【完結済み】Run from Mariage 〜逃亡中〜 作:とある物書きMr.R
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いかにトレセン学園が婚活会場であろうと、要は担当ウマ娘と適切な距離感を保ちつつ、トレーナーとして接していればよいのだ。
男の担当、イナリワンはその辺はキッチリしていると男自身は思っていた。チャキチャキとした江戸っ子。曲がった事は嫌いだし、地方トレセンである大井からやって来た以上中央の連中には負けないという気概も持っていた。
同世代のライバルとなったオグリキャップやスーパークリークといった強大な相手でも、いや、むしろライバルが強大だからこそ、彼女たちを打倒して自分の強さを証明するのだと意気込むイナリワンに、新人だった男も随分と支えられた。
だから大丈夫だと思っていたのだ。イナリワンに限ってそんなはずはない、と。見たくない現実から目を逸らしているだけだという心の声を、押し殺しながら。
担当ウマ娘の事はフルネームで呼ぶと決めていたのにいつの間にか『イナリ』と愛称で呼んでいた。
イナリワンから男への2人称も、『トレーナー』から『旦那』に変わっていた。
トレーナー室で彼女と(彼女が作った)食事をすることが増え、たまに下町を歩けばイナリワンの知り合いから「アンタがイナリの旦那さんかい?」と声をかけられるようになった辺りで男は思ったのである。
「これ、イナリとの関係性やらかしていないか?」
と。
とはいっても男としては彼女に好かれるような事をした覚えはないのである。
大井で連戦連勝だった彼女を知った時から自分だったらどうイナリワンを輝かせるか入念なプランを練り、
実際に彼女が中央にやってきたならば3戦目にしてG1、それも春の天皇賞をレコード勝ちさせ続く宝塚記念も勝たせたことでG1連勝。
秋の天皇賞やジャパンカップこそ惨敗したものの、1年の締めくくりとなる有マ記念ではスーパークリークとの壮絶な叩き合いを制し、シンボリルドルフの記録を塗り替えるレコードタイムを刻んでの勝利に導いた。
加えて畳が好きな彼女のためにトレーナー室の一部を改装したり、江戸っ子な彼女のてやんでい口調もまた彼女の魅力だと受け入れた。
それでも男としては距離感を間違えたとはこれっぽっちも思っていないのである。
そんな男が決定的に危機感を抱いたのが、イナリワンがトレーナー室で読んでいた雑誌である。タイトルは『ウマシィ』。ウマ娘向けのブライダル雑誌である。白無垢特集をしていたのが彼女の心にヒットしたのだろう。
男は恐怖した。これまで先輩たちに言われてきたアドバイスが脳裏をちらつく。担当が掛かったと思ったら逃げろ。逃げながら祈れ。ケガの可能性もあるから受け身の練習はしっかりやっておけ。
冗談ではない。イナリワンが魅力的な女性だというのは男自身が一番よく知っているが、それとこれとは別。トレーナーは教員でもあるのだ。教え子に手を出すのも出されるのも社会的に致命傷だ。
そして運命はやってくる。どうにかしなければと頭を抱える男を嘲笑うかのように。
新年の商店街。何の気なしに回した福引で男が出した玉の色は――金色。
鳴り響くベルの音、ニッコニコな係員から渡された温泉宿のペアチケット、そして耳まで赤くなった担当の横顔。男は思わず天を仰いだ。
しかしそこから始まった彼女の好調ぶりを考えたら、男が温泉宿に行かないという選択肢が無い事も事実だった。下手に中止にしようものなら彼女のコンディションにどのような影響を与えるか見当もつかなかった。
そして、やってきてしまった温泉旅行の日。
「な、なぁ旦那。これって……」
「言うなイナリ……」
風呂上がりという事もあって上気した担当の浴衣姿や、やや赤く染まったうなじにどきりとしながらも男が部屋の戸を開けると、そこにはいかにも『新婚さん向け』にカスタマイズされた布団が準備万端に2人を待っていたのである。
彼女はもう『大丈夫』な年齢なんだぞ? と囁く己の見た目をした悪魔を鋼の意思をもって追い払い――潰す事はどうしてもできなかった――、しかしイナリの「あたしは別に、このままでも……」という呟きが耳に入ってしまえば、男にはもはやこの宿全体が悪魔城のように思えたのである。
男は逃げ出した。
※※※※※
――祭囃子が聞こえる。
月明かりを頼りに、男は走っていた。
宿からの脱出を優先するあまり、車のキーを持ち出せなかったのは痛手だった。徒歩でウマ娘から逃げ切るのは時と場合によるがまず不可能だからだ。
――祭囃子が聞こえる。
どこかでお祭りでも行っているのだろうか? 年末シーズンという事も相まって、もしかしたら1年の実りを感謝する催しとかをやっているのかもしれない。
その時、男の脳裏に電撃が走る。車が無いのであれば、車を持っていそうな人に乗せてもらうのはどうだろうか。幸い財布は持ってくることができた。手持ちもそこそこ入っている。近くの駅まで車であれば10~15分、5,000円も渡せば乗せてくれる人もいるだろう。
そうと決まれば話は早い。男は祭囃子が聞こえる方へと足を向けた。
※※※※※
「なんだ、これ……?」
祭りと聞いて浮かぶのは何だろうか。
にぎやかな会場、各種の屋台から漂う匂い、和太鼓の音、まぁ色々あるだろう。
男がたどり着いた神社には、そのどれも存在しなかった。
(場所を間違えた? いや、俺がここに着く直前まで祭囃子は聞こえていた。この辺りに光だって見えた。じゃあ何が起こった!?)
困惑する男の肩に、手が置かれた。
「!?!?!?」
不意打ちに肩を撥ねさせる男。慌てて振り向いた彼の視界に映ったのは、
「い、イナリ……」
「よぅ旦那ァ、こんな夜更けにどこに行こうってんだい?」
「そ、それは……ていうかイナリお前どうしてそんな恰好して」
「質問に質問で返すのはマナー違反だぞ? ……まぁあたしの恰好はアレだよ、勝負服っていう事でひとつ」
「いやいやいや」
月明かりに照らされたイナリワンが身にまとっていたのは普段であればG1レースの時に着用する勝負服、それも特別な催しである『神馬駆』のために用意してもらった特別な1着だった。
神事を思わせる衣装に身を包んだイナリだが、彼女もここまで走って来たのか、上気した頬はやや汗ばみ、大胆に露出させた肩に貼りついた髪が妖艶な色気さえ醸し出して――考えるな!
反射的に顔を逸らす。そうでもしないと自分がトレーナーではなくただの男になってしまいそうで怖かった。
「なぁ、旦那」
「な、なんだ?」
「あたしを見てくれよッ」
せっかく顔ごと逸らしたというのに、頬に添えられた手で無理やりイナリが視界に入ってくる。……やめろ、そんな必死な目で見るんじゃない。
本気に、なるだろうが。
「なぁ旦那、あたしは旦那の事、好きだよ?」
「――ッ」
「旦那はどうなんだい? あたしの事、どう思ってるんだい?」
「そんなの――」
罅の入った『トレーナー』という仮面はいつ壊れてもおかしくなくて、理性なんて土台がこんにゃくか何かでできているんじゃないかってくらい揺らぎに揺らいでいる。
「あたしには言えないのかい? もしあたしの気持ちが一方的なモノだとしたら――」
「そんなの、好きに決まってるだろ!」
仮面が、壊れた。
「あれだけずっと一緒にやってきて、嬉しい事も辛い事も2人で乗り越えて、良い所も悪い事も全部知ってる。そんなイナリの事を、好きにならない訳がないだろう!?」
「だったらなんで」
「俺が『トレーナー』で君が『担当ウマ娘』だからだ! 何があろうと、俺たちトレーナーは担当に過度に入れ込んじゃいけない。そういうモノなんだよ」
「あたしはそんなの気にしないのに……」
「あぁ俺もだよ。でも世間はそう思っちゃくれない。
どれだけ想いあった2人でも、相手が生徒だったりしたら『生徒をたぶらかした駄目な大人』って見る奴は多いし、そうした声っていうのは応援よりも遥かに心にクるんだ。
俺は大丈夫だと思いたいが、イナリにまで『悪い大人にたぶらかされたかわいそうな子』ってレッテルが貼られるのは、我慢ならねぇんだよ……!」
「だったら、
だったらあたしが学生じゃなきゃいいんだろ!? トレセンを卒業したただのウマ娘なら、旦那とずっと一緒にいられるんだよな!?」
「それは、そうだが」
「……よーし、言質取ったからな?」
「え?」
見ると、先ほどまであんなに必死な顔をしていたイナリは、いたずらが成功したようなニヤケ面をしていて……って!?
「イナリお前、謀ったな……!?」
「いやぁ、悪いな旦那! でもこうでもしねぇと旦那は動いちゃくれねぇって思ってな」
相変わらずのニヤニヤ顔のままイナリは服の裾に手を突っ込み――待て、お前今どこから取り出した――その手に握られていたのは電源の入ったボイスレコーダーが。イナリは何やらボタンを操作する。すると、
『そんなの、好きに決まってるだろ!』
『そんなの、好きに決まってるだろ!』
『そんなの、好きに決まってるだろ!』
「流石のあたしも、こんなに情熱的な告白をされたら――どうにかなっちまいそうだよ」
「!?」
もぎゅっと、腕を抱き寄せられる。あぁチクショウ。
仮面は壊れた。
理性は倒れた。
そんな状態で、誰が世界で一番好きな人の誘惑に抗える?
「なぁ旦那ぁ。
――――――――――――――」
「~~~~~っ!」
耳元でイナリが囁いたその言葉に俺は――。
※※※※※
『事務連絡
トレーナー各位
お疲れ様です。標記の件につきまして、この度○○トレーナーが特別退職されることになりました。
トレーナーの皆さまにおかれましては、担当バと適切な距離を保ちながら指導を行っていただくようお願いします』
Run from Mariage 〜逃亡中〜
外伝 ~稲荷の嫁入り~
Fin.
人がウマ娘に勝てるはずないだろ!
今後外伝としてトレーナーを分からせてほしいウマ娘がいたら感想欄で教えてください(露骨な感想稼ぎ)