が消えた。次に鉄の臭い。更に、触覚。視覚。
そして、最後の聴覚が消えようかという瀬戸際の瞬間――
「何だ……っ!? 腹に木片が貫通して――!?」
男の人の、声がした。
「大丈夫かっ!? おい! 今治療してやるからな!」
主様たちとは違う、優しい声。一生懸命な声……。
「も、木片を抜くぞ……! っ、あぁ、ああぁ……痛いよな、ごめんな……もう少しの辛抱だからっ」
にちゃにちゃ。水と肉が混じり合った音がする。
いったい何の音でしょう。分からないですが、この人はとても辛そうな声を上げています。
「――! ――――!」
何かが噴き出す音がすると同時に、耳鳴りのような甲高い音が全てを掻き消した。
全て暗闇に溶け、消えていく……。
体感で言えば、昼寝から醒めたかのような短時間だった。
目が覚めると、私は知らない天井を見つめていた。
「…………」
しばらく、知らない天井を見続ける。
状況の整理のためではありません。
ただ単に、微睡みの後の余韻に浸っていたかったのです。
長い時間をぼーっとして無駄に過ごした後、私はいよいよ状況の整理に取り掛かった。
全身が謎の疲労に包まれていて頭が働きにくい上、何故か身体が動かせないとあって、状況把握には長い時間を要した。
記憶の欠片に触れた途端、あの日の出来事が電撃のように迸る。
「ッ……」
馬車。峠道。大雨。事故。木片。出血。それから――
――記憶と一緒に身体の痛みさえ思い出してしまったのか、あの日の様子がフラッシュバックする度に脇腹が酷く痛んだ。
確か……脇腹に木片が突き刺さって、そのまま動けなくなった……ような気がします。
「……布団なんて前世以来久々に見ました」
私の身体に被せられた布団を捲ろうとすると、その腕が包帯とギプスでぐるぐる巻きにされていることに気付く。
……誰ですか? 私のような奴隷にこんな治療行為をする物好きは。
あ……そういえば。私が気絶する前、誰かが話しかけてくれたような気がします。
男の人。優しくて、情熱的な声の方だ。
「……あの方は、いったい……」
この包帯とギプス、そして布団と個室。きっと、あの人が用意してくれたに違いありません。
何とか身体を起こそうともがいていると、唐突に肋骨の裏側をガラス片で傷つけられるかのような激痛が走った。
「――――」
呼吸ができなくなって、身体を支えるためのつっかえ棒にしていた腕の力が抜ける。
そのまま上半身から床に叩きつけられて、私は涙を流しながら痛みに喘いだ。
「いっ、ぁ――!」
ドン、と床が大きく音を立て、部屋のドアが軋む。私が苦しみに喘いで暴れる物音が、他人事のように聞こえた。
その騒ぎを聞きつけてか、部屋の中に誰かが入ってくる。
黒髪赤目の少年です。私よりも少し年上の少年。冒険者でしょうか。
「――君、目覚めたのか!? お、おい! 一旦落ち着いて!」
お腹の中が熱い。でも、それ以上に――
「ちょっ、暴れないで!」
――怖い。男の人が近寄ってくると、嫌な記憶が蘇ってしまう。
私を助けてくれたであろうこの人なら大丈夫と思っていましたが、予想以上に恐怖の感情は大きいようです。
私は身体を捩って彼を拒否し続けた。
「俺は変なことしないから、まずは深呼吸して!」
「……?」
「そうそう。ほら、吸って……吐いて……」
彼は一定の距離を置きつつも、子供をあやすように語りかけてくる。
……優しさに満ちた行動です。
でも、彼の気が突然変わらない保証なんてどこにもありません。
私は彼の腕を振り払って壁まで後ずさった。
「今動いたら傷が開くぞ」
冷や汗を流しながら彼が言う。
私は首を振って、近くにあった枕を盾のように構えた。
この人は知らないのです。
強靭な膂力に組み伏せられて力の限り殴られる痛みを。首を絞められ生殺与奪の権利を一方的に握られる恐怖を。暴力の限りを尽くされ、満身創痍になった身体に覆い被さってくる絶望を。
涙を流すことも、悲鳴を上げることも許されない。抵抗することも許されない。
――
己の目が見えることを恨み、耳が聞こえることに絶望し、痛みを感じることに苛立ちを覚え、五感が存在することを忌み嫌った。
10年以上も悪夢を見続けてきた私にとっては、むしろ異常こそが日常なのです。
部屋の中を見渡すと、隅の方に剣や甲冑などの装備が固まって置かれていた。
職業は冒険者なのだろう。……なら、尚更分からないです。私のような奴隷が味わってきた地獄の日々なんて。
「うッ……く」
「無理して動くから痛いんだろ。言わんこっちゃない」
「…………」
枕を投げようとして膝をつくと、彼は水入りのコップを私の傍に置いた。
「あったかいご飯置いとくよ。俺はしばらく外出してくるから、適当に食べてくれ」
そして、ほかほかと湯気を立てるスープを残して彼は部屋から出ていった。
「…………」
――毒が入っている?
いや、そんなわけはありませんね。私を助けておいて毒を盛るなんて、よっぽどの鬼畜じゃない限り有り得ないですから。
あの人は悪い人じゃないと理性では理解できても、本能に刻みつけられた恐怖が拭えない。
私は空腹だったにも関わらず、そのスープが冷めるまで布団の中で小さくなっていた。
「ただいま〜」
「…………」
「ご飯食べてないの?」
「…………」
布団の中から首を振ってみるが、同時に「ぐぅ」とお腹が鳴る。
恥ずかしくなって、私は更に深く布団を被った。顔は見えないが、彼にくすくすと笑われているんだと確信できる。
「お腹鳴ってるよ」
笑い混じりに言われて、私は枕をぎゅっと握り締めた。
「君がどんな扱いを受けてきたかは分からないけど……俺は乱暴なんてしないから」
「…………」
「毒とか入ってないよ? 火で温め直そうか?」
私の返事を待たず、彼は手のひらから炎を噴き出してスープを火にかけた。
「俺の名前はロック。……ロック・ジェラードだ。君の名前は?」
「…………」
もしかして、発言を許可してくれているのでしょうか……?
「はい」「いいえ」以外は独り言でしか喋ったことがない私。
人と
密かな勇気を振り絞って、私は彼に向かって口を開いた。
「……な、名前は、ありません」
「どういうこと?」
「……わっ私、親も友達も……頼れる人もいないんです。
「そうなのか」
会話をしながら、再び湯気を昇らせ始めたスープを目で追ってしまう。
温かいスープはもちろん食べたいけれど、この人に気を許すとダメな気がします。
私が張っていた防御壁が崩れていくような……そんな危機感があるのです。
……ただ、ご飯は食べたくて仕方ありません。
これまで食事と呼べるものを食べられたことなんて無かったから、前世以来のまともな食べ物を前にして感情が揺さぶられているのでしょうか。
そんな私がスプーンに手を伸ばそうとした時、彼はこんなことを言った。
「じゃあ、君に名前をつけよう。“フォスター”ってのはどうだ?」
「え?」
「キミ呼びじゃ不便でやりにくいんだよ」
「……ふぉすたー? どういう意味ですか、それ」
「響きが良いから、何となくつけた」
「…………」
身も蓋もない名前の由来に乾いた笑いが出そうになったが、それ以上に嬉しさが湧き上がってくる。
私は今まで「おい」とか「お前」でしか呼ばれたことがなくて。
この人は、私を初めて認識してくれた人かもしれません。
初めて味わう感情でした。
身体中に血が通っていくような、じんわりとした温かさ。
「……フォスター」
「ネーミングセンスないってよく言われるけど、気に入ってくれた?」
「……まぁ。悪くはない……です」
――フォスター、フォスター、ふぉすたー……。
頬が上に持ち上がっていく感覚がありました。しかし、実際はぴくりとも動いていません。
「……でも、どうして私を助けてくれたんですか? 私はアナタのことを信用できません」
「倒れてる人を見つけたら助けたくなるのが人間ってもんじゃない?」
「理解ができません。見返りもなしに奴隷を助けるような人がいるわけない」
「ここにいるけど……」
「本当は私の身体が目的だったのでしょう?」
身体目的。自分でその言葉を放って、思考が妙に冷えていくのを感じた。
彼は体裁を気にして、私に対して本音を告げていないだけなのかもしれません。
本当は私の身体をめちゃくちゃにするつもりで助けたのでは?
そんな下卑た思考が過ぎる。
だけど、彼は私の目を見て即答したのです。
「違うよ。助けたかったから助けた」
……悪人に骨の髄までしゃぶられても、「騙されたのが自分で良かった」と言ってしまうようなお人好し。
ロック・ジェラードはそういう人間なのでしょう。
さすがにそろそろ分かってきて、彼に対する私の評価は定まった。
悪辣な奴隷商人につけ込まれて破滅していく人を何度も見てきた私にとって、なるほど彼は非常に似た存在に見えます。
そんな男が私の面倒を見てくれるというなら、甘えられるだけ甘えてみましょうか。奴隷商人に捨てられた今、私の居場所はここしかないですし。
「……私は、アナタのことを何とお呼びすれば……」
「ロックで結構」
「ではロック様……これからよろしくお願い致します」
「よろしくフォスター! まぁまずはスープ飲んじゃってよ」
「……いただきます」
私はスープの容器を受け取って、ベッドの傍の机に置く。
そのまま上から液面を覗き込んだ。
彼は片腕を怪我した私を見て、食事の補助をしたそうな表情だったが……無視を決め込みます。
どうしても食事に集中したかったのです。
空気を通して伝わってくる食べ物の温かさ。野菜や肉が入ったスープの香ばしい匂い。
スプーンでひとくち分だけ掬って、口元に近づける。空腹の欲求に任せて、私は口の中に液体を流し込んだ。
「……!」
その温かさと味を感じた瞬間……どうしてでしょうか。
胸の奥が詰まって、目の縁から涙が溢れて止まらなくなりました。
視界がぼやけて、溢れ出した欠片が静かに頬を伝っていく。
「……おいしい」
「だろ!? 知り合いには下手って言われるんだけど、普通に美味しいよな!」
「はい」「いいえ」以外の言葉を喋っても殴られない。
会話をすることが許されている。
美味しい食べ物を食べることができる。
そんな普通のことが、こんなにも尊いものだったなんて。
「俺ん家に来たからには、毎日腹いっぱい食べてもらうからな!」
私は静かに涙を流しながら、ゆっくりと両目を閉じて深呼吸してみます。
胸が上下して、微かに動いていました。
このスープの味は夢じゃありません。
しかも、ロック様はしばらくここに居ても良いと取れるような発言さえしてくれました。
……こんな幸せなことがあって良いのでしょうか?
まだ完全には信じきれません……。
「……申し訳ございません」
「どうして謝るの?」
「私は感謝の方法を知りません。身体で支払えないとなったら、何をすれば良いのか」
「ははっ。感謝なんて、そんな。生きてるだけでいいよ。それに、感情を伝える方法なんて何百通りとあるんだ。ゆっくり探していけばいいさ」
「…………」
……ロック様のおっしゃったことは、よく分かりませんでした。
日本にいた頃は、きっと出来ていたのに……忘れてしまったのかもしれません。
私はあっという間にスープを飲み終わり、ベッドの上で傷ついた身体を横たえた。
寝ててもいいよとロック様から許しを得たので、その言葉に甘えて睡眠を取らせていただくとしましょう。
……こんなに安心しているのに、まだロック様を信じきれていないのはもはや病気の域です。
私の当面の目標は、この病気を治すことになりですね。
「……そういえば、ロック様はどこで寝ているのでしょうか……」
ロック様は一人暮らしをしているようだ。
しかし、他の部屋にベッドがあるような感じはない。
私、迷惑をかけてばかりです……。
後ろめたく思いながら、私は目を閉じました。
その夜、私は夢を見た。
温かい光に包まれて、ふわふわと宙を舞う夢。
生まれて初めて、私は悪夢を見なかった。