あいつが好きだ。
あいつの声が大好きだ。
あいつの声は聞いているとなんだか心が安心する。暖かいお風呂に入っているような、そうでないような、兎も角心が温かくなる。安心する。
あいつの匂いが大好きだ。
子供の頃───今もそうだが───に嗅いだ母親の匂いがする。眠気を誘うような、優しくて、相手を包み込む、そんな匂い。
あいつの血が大好きだ。
あいつの血は中々飲む機会が訪れないが、それが逆に良い。極々たまにだけ飲むことのできる、そんなレアな感じが私の劣情を掻き立てる。
あいつの近くにいる女が大嫌いだ。
あいつの近くにいる雌豚は生かしていたくない。やがて私から彼を奪うからだ。けれど殺したりなんてしない。彼は優しい。彼が悲しんでしまうから、殺す事だけはしない。
あいつは私を見てくれている。あいつには私だけを見てもらいたい。絶対に他の雌豚には渡さない。あいつは私のモノなのだから。
ぶるりと悪寒がした。季節外れの風邪だろうか。と考えてみるが、現在のコロニーの季節設定は夏である。当然気候もそれに沿ったものになっているので、風邪をひくと言うのは中々ある事ではなかった。
そんな思考に耽っていると、自分が何故自室に来たのかを思い出した。ジェターク寮の寮長───元々はグエル・ジェタークが務めていたのだが、現在はその弟のラウダ・ニールが務めている───の助手をやっている貴方は、授業終わりに寮長に渡す予定の資料を自室に忘れ、昼休みのうちに取りに戻ったのだ。
机の引き出しから資料の入ったファイルを取り出し、常用している鞄に詰める。寮長という仕事も大変なものである。学園のシステム、あるいはその組織構成的に、寮長や決闘委員会の事務員だったりする者には、大企業と太いパイプを持つような人間が充てられる。
特に寮長には、そう言った企業の御曹司などが充てられるのだ。親からの期待を背に、勉学に励み───と言うのは外聞きこそ良いものの、実際のところ寮長の仕事は想像以上に過酷である。寮ごとに割り振られた予算の中で、寮に所属する生徒の要望を聞き寮を改善したり、何かしらのイベント───特に、寮長や寮全体が行う場合───を開催する。ジェターク寮はスペーシアンがその全ての寮生を占めており、しかも御三家のジェターク社からの支援を受けて入ってきている所謂富裕層が多い。だから、個人個人で何かするのならともかく、公のイベントを月一度の回数で行うと、毎度のこと予算が随分と目減りする。ならば、もう少し節約を───と思い立った現寮長が改善案を求める、ということで助手に仕事を振ったのだ。
富裕層が多いジェターク寮の事である、改善すべきあるいは改善が可能な点は幾つも見つかった。そもそもとして前寮長の羽振りが少し良すぎたというのもあって、イベントなどに割り振られる予算が多かったためである。
貴方はなんだか寮長のため息が聞こえた気がした。しかしありもしない幻聴であると割り切ると足速に自室を出た。
しかし貴方は気づいていなかった。注意深く観察すれば直ぐにでもわかる。例えば今朝しっかり直した筈のベッドにシワがあったり、椅子も定位置からずれている。ゴミ箱の中のゴミも昨夜全て空にしたはずが、なにやら妙な匂いのするティッシュがいくつもある。寮長のため息に聞こえたそれも、人の吐息であると。
何より、ベッドの下から貴方を覗き込んでいたその眼には最後まで気付かなかった。
「……予想はしていたがこうまでとはな」
放課後、優秀な助手から資料を受け取ったラウダは最悪の想定が当たったと言った顔で呟いた。
「対処をしようにももう今月末だ、来月までの対応は出来んだろうな……少なくとも再来月からか………」
不満げに語る彼は、つまらなそうに頬杖をついた。それを見ながら貴方は、こうまで美男子に見えるのに、女学生からの反応が別れるものなのかと考えていた。
余談だが、ラウダ・ニールは顔だけ見れば相当な人気を惹きつけている。では何故彼に這い寄る女がいないのか。単純な話、彼の兄へ対する崇拝の念が異常すぎて付き合いきれないのである。彼も難儀───いや、そうでもないかもしれない。そう考えたところで、紅茶を差し出した。
閑話休題
「まぁ、今日は月末パーティだ。パーティの豪遊っぷりも、来月までだろうよ」
紅茶を飲み干し、面倒臭そうに立ち上がった彼は、貴方を誘って廊下へ出て、月末パーティの会場───大広間へと歩き始めた。
「あぁ、そうだ───偶々耳に入ったんだが。君、何やら妙な視線を感じるんだって?」
一ヶ月ほど前の話である。用事で外出しており、寮へと帰る途中に妙な視線を感じたことがきっかけだ。それを皮切りに、来る日も来る日も視線を感じるようになっていた。
「ストーカーかも知れんね。まぁ我々学生の身分に出来ることといえば教師に相談するか、そのくらいだ───まっ、今くらいはパーティを楽しめ」
そう言って肩を叩いたラウダの姿はどこへやら。今現在彼は酔っていた。
「うぅぅ〜〜───兄さぁん……」
寮生徒の手違いで一本ほどワインが紛れ込んでいたのだ。運悪くラウダがそのワインを飲んでしまい、あなたがそれを介抱している。
とは言え酔って吐く、と言ったことも無く、このまま寝るだろうと判断した貴方は、彼に肩を貸し寮長室───という名の寮長の私室───に向かっていた。
扉を開け、ベッドに寮長を寝かせて己は部屋から出ていく。
そして─────────
「初めましてになるわね───」
冷や汗が全身から噴き出るのを感じた貴方は、一もなく二もなく走り出した。銀髪のあの少女───ホルダーのトロフィーのミオリネ・レンブラン。
貴方は走り出した。
貴方は必死に考えに考え抜いて気付く。あの妙な視線は彼女のものだと。逃げなければならない、生存本能がそう語っている。逃げて逃げなくてはいけない。殺されてしまうかも知れない。
学生という身分である以上殺されるというのはないだろう。だがあの眼に見られた瞬間、ある種の生命の危険を感じた。
自室に駆け込みドアをロックする。しばらくの間どんどんとドアを叩く音が聞こえた。それに加えて少しくぐもった声も聞こえる。「ねぇ───開けてよ」
やがて音は鳴り止んだ。本当に何処かへ行ったのだろうか? 外へ出て確認しなくては───いいやダメだ。もしまだいたら取り返しがつかない。だが哀れなことに、貴方は我が身を殺す好奇心に勝つ事はできなかった。
ドアを開けた瞬間、目の前にはあのミオリネ・レンブランがいた。
「………こんばんは、良い夜ね」
光の宿っていない瞳が貴方を覗き込む。
「………………来ちゃった♪」
貴方は地面にへたり込む。それを見た彼女は小さく舌舐めずりしながら、部屋の中に入りドアをロックした。
「これでも最初はね、我慢してた方なのよ」
彼女が近付き、貴方に馬乗りになる。
「貴方のベッドで、枕で、衣服で我慢してたの。自分を慰めて。でも、もう無理ね」
彼女の口が段々と三日月のように歪になる。
「あなたの近くには、雌豚が多すぎるもの。気を抜いたら、貴方が盗られちゃう。それは嫌なの。だから、貴方に私を刻み込む事にするわ」
「これから貴方は私以外の女は見ないで。喋らないで。会わないで。貴方が望むならなんだってしてあげる。その代わり勿論───」
───私を見て、抱きしめてね?
たまたま一日投稿できたぞい
ディープキスは
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