作詞に難航するぼっちちゃんは、応援のおかげでなんとか元気を取り戻す。どんなに苦しくても、ギターヒーローなら、書ける。
※本作では利用規約に則り、楽曲コードを入力したうえで、「忘れてやらない」の歌詞の一部を使用しています。ご了承ください。
黒歴史を作ったその日は、教室の空気が冷たくなったように感じた。
ひとりぼっちはいつものことだが、より一層、孤立が深まったかのような感覚に陥る。人と人との間にある、見えない壁に、突き放されているような気がするのだ。
鼓膜が敏感になる。
同級生の話し声や、関係ない物音がやたら大きく感じて、落ち着かない。
「帰りたい」「押し入れが恋しい」と思った。
その夜は、中々眠れない。
寝返りをうちながら考える。
「明日、学校行きたくないな」「どんな顔して行けばいいんだ」。
そういう時は、押し入れの中で眠った。押し入れの閉塞感は、傷心を優しく抱きしめてくれるようだった。
慣れ親しんだギターや機材に囲まれて、少しずつ、心が落ち着いていく。「今日もがんばったね」と、慰めてくれる。
ひとりは温かい布団に包まれながら、ちょっとだけ涙を流して、眠るのだ。
違う。
本当は、人にも褒めてもらいたい。
より一層、飢える。
♡♡♡
駅のホームを、普通電車が切り裂く。
風圧で、ひとりのピンク色の長髪が流れ、揺れた。
停車した。ひとりの目の前に現れたドアが、プシューと音を立てながら開き、人がぞろぞろと吐き出される。
乗車する。席が空いていたので腰かける。他の乗客もそのようにしている。少し遅れて乗車してきた女子高生と思しき三人組は、空席があるのに座らず、立ったまま喋っている。
スピーカーから録音された女性のアナウンスが流れ、ドアが閉まる。
発進する。
徹夜明けのバイト帰りで、眠い。
疲労に手持無沙汰で、することもない。ひとりはちょこんと座ったまま、しばらくは窓の外をぼんやり眺めていた。
右耳から、楽しそうな笑い声が聞こえる。
さっきの女子高生たちだった。気になって、チラッと目を向ける。気づかれないように注意を払う。
彼女らは学生服を着ており、三様に大きさの違う楽器のケースを持っている。多分、吹奏楽部だ。部活の帰りなのかもしれない。
三人ともかわいい。
単純に容姿がいい、という意味ではなく、女子高生らしく華やかで、生き生きしている、という意味だ。
今度海行こうよ。という会話が聞こえてきた。
夏休みみたいだ。
マンガみたいな、夏休み。
車両には、彼女らのような学生が何組かいた。
遠くの席にいるのは、多分中学生くらいの二人組。
スポーツ用のジャージを着ていて、日焼けをしているように見えるから、運動部だと思う。
運動部の人は、なぜだか魅力的に映る。彼女らもその例に漏れなかった。二人とも、かわいい。
何を話しているかわからないが、楽しそうに笑っている。
勝手に差を感じて悲しくなり、しょんぼりしたところで、電車が止まった。
乗り換えの駅だ。降りる。
夕焼けのオレンジ色が濃くなっている。
学生時代の思い出は特別だ、と、いつの間にかそう思うようになっていた。
あの高校生や中学生たちの学生時代は、きっと本当に特別になる。大人になった時、晴れ晴れとした青春時代を思い出すのだ。
いいな。
学校を辞めれば、こういう劣等感をおぼえなくて済むようになるのだろうか。きっと、そんなことにはならない。
恵まれなかった思い出に、一生、苛まれるのだ。
また、飢える。
♡♡♡
電車を二時間乗り継いで、ようやく、地元に帰ってくる。
午後六時を回っているが、夏の空はまだ明るい。
中学校の校舎に通りかかった。
後藤ひとりが三年間通っていた中学校だ。まだ卒業してから四ヵ月しか経っていないが、もう懐かしく感じている。
不思議だった。
中学生だった当時は、近づくのも嫌でしかたなくて、高校生になってからもしばらくは変わらなかったのに、今は、それほど苦しくない。
なんでだろうと考えて、結束バンドが楽しいからだと、気づく。
改めて、中学校を眺めた。
正面の壁に、大きな丸時計が見える。あの時計を見ていると、チャイムの音を思い出す。夏休みなので、実際に鳴ってはくれない。ひとりの頭の中だけで流れた。
同時に、教室の景色が蘇る。
机と、床の、木の匂い。チョークの匂い。
夕日が差す校舎に、心を揺さぶられている。
目を焼くようなオレンジ色が、綺麗だ。
あまりいい思い出のないひとりにとっても、やはり学校という場所は特別だった。
自分が懐古にひたれるようになるなんて、思わなかった。
写真は撮らない。
そういう発想がなかった。
だから代わりに、瞳が、レンズ。
瞼。パチパチ、と、まばたき。
シャッター を 切る。
時折、在校生たちが写り込む。
モデルでもなければ、なんら特別なところのない、制服を着た少年や少女は、校舎の一枚絵によく映えた。
たった三年間しかない一瞬の輝きが、彼らにはある。
ひとりが、その一枚絵に写ることは、ついぞなかった。
儚く、寂しい、中学生時代。
しかし、尊い。
飢える。
♡♡♡
帰宅。
晩ご飯を食べて、お風呂から上がったら、向かい合う。
何度も忘れたいと願った黒歴史。
多分、忘れることはできない。
本当に、忘れてもいいのだろうか。
後藤ひとりはこの先、
嫌な思い出に、苛まれ続けるか。
それともいつか、笑えるようになるか。
頭の中に、表現するべき言葉が、ぼんやりと、ふわふわと、浮かぶ。
プラネタリウムみたいだ。
歌詞ノートを開いて、ペンを取った。
思考の海へ。
浜辺から、ゆっくりと、一歩一歩、踏み込んでいく。
足首に波を浴びる。腰までつかる。頭のてっぺんまで、もぐる。
あとは沈むだけ。
うなれ、承認欲求モンスター。
お前の魂を示すのだ。
ギターヒーローは、怪獣を倒したりしない。怪獣と一緒に、戦うのだ。
深夜三時。
ノートには、できあがった歌詞が綴られている。怪獣の叫び声だ。
その叫び声に、タイトルをつける。
『忘れてやらない』。
♡♡♡
次の練習日、結束バンドに歌詞を提出した。
「ぼっちちゃん、これいいよ! すごくかっこいいよ!」
虹夏がまず最初に、弾けるように言った。
花火のような、明るい笑顔が咲いている。
「ほ、ほんとですか……!」
「ほんとほんと! すごいよ!」
ひとりは喜ぶより先に、胸を押さえて安堵した。
いいもの、書けたんだ。
その実感がじわじわと込み上げて、ほんのりと笑う。
「ぼっち」
次に、リョウが声をかけた。歌詞の一部を指差している。
「こことここ、韻を踏みたいから微調整しといて」
「あっはい、わかりました」
「あとここの歌詞、ぼっち的にはどういうイメージ?」
「あっそこは――」
言葉に込めた意味を語るひとりを、リョウはじっと見る。心なしか口角が上がっていて、微笑んでいた。
「ぼっちはやればできるやつ」
「がんばったな!」
虹夏が続く。
ひとりの心が、喜びで満たされた。
喜びは笑顔になって表れ、頬がゆるんだ。ゆるんだ頬から、顔全体が溶けだした。目、鼻、口が持ち場を離れ、容貌が原型を失った。
「そ、そそそそそれほどでも……な、なぁいですよぉ?」
「あ、調子乗った!」
「いつものぼっち」
三人のやり取りの中、郁代は一人、歌詞を眺めていた。
一度しかない瞬間 は
儚さ を 孕んでる
「……」
郁代はひとりを見つめた。
同じ学校で、同い年の、同級生を。
「喜多ちゃんはどう思う?」
「えっ、あ、はい!」
虹夏に尋ねられた彼女は、珍しく反応が遅れる。
すぐにいつもの笑顔になって、答える。
「感動したわ! 後藤さんすごいのね!」
ひとりは三人からの称賛に、照れたように笑った。
心臓がじんじんする。
心の中の怪獣が、嬉しそうにしている。
♥♥♥
ひとりは寝る前に、今日のことを思い出す。
たくさん褒められた。たくさん嬉しかった。
暗さに目が慣れると、部屋に飾ってあるアー写がぼんやりと見えた。そのたびにまた今日のことを思い出して、幸福でいっぱいの顔になる。
幸せで、温かい思い出に包まれながら、眠るのだ。
「忘れてやらない」編はこれで終わりです。「星座になれたら」編までは、1、2週間空くと思います。