今日のSTARRYは、ライブの日だ。
ステージでは、タイムテーブル最後のバンドが演奏している。
冬だというのに、会場にはエアコンがいらないほどの熱気がこもっていた。
どうやら曲の本筋は終わったらしい。メンバーたちが、フリーなテンポで音を出している。いわゆる、かき回しというやつだ
やがて、スネアの甲高い音が響いて演奏は終わった。一瞬の静寂の後、どよめきのような歓声が押し寄せる。
今演奏したバンドは、最近下北界隈で人気が出始めているバンドだ。ステージ前で群れになっていたファンが、悲鳴にも近い歓声をあげている。
私は、ミキサーから手を離した。ほ、と息を吐く。
エンジニアとして良い音を届けられたことに、そして今日の仕事が滞りなく終わったことに安堵した。
◆ ◆ ◆ ◆
PAという仕事は、裏方仕事だ。どんな仕事をしているのか、説明できる人の方が少ないだろう。
ざっくりといえば、バンドやアーティストが表現したい音楽を、一度に大勢の人間に伝える役目だ。オーディエンスだけでなく、演奏したバンドにも、いいライブだったと思われるのが仕事。
レコーディングミキサーであれば、録音した音源をスタジオに持って帰ることができる。あれこれと手を加え、音のバランスを考えて調整ができる。それが、CDという完成品になる。
でも、PAはその場限りの仕事だ。やり直しはきかず、一度きり。そのぶん責任はあるけれど、生モノを扱う緊張感が楽しさだと私は思っている。
私は大きく煙を吸って、細く長く吐いた。
私がいるのは、STARRYから一番近い喫煙所だ。
STARRYの店内は、星歌さんの方針で完全禁煙。いわく――虹夏のカラダに悪い、のだそうだ。なので、冬場に煙草を吸うのはほんの少しだけ覚悟が必要になる。
煙草が半分ほどの長さになった頃、星歌さんが現れた。手には、愛飲しているセブンスターと蛍光ピンクの100円ライターが握られているのが見える。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ」
そういうと、彼女はハード・パッケージのセブンスターを指先で軽く叩いた。
頭を出した煙草を1本引き抜く。白い紙巻を口に咥え、100円ライターの回転やすりを回す。
ガス調節のつまみが最大だったのだろう、燃焼筒から大きな火が飛び出てくる。
顔を近づけていた星歌さんは、一瞬驚いたような表情を見せたが、ゆっくりと煙草の先を近づけて火を付けた。
深く吸い込んで、深く息を吐く。
吐き出された煙が、下北沢の街に消えていく。
お互い、無言で煙草を吸い続けている。そんな時、ふと星歌さんが口を開いた。
「なぁ」
「なんでしょう」
星歌さんが、伸びた灰を灰皿に落として続ける。
「もっと大きいハコでやりたいとかないの? 売れっ子バンドの専属になりたいとかさ」
「はぁ」
唐突な話題に、私は首をかしげた。
「いやさ、私の知り合いに言われるんだよ。お前んとこのエンジニアは、腕がいいって」
そういって、星歌さんは再び煙草に口を付けた。
彼女が言わんとしていることは分かる。
腕の良いPAは、コンサート音響の全体を統括する役割として、アーティストだけでなくそのプロデューサーをはじめとする関係者からの信頼もあつい。そうなれば、業界内では引っ張りだこになる。
当然、全国ツアーをやるような大物アーティストやバンドには、クルーの一員として専属のPAがいることが多い。
なぜなら、そのPAがいるだけで、どこでも一定の音が出せるからだ。
場所が変わっても、機材が変わっても、アーティストが出す音を安定して届けることができる。それだけに、どこどこのだれだれが引き抜かれた――なんて話も珍しくはない。
武道館や東京ドーム、横浜アリーナに幕張メッセ――そのPAブースにいる自分。
しかし、いくら想像してみても、現実的ではない。
「だからさ、なんだっけ? キャリアアップとか、そういうの」
「うーん、そういうの想像できないっていうか」
「まぁ、いいけどさ」
星歌さんと私が再び煙を吐き出したのは、同じタイミングだった。
◆ ◆ ◆ ◆
数日後、STARRYでのライブ終わり。ストレイビートの司馬さんに声を掛けられた。
「お疲れ様です」
「あら、お疲れ様です。いらしてたんですね」
今日のライブでは、結束バンドのメンバーもステージに上がった。なので、彼女たちの演奏を聞きに来ていたのだろう。
「いいライブでした。流石です」
良く知ったバンドを褒めてもらうのは、たとえ身内だったとしても嬉しいものだ。
知らず、笑顔になる。
「ええ、そうですね」
彼女も、自らがマネジメントしているバンドの成長を見るのは喜ばしいのだろう。
しかし、司馬さんは首を横に振った。
「いえ、私が褒めたのはアナタのことです」
そう言って、名刺を差し出された。
私は、困惑しながら受け取る。
社会人のマナーなんて分からないから、とりあえず両手で。
「実は、今アーティスト付きのPAを探していまして――」
彼女の口から出てきたのは、誰もが知っているような有名アーティストの名前だった。
司馬さんの話は、こうだ。もともといたPAが辞めてしまった。年明けすぐに、全国を回るライブのツアーがある。なので、新しいPAを探している――
音楽業界は、狭い業界だ。今回の話は、司馬さんの知り合いのレコード会社から回ってきた話らしい。
私にとっては、降ってわいたような話だ。有名アーティストのクルーになる。現実味のなかった話が、急に質量を持ち始めた。
エンジニアの腕を褒められたのは素直に嬉しい。
しかし、急すぎて私は困惑の表情を浮かべることしかできなかった。
「とりあえず、今日は話だけです。クリスマス前までに返事を頂ければ」
司馬さんは、そう言って一礼する。笑い声を上げている結束バンドの面々に近づいて行った。
私は、渡された名刺をポケットにねじこむ。
背後から、星歌さんの声がした。
「何の話? 名刺、貰ってたみたいだけど」
振り返ると、星歌さんが腕を組んで立っている。
「ええと、実は――」
私は、司馬さんから持ちかけられた話を説明した。
「いい話じゃん。こんなチャンス、滅多にないぞ」
黙って聞いていた星歌さんは、笑顔で言った。
けれど、笑顔のはずなのに、なぜか寂しげな色が浮かんでいる。その理由が、私には分からなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
数日後のライブ終わり。
時刻は、すでにてっぺんに近い。
煙草の煙を吸い込む肺も驚くほど、空気が冷え込んでいる。
しばらくすると、星歌さんが現れた。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
「一服ですか?」
「うん、まぁ……」
歯切れの悪い返事だった。
しかも、煙草とライターは持ってきていないようだ。
手遊びしたり、落ちている小石を蹴ったりするばかり。言ってしまえば挙動不審だ。
私は、首をかしげる。彼女の意図が読めなかった。
しばらくそうしていた星歌さんだったが、やがてポケットから煙草ではない何かを取り出す。
白い小箱が、赤いリボンでラッピングされている。
彼女は、それを私に差し出した。
顔をそむけているせいで、表情は見えない。
状況がうまく呑み込めず、私の頭には疑問符が浮かぶ。
「なんですか?これ」
「見れば分かるだろ! プレゼントだよ」
驚きで固まっている私に、星歌さんは小箱を押し付ける。
「お前、クリスマスにはいないかもしれないだろ」
そう言う星歌さんの声は、少しだけ震えていた。
「いらなかったら捨ててもいいから」と言い残して、彼女は足早に去っていく。
私は、渡された小箱を手に立ち尽くしていた。
手にした煙草が、燃え尽きそうになっているのも気づかずに。
◆ ◆ ◆ ◆
帰宅後、司馬さんに電話をかけた。話を受けることを伝えるためだ。
彼女の声がした。丁度、3コール目。
「はい、司馬です」
「あの、先日のお話ですが。お受けしようかと」
「本当ですか! ありがとうございます。先方も喜びます」
私の言葉に、電話越しでも司馬さんが喜んでいるのが分かる。声のトーンが上がったからだ。
司馬さんは、「でも」と言葉を区切った。
「一応、返答期限はまだあるので、最終決定はぎりぎりで結構です」
「分かりました」
夜分にすみませんでした、と締めくくって電話を切る。
キッチンに行き、冷蔵庫からハイボールを取り出した。壁のカレンダーに目をやる。
カレンダーには、期限の日に丸がつけてある。もう、そこまで猶予はない。
このまま行けば、クリスマス前後にはSTARRYを去ることになる。
有名アーティストのクルーPAになる。そうなれば、収入もあがり業界では名の知れた存在になれるかも知れない。
都内の高級マンションで、自分が関わったライブ映像を高級ワイン片手に見るのかもしれない。
「人から見れば、うらやましい人生じゃないですか」
自分しかいない部屋で、自分に言い聞かせるように呟く。
ハイボール缶のプルタブを引き上げる。炭酸が、勢いよく噴き出した。
私は、喉に流し込むようにハイボール缶をあおる。
冷たさが、身体の中をかけ降りていく。
――こんな寒々しい部屋とも、こんな安酒ともグッド・バイだ。
「そういえば……」
私は、ソファに放り投げていたバッグから小箱を取り出した。
リボンを丁寧にほどいていく。箱を開く。
中身はライターだった。
ジバンシーのスリムタイプ。カラーリングは、ブラックとシルバー。サイドローラーが付いたガスライターだ。
シックな雰囲気は私好みで、星歌さんが真剣に選んでくれたのが伝わってくる。
クリスマスプレゼントと、別れの餞別――きっと、2つの意味が込められているのだろう。
ライターを手にとって、表面を指でなぞる。つるつるとしたライターは、ひんやりと冷えていた。
◆ ◆ ◆
ベランダに出ると、冷たい空気が氷のように肌にしみる。
手にしているのは、いつものヴァージニア。
1本引き出して、ゆっくりと咥える。
ジバンシーのライターが、艶やかな表面に街の灯りを反射して光った。それは、これからの先のPAとしてのキャリアをあらわしているように見えた。
ライターのキャップを親指で跳ね上げる。かきりと、甲高い金属音が響いた。
ブランドライターらしい、心地よい音色だ。
サイドホイールに、力を加えて回す――けれど、火は付かない。もう一度試してみても、結果は同じだった。
煮え切らない、踏ん切りのつかない私の心。それを読んだ風が、イジワルをしているのだろうか。私の好きなライブハウスがある、この街の風が――
私は、唇を噛んだ。
3回だけ試してみよう。
3回試してみて、火が付かなかったら……その時は……
私は、プレゼントされたライターを持ちなおす。
1回目、ダメ。
2回目、やはり、ダメ。
3回目、深呼吸をして慎重に――けど、やはり火は付かなかった。
入れたばかりのガスは出ている、なので不良品ではない。
私は、ライターをポケットにしまった。綺麗だけれど、火の付かないそのライターを。
部屋に戻り、バッグの中をひっかきまわす。目的の物は、すぐに見つかった。それは、煙草を吸い始めた頃、雑貨屋で買ったジッポライターだ。
再びベランダに出て、鈍く光るジッポを眺めてみる。使い込んだスターリングシルバーのジッポには、ところどころにキズがある。
ケースサイドに付いたキズは、去年STARRYへの通勤中に落としたせいだ。裏側の擦り傷は、その前の年にスターリーのスタッフルームで。キャップの凹みは、星歌さんと煙草を吸っているときに――
キャップを跳ね上げた。金属音とともに、わずかにオイルの香りを感じる。
フリントホイールを回すと、一発で火が付いた。やわらかな炎が、夜の闇に揺れている。
煙草に火を付けて、大きく吸い込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
私は、部屋に戻って携帯を手にした。電話をかける相手は司馬さんだ。
今度は4コール目で、彼女の声がした。
「はい、司馬です」
「何度もすみません」
「いえ、構いませんよ。なんでしょうか?」
「さっきの件なんですが……」
「はい」
私の決定を聞いた司馬さんは、なんと言うだろうか。何を言われても、飲み込む覚悟はできていた。
しかし――
「お断りの電話ですよね?」
と、司馬さんの声が電話越しに響く。
予想していなかった言葉に、私は驚きの声を上げる。
「どうして……」
数秒の無言。
「なんとなく、そんな気がしたんです」
司馬さんの口調は、優しかった。私は、それを無言のまま聞いていた。
「あなたにとっての居場所は、ドームとかアリーナじゃなくて、あのライブハウスなんですよね」
その言葉に、私は息を飲んだ。何とか声を絞り出す。
「すみません」
「謝ることなんてないですよ。また、連絡しますね」
「ありがとうございます」
最後まで、司馬さんは穏やかだった。
通話を切って、携帯を机に置く。
窓を開けて、ベランダに出た。
室外機の上、灰皿の煙草休めでくすぶっていた煙草を手に取る。もう、1口か2口ほどしか吸えない長さになっていた。
手すりに肘を乗せると、ひやりとした感覚が布越しに伝わってきた。
私は、初めから分かっていたのだ。
司馬さんに見透かされていた、私自身の気持ちを――
理解しなければならなかったのは、ライターをくれた星歌さんの気持ちだ。
煙草を指に挟んだまま、ぼんやりと街を眺めた。
どこからか、救急車の音が聞こえる。
私は、ふかぶかと煙草を吸い込んだ。涼やかなメンソールの香りが、すっきりとした心を吹き抜けていく。
吐き出した煙がもやのように、冬の空にゆっくりと運ばれていった。
◆ ◆ ◆ ◆
いつもの喫煙所。そこで、私は星歌さんと並んで立っている。
そこで、私は彼女に伝えた。司馬さんの話を断ったことを。
星歌さんが、ポケットから煙草を取り出した。
1本引き抜いて、口に咥える。お馴染みの100円ライターで火を付ける。
深く吸い込んで、溜息とともにゆっくりと煙を吐き出す。
「有名になれたかもしれないのに、収入だって」
「そうですね、でも……」
「でも?」
「いいえ、なんでもありません」
「まぁ、いいけどさ」
髪の毛をくしゃくしゃとかき乱す星歌さん。
私は、紙箱から煙草を引き抜いた。ジッポライターの独特な着火音が響く。
星歌さんが、そのことに気づいた。
「私がやったライター、気に入らなかった?」
と、明らかに落ち込んだ表情をしている。
私は、首を横に振った。
「いえ、違うんです。あれは、家にいるとき専用にしようって。外で使うと、こんな風になるかもしれませんから」
私は、傷だらけのジッポを見つめながらそう言った。
「そっか」
星歌さんはくすりと笑うと、灰皿に煙草を押し付けた。
「寒いから、私戻るよ」
星歌さんがSTARRYに戻って行く。私は、その背中を目で追いかける。
すると、星歌さんが立ち止まった。くるりと、振り返る。
「今日のライブも、よろしく。違うな……これからも、か?」
そう言った彼女の表情は、とても穏やかだった。しんと冷えた空気が、ふっと緩んだ気さえする。その時、煙草を挟む指を冷たさが刺した。
見上げると、雪が降り始めていた。まだ降り始めの、か細くてやわらかい雪だ。それが、音もなく、街に舞い落ちている。
「うわ、降ってきた。早く戻ろ」
星歌さんが、両肘を抱えて寒そうな演技をしている。ちょっとだけおおげさなのは、気恥ずかしさを隠すためだろう。
だけど、遠目でも、耳まで赤いのが分かる。
もうすぐ、クリスマスだ。このまま降り続けば、この辺も一面の銀世界になるかもしれない。
私は、煙草の火をもみ消した。星歌さんの後を追いかける。少しだけ、小走りで。
やがて、彼女の隣に並ぶ。
「はい、戻りましょう」
――STARRYに。