夏休みが始まり、学校に行かなくていい喜びから調子に乗ってしまったぼっちちゃん。結束バンドの面々に、「夏休み中、歌詞を二つ仕上げる」と宣言してしまう。
いったいどうなってしまうのか……。
ある日、後藤ひとりは調子に乗っていた。
場所はライブハウス「STARRY」。
箒を掃く彼女の全身からは、力がみなぎっている。
今なら何でもできる気がする。
例えば、陽キャの客に突如として声をかけられ、「ウェーイ」とハイタッチを求められたとしても、臆することなくハイタッチを返せる自信があった。
クラブに出入りすることだって夢じゃないかもしれない。
そう考えると、地下で、薄暗くて、音楽の機材があるこのライブハウスもまた、クラブのように見えてきた。いや、これはもう実質クラブだ。
なぜならPAさんをはじめとして、そうした雰囲気の人間が何人も出入りする場所からだ。
妄想が止まらない。
脳内に流れるのはド派手でウェイなBGM。天井に吊るされているのはミラーボール。ステージ上のDJはキャップを逆さにかぶり、「盛り上がってるかーい!!」とマイクを向ける。
サングラスをかけた後藤ひとりは、「ウェーイ!!」とレスポンスし、「foooooo!!」と叫びながら、音楽に合わせてとにかく踊る。
その姿はまさに陽キャの中の陽キャ。
自然、クラブの常連たちは「クイーンオブウェイ」後藤ひとりの威光を前に戦慄し、「こ、こいつ何者だ……?」と生唾を飲む。
DJはその存在を目ざとく発見し、ステージに上げる。そして、「お前、中々いいノリしてんじゃん?」と握手を求めてくるのだ。
「うへへ……」
口元がだらしなくゆるみ、ニヤニヤする。
脳内イメージを貫通し、体は無意識に踊り出していた。箒を片手にしたまま、控えめな動作でぴょんぴょんと跳ねる。
持ち前の運動神経の悪さが影響して、芋虫のようにしか見えない。
伊地知虹夏と喜多郁代は、上機嫌なひとりを遠巻きに眺めていた。
「ぼっちちゃんどうしたんだろうね? いいことでもあったのかな?」
虹夏がつぶやくと、郁代は明るく答える。
「そういえば後藤さん、『明日から学校行かなくていいから』って喜んでました!」
「あー、夏休みだもんねー」
虹夏は呆れ混じりに嘆息した。
郁代は純粋な心でいぶかしんでいる。
「学校楽しいのに、どうしてなんでしょうね?」
「そういう子もいるんだよ」
そう! 今日は一学期の終・業・式!
つまり明日から夏・休・み!
この日をどれほど待ち望んだことか。
明日から一ヵ月も、四週間も、三十一日間も学校に行かなくていい! そう思うだけですさまじい万能感だった。
ハッと、ひとりはいいことを思いつく。
「虹夏ちゃん! 喜多さん!」
バッと、たぎるエネルギーに任せて振り返り、勢いに驚く二人。
彼女らの目を珍しく真っ直ぐに見据え、拳をぎゅっと握り、堂々と宣言した。
「わ、私……夏休み中に歌詞、二つ作ってきます!」
「えっ」
虹夏は心配になった。
「大丈夫? いきなり二つなんて大変だよ?」
「そうよ! 友達と遊ぶ予定とかあるでしょう?」
と、郁代も続く。
「だ、大丈夫です! 予定ないので!」
「そ、そうなのね……」
何と答えればいいか郁代が困っている中、虹夏は考えていた。
今のひとりは間違いなく調子に乗っている。言われるがままに任せてしまっては後で大きな負担になってしまうのではないか、と。
しかし、
思い出す。結束バンドの初ライブを救ったあのギターソロ。
猫背の後ろ姿が、目に焼きついている。
彼女が、やる気になってくれたのなら――
「じゃあ任せてみようかな。いい歌詞期待してるよ、作詞大臣」
「あっ、はい!」
作詞大臣。
板についてきたその二つ名と虹夏からの期待に胸を膨らませ、ひとりは再び「うへへ」と笑う。
妄想に拍車がかかり、彼女は頭の中でまたパリピになった。
ブツブツ、ウェイウェイと呟きながら、箒を掃く。
「そういえば」
郁代は思い出す。
「リョウ先輩、遅くないですか?」
「ほんとだ。もうすぐシフトの時間なのに」
「今日は一緒に来なかったんですね」
「ううん、しばらくは一緒だったけど、時間あるからってリョウだけ楽器店に寄ってったんだよ」
ちょうど聞いていたかのようなタイミングで、虹夏のLOINが鳴る。
リョウからだった。
『ぐふぅ、突然の腹痛で動けない……』
『今日のシフト休みで』
見え見えの嘘だった。
画面から棒読みが聞こえてくるかのようだ。
「もー!! 夏休みだからって浮かれんなー!!」
虹夏は叫ぶ。
「は、はいっ!! すすすすみませんっ!!」
関係ないひとりが謝る。
▽▽▽
翌日、
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛…………」
押し入れから、うめき声が聞こえてくる。
低く、鈍く、幽霊の断末魔のような声だ。
中にいる生物が虫の息であることがうかがえる。
これでもまだ落ち着いてきた方で、昼頃には絶叫が響いていた。
一体この押し入れには、どんな恐ろしい生命体が潜んでいるというのか。歴戦のハンターでも警戒に汗をにじませるに違いない。
果たしてそこにいたのは……
なんと、後藤ひとりである。
彼女はただでさえ青白い顔色をさらに真っ青にし、赤ん坊がそうするように膝を抱えて丸まり横向きに倒れている。角度によっては丸まったダンゴムシのようにも見えた。
そばには大学ノートが転がっており、開かれたページには、消え入りそうな文字で「殺して」とダイイングメッセージが記されていた。
ひとりはまだかろうじて息をしており、ダイイングメッセージというのは正確には間違いだが、死に体であることには変わりないため、ほとんど同じと考えていいだろう。
ひとりは朝、目が覚めると、昨日のテンションを引き継いだまま、意気揚々と作詞に取りかかった。
歌詞ノートを開き、ペンを取る。
作詞をするにあたっては、まず表現したいテーマを定めなければならない。
過去、「ギターと孤独と蒼い惑星」では「ギター」を、「あのバンド」では「青春バンドへの反抗心」をテーマに、自分の感情や経験を思い切ってぶつけた。
「ギター」に、「青春バンド」。
ならば次は、「学校」を取り上げてみるのはどうだろうか、と思い立つ。
今日のひとりは気合が違った。
次の一曲を最高のものにするため、最高の歌詞をしたためて見せると誓う。
ならば!
彼女だけでなく、多くの陰キャ中高生にとっての青春コンプレックスの最高峰、「学校」を! テーマにするしかない!
やはり、今日の私は何か来ている!
素晴らしいものができあがることは、もはや確約されたと言えよう!
歌詞を提出した時、結束バンドの面々に褒められる図を想像し、悦に入る。
……後藤ひとりは忘れていた。
なぜ、一曲目でも二曲目でも、「学校」にまつわる単語や表現を避けてきたのか。
それは、後藤ひとりにとっての「学校」が、それほど強大な禁忌だったからだ。
ずっと、
必死にギターを弾き、目を逸らし、考えないようにしていた。
深く、暗く、心の奥底に封印していたパンドラの箱が開き、恐ろしい脅威が解き放たれる。
その名は、黒歴史。
文字を綴ろうと思考を巡らせた瞬間、炸裂する。
「うぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
あふれてくる。
無限に。
給食の放送でデスメタルを流したことに始まり、
家庭科のエプロン作りのデザインで周囲をドン引きさせたこと、
リコーダーの発表演奏で混乱のあまり盛大に暴れ回ったこと、
さらには、
日直でのあんなことや、
体育祭でのこんなことまで!
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
止まらない。
小学校から中学校までの約九年間分、思い出したくなかった出来事が走馬灯のように次々と、次々と。
今すぐ思考をシャットダウンしたかった。
しかし、それはできない。
「学校」をテーマに据えた以上、歌詞は書かなければならず、歌詞のために表現の領域に手を伸ばすなら、思考の海に潜り、記憶や経験を深く掘り下げなければならない。
嫌で嫌で仕方ない記憶や!
恥ずかしい思いをした経験を!
深く!
当時よりも鮮明に!
掘り下げなければならない!
これほど苦痛なことがあるだろうか。
まさに地獄である。
いよいよ耐えきれず、ひとりはゴンゴンと頭を打ちつけ始めた。
壁と天井には結束バンドのアー写が敷き詰められているので、頭突きをするわけにはいかない。床に頭をぶつけた。
意味もなく前転をした。後転もしてみた。
どちらもヘタクソなので不格好に転がった。
狭い押し入れの中をピンボールのように跳ねまわり、体のあちこちがぶつかる。
痛みは、ほんの一瞬だけ黒歴史を忘れさせたが、すぐにまたぶり返してきた。
逃れることはできない。
――歌詞、二つ作ってきます!
STARRYでの軽率な発言が、山びこのように、脳内で繰り返し反響している。
私は……どうしてあんなことを……。
後悔しても遅い。
夏休み初日:
全身打撲!
歌詞の進捗、ゼロ!
どうなるぼっち!?
「忘れてやらない」編が全3話、「星座になれたら」編が全4話になると思います。おそらく。
「忘れてやらない」編まではできているので、毎日20時に投稿します。よろしくお願いします。