TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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序章
Blue Moon


2022年■■月■■日

フィンランド ラハティ

 

 夜空に浮かぶ青い月(Blue_Moon)を、無数の輝く花が覆い隠した。

 俺は彼女の手を引いて、目前で佇む小さなビルへ駆ける。

 

「ねえっ、あれなんなの!?」

「走れっ、こっちにも来るぞ!」

 

 手短に見解を叫ぶと、本来あるべきガラスを失った窓から内部へ飛び込む。

 いくつものテーブルに椅子。カウンターに置かれたコーヒーミルから、ここが喫茶店だと推測できた。

 

「大丈夫か?」

「……ええ」

 

 肩で息をする彼女には悪いと思ったが、ここは既に戦地だ。

 手を引いたまま歩き、カウンターの裏へ。

 

 そこには既に先客がいた。

 不幸な三人の家族。幸運なのは互いに害意がないことだった。

 

「なあっ、外で何が起きてるんだ?」

「……彼女を休ませて欲しい」

 

 肩で息をする彼女を座らせる。

 要望通り説明してもよかったが、今は状況の把握が最優先だった。

 

 外の脅威に注意しつつ、窓際から空を見上げる。

 

 丁度頭上で新たな花が空で開き、花弁は分解され光の粒子となる。

 やがて、白い光は重力に従って地面へと向かう。

 美しい光景。まるであの日見た、縁日の花火のように。

 

 しかしこれは死の光。

 触れる生物全てを燃やし尽くす、地獄の釜からこぼれ落ちた業火だ。

 

 周囲をうかがう俺の背後を、家族の父親が追った。

 説明するなら、丁度いいタイミングだろう。

 

「クラスター焼夷弾」

「焼夷弾……? 馬鹿な、ここに軍の基地はない」

「……これは、民間人(おたくら)を狙った攻撃だ」

 

 彼らは無力化すべき目標を知る手段を持っている。確実に。

 それでも、明らかに人を殺傷する手段を市街地に撃ち込んだ。

 

「きれい……」

 

 居合わせた家族の子供がそう言った。

 そう、端から見ればその通りだった。

 

「奥に隠れてろ。顔を出すんじゃないぞ」

 

 これから繰り広げられる光景を、この子が知る必要はない。

 

 ふと視線を道路に移すと、人々が建物から出て空を見上げていた。

 彼らは、あの光の正体を知らない。

 

「頑丈な建物に入れ! あれは焼夷弾だ!」

 

 テルミットの燃焼は、当然地面まで継続する。

 声が届き、ようやく人々は正気を取り戻した。

 

 しかし中には、街角の車に飛び込もうとする人々もいた。

 

「車はダメだ!」

 

 時は来た。

 

 落着する3000度のテルミットはアスファルトどころかコンクリートさえ融解させ、あらゆる水分を蒸発させ、有機物に引火した。

 車程度の防護能力では紙一枚と大差ない。

 あっという間にボディは溶け、中の人間を炎上させる。

 ガソリンを抜かれた車両は爆発もせず、小さな火葬場と化した。

 

「うわあああああっ!」

 

 僅か小さな光の粒でも、触れればあっという間に燃え上がり焼き尽くす。

 手で振り払っても、さらに燃え広がるだけ。

 炎から逃げるための、最期のダンス。

 

 ここに逃げ込んだ人々を、一人でも多くこの光景から遠ざける。

 俺には、これ以上出来ることはなかった。

 

 この降り注ぐ光の雨を見て、炎を包まれる人々を見て、俺は悟った。

 俺の信じていた世界は、全部嘘だったんだと。

 

 この世界に、光の勢力は存在しないのだと。

 

◇ ◇ ◇

 

2021年4月24日

 

 稜線から差し込む陽の光を背に、少年は山道を踏み締める。

 

 順路という看板がなければ、ここを道だと捉える人間はいない。

 足首が浸かるほどの小川を音もなく渡渉(としょう)し、木の根が張り巡らされた坂を駆け上がる。

 ひとつ歩みを進めるごとに膝が軋み、大粒の汗が顎から滴り落ちた。

 

 汗が服にずっしりとした重みを付加した頃、ようやく彼の行先はなくなった。

 羅刹山(らせつさん)山頂。折り返し地点である。

 

「とうちゃーく!」

 

 例の如く祠に一礼すると、山嶺(さんれい)からの景色を望む。

 標高1500mある羅刹山の足元には酪農業が盛んな丘陵地帯があり、その向こうには羅宮凪(らぐな)市北部の街が広がっていた。

 天から見る市街地の様々な色や材質をした街並みは、古い時代のモザイク画を彷彿とさせた。

 そこに、小さな点がちょろちょろと動き回る。その正体は言うまでもなく、車や電車である。

 

「視力ヨシ、と」

 

 ここでのやるべき事を終えると、その場に腰を下ろす。そして背負ったリュックを乱暴に降ろした。

 ドスンと音を立てたそれの中には、2リットルもの液体が入るペットボトルが一本。

 

 ボトルの次に顔を見せるのは土嚢だ。中身にはたっぷり水分を含ませ、さらに重心が右に傾くように調整されている。

 リュックの中身、約42キロ。この荷物を担ぎ、さらに10キロダンベルを首に提げ、同じく10キロの砂が入るウェイトベストを着用していた。

 

「これで目標達成っと。次は鉄帽(てっぱち)追加すっかな」

 

 達成感に心を躍らせながら、ペットボトルの封を切る。

 スポーツドリンクを食道に流し込み、水分と電解質を補充。さらに持ち込んだプロテインバーを咀嚼し、エネルギーとタンパク質を肉体に充填させた。

 

 これが月一回、最後の日曜日に行うトレーニングだった。

 

 一本目を平らげると、腕時計を一瞥。時刻は午前五時半、登頂開始から一時間が経過していた。

 

「まだ時間あるな……」

 

 この辺りの地図は頭に叩き込んでいる。途中の分岐で行ったことのない道に出られる。

 流石に遠回りになってしまうが、どのみち帰りのバス停には辿り着ける。

 毎度同じルートでは、面白くない。

 

「よし、回り道すっか!」

 

 思い立ったが吉日。下ろした重石を担ぎ直すと、来た道を戻り始めた。

 

───この思い付きが、多くの運命を変える結果になるとは知らずに。

 

◆ ◆ ◆

 

 県境の山道を、一両の軽バンが進む。

 バンの後部座席には黒く塗った段ボールの目張りが施され、特に荷台の窓は光の一筋すら通すまいと徹底されていた。

 

「おい、まだ着かないのか」

 

 助手席に座る男が苛立ちを隠さずに言う。ダッシュボードでは彼が先ほどまで被っていた三つ穴目出し帽(バラクラバ)が天を仰いでいた。

 

「もう少しだ。ちょっとしたら県道を外れて、そこの納屋」

 

 ハンドルを握る彼は記憶を辿るように返す。

 その手の震えは、見る者にこの旅の行く末にある不安を感じさせた。

 

 ちらり。『羅刹山登山口』こう書かれた看板と矢印が目に入った。

 相方の肩を叩く。

 

「おい、山道があるぞ。本当にこんなところでいいのかっ」

「落ち着け、見ろよ。こんなロクに整備されてない山で歩くヤツ、そういないだろ?」

 

 ひび割れ、時折崩落したアスファルト。ガードレールの変形は過去の事故を強く想起させ、突如視界に入った倒木に大きくハンドルを切った。

 度重なる予算カットによっておぼつかない道路整備。その結果は、通行者にとって恐怖と不安しかない路面を生み出した。

 

「確かに、二度と通りたくない道だ」

 

 目前に広がる惨状は、信用ならない運命共同体の言葉に説得力を持たせていた。

 急ハンドルで打った肩を撫でながら、彼は地元住民に同情した。

 

 痛み。ここでふと気づく。

 

「なんか、静かじゃないか」

 

 恐る恐る、助手席の男は背後を振り返った。

 徹底した目張りにより視界が失われた荷台では、正面から入る光で白銀がキラリと煌めいた。

 そこに、想像していた景色はない。

 

「くそっ。おい起きろ!」

 

 エンジンの唸りと、内容も聞き取れないラジオの声。

 半ば乞うような叫びに返答はない。

 そこには、不安を催す沈黙が広がるばかりだった。

 

「勘弁してくれよっ」

 

 もしや。まさか。可能性を排除しきれなくなった二人は車を停める事に決めた。

 すれ違い待避所でブレーキを踏むと、蒼白のコンビは揃って荷台へ向かう。

 

「心臓とか悪いんじゃないだろうな」

「知らねえよ、そんなこと言ってなかったぞ」

 

 運転手はポケットのスマホに手を伸ばすが、すぐやめた。

 連絡は常に一方的なものだ。ルールを破ろうものなら、何をされるかわからない。

 

「どうするんだよ、死んでたら。金はどうなんだ、金は」

「そんなもん想定してるわけないだろ。こっちは攫ってこいって言われただけだぜ」

 

 誰が言うまでもなく、これは共有している情報だ。

 荷物を奪って届ける。それだけの話だったのだから。

 

「埋めちまおう」

「馬鹿言え、んな真似したらサツにパクらせてすらもらえなくなるぞ!」

 

 依頼主の素性は知らない。知る必要もない。

 しかし、会話をしているうちに最低限のことはわかる。

 彼らは大金持ちで、力があり、冷酷だ。

 さらに非合法な仕事を最低二名に依頼する顔の広さもある。

 もし逆らったら、殺してもらえるのだろうか?

 

 不快な耳鳴りを覚えながらも、運転手は荷台のドアに手を掛ける。

 

「なんにせよ、確認しなきゃならん」

 

 相方の首肯(しゅこう)を見ると、ベールを取り払い中をうかがった。

 直後、彼の視界は足の裏に覆われた。

 

「ぐあっ」

 

 足のバネを用いたキック。それが顔面を捉えたのだ。

 彼の顔面に見るに耐えない傷を与えたのは、下着姿の少女だった。

 

 白銀の長髪と碧眼に、透き通るような白い肌。見る者の気を惹く顔立ちの半分は、不恰好な猿轡によって覆い隠されていた。

 

 そんな彼女の両手両足は拘束されていたが、膝を曲げるぐらいは出来る。

 その長い足を駆使して自身を攫った下手人に一矢報いたのだ。

 

「このっ、ハメやがって!」

 

 しかし、相手は一人ではない。抵抗虚しく片割れによって車外に引きずり出された。

 拘束は解けず、助けも呼べず。それでも彼女は、その目で威嚇を続けた。

 

「おい。もういいだろ」

 

 ふらりと運転手が立ち上がる。極限状態によりひび割れていた彼の理性は、先ほどのキックで完全に折れてしまっていた。

 

「やっちゃうのか?」

「ああ。別に手をつけるなとは聞いてないしな。役得みたいなもんだ」

「マジか。いや、そうだよな。こんな格好してんだもんな」

 

 うつ伏せに寝かされ、押さえつけられ、世界が大きく制限される。

 これから自分が何をされるのか。彼女には聴覚と触覚しか残されていなかった。

 

「なあ、どうすんだ?」

「うるせえっ、黙ってろ」

 

 金属の摩擦音、布の摩擦音。そして、様々なものが地面に落ちる音。

 

「これは罰だ。ゴムなんてないからな」

「えっぐ」

 

 腰に熱が触れる。布が取り払われ、そこで慣れない外気を感じた。

 音が伝えた情報は、これから起きる惨事を予期させた。

 

 憤怒に歪む表情に反し、恐怖で身体は震える。目から涙が溢れる。

 男達は嗤う。

 

「お前が悪いんだぞ、余計な真似して他人の鼻折らなきゃな!」

 

───そもそもお前達がこんな真似しなければ!

 

 心から溢れる憤怒の言葉は、口を覆う布に遮られた。

 特に強い熱が身体に触れる。

 

 その時だった。

 

「ごぉっ」

 

 空を切る音。何か鈍い音。

 背後に大きな熱が覆い被さった。

 

「なっ……なんだあっ」

 

 転がる気配に視線を巡らせる。それは、何の変哲もない拳大の石ころ。

 

───なんでこんなものが?

 

 その答えは、彼女の死角にいた。

 

「んだテメェは!」

 

 助手席の男はこの重量物が飛来した方向を睨んだ。

 そこにいたのは、人間。言うまでもないことだ。

 

 その人間は山道とは思えない坂の途中で立ち、石を運転手の後頭部に叩き込んだのだ。

 距離は10メートル以上ある。恐ろしく正確なコントロール。

 

「お前は(クズ)だな」

 

 見下す視線と共に、断言(レッテル)が投げ付けられた。

 当たり前だ。人攫いが正しいはずがない。

 しかし、金が欲しい。金が手に入るのなら、それは彼にとって正義なのだ。

 

「だったらなんだよぉっ!」

 

 相手は一人、ならば逃げるだろう。男はそう判断し、背を向けるであろう相手に駆け寄った。

 予想通り。相手は背中を向けて坂を登り始めた。

 

 逃げられれば、警察に通報される。いやむしろ、電波の通るところで通話を始めるだろう。

 その前に、捕えなくては!

 

「待てやコラ!」

 

 しかし、速い。大袈裟なリュックを担いでいるというのに、全く足が止まらない。

 こちらは荷物なぞないというのに、木の根や坂に足を取られてしまう。

 背中はあっという間に木立の中に消えてしまった。

 

「くそっ。速ええ……」

 

 静寂のなか立ち尽くす。

 

───どうする、このまま追い掛けるか?

 

 いや、それでは放置してきた現場が通行人に見つかるかもしれない。

 しかし、逃せば通報は確定───

 

 何か事態を解決するものはないか。斜面に視線を巡らせていると、歪みを見つけた。

 景色の中の歪み。溶け込むような迷彩模様だった。

 

「あれは……!」

 

 見覚えがある。これはさっきの奴が背負っていたリュックだ。

 慌てて駆け寄り、周囲を睨む。

 

 人の気配はない。逃げるために、荷物を捨てたのだ。

 枷があってあの速さ。身軽な今となっては、追いつける要素がない。

 

「くそ、逃げられたか」

 

 男は楽な選択肢に逃げた。まだ周囲を捜索すれば状況を打開できていたかもしれない。

 しかし、その怠惰な性根が何の解決にもならない行動を選ばせたのだ。

 

「……あの馬鹿、普通に人いるじゃねぇか」

 

 車で伸びているであろう相方に呪詛を吐く。体力と同じく気力も完全に萎えていた。

 

「通報されようが知るか。俺は金が欲しいんだ」

 

 踵を返し、来た道を戻る。

 

───あれ、俺どっから来たんだ?

 

 彼の頭に帰り道はなかった。

 数十メートル無計画な移動をするだけで、方向感覚が失われる。

 それが山という世界だった。

 

「だからお前は(クズ)なんだ」

 

 不意に背後から気配。咄嗟に拳が出るも、苦し紛れの攻撃は空を切る。相手の姿は下、間合いの内側。

 時既に遅し。条件反射よりも早く鋭い肘が男の顎を捉えていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 普段静寂に包まれている山は、珍しく喧騒の中にあった。

 木立の薄暗さをパトライトが赤く照らし、道路の至る場所で紺の制服に身を包んだ捜査員が現場検証に精を出していた。

 

「ヒルビサロさん。救急車が」

 

 救出された少女、ハンナマリ・ヒルヴィサロは顔を上げた。

 寝起きのまま誘拐され、ろくな衣服もなかった彼女には毛布が与えられていた。

 そしてその内側にもう一着。汗でじっとり濡れたシャツがあった。

 

「このシャツの人は?」

「こちらで返却しておきます。救急車へ」

 

 このスーツ姿の男は自身を外務省から派遣されたと名乗った。

 おおかた、父が慣れた言葉が出来る人間を、と気を回したのだろう。

 

「返すんじゃなくて、会いたいの。どこ?」

「彼は今取り調べを受けています。会えません」

「一言でいいから! お願い!」

 

 彼は露骨に嫌そうな顔をした。恐らく、『成金お嬢のくせにグチグチ言いやがって』とでも思っているのだろう。

 それを自覚しながらも、ハンナは主張を曲げなかった。

 そして、役人も自身を曲げなかった。

 

 不毛な問答を続けていると、堅物の背後で集団が動いた。

 その中に、半袖姿の人影を捉えた。

 

「ねえ! そこの人!」

「あぁ……まったく」

 

 通せんぼをすり抜けて、彼に駆け寄る。

 幸いにも、向こうは足を止めてくれた。

 

「よっ。調子どう?」

「サイアク……だけど、ホントの最悪じゃないかな」

 

 彼は命懸けの修羅場をくぐり抜けたというのに、驚くほど軽く応対した。

 半袖シャツの彼の背後では顔を真っ赤に染めた警官が続く。もちろん、手には彼の荷物を携えている。リュックは二人がかりだ。

 

 救世主は、こうして見ると大して年齢の変わらない少年に見えた。

 

「ねえ。私はハンナ。ハンナ・ヒルヴィサロ。あなたは?」

 

 背後の気配と、彼の周囲からは急かすような圧力を感じる。

 誰にでも事情がある。ハンナとて、そこまでわがままではない。

 

「俺? 幕内(マクノウチ)知樹(トモキ)

名気屋(なきや)の方に住んでる? だったら何かお礼を……」

「ほらっ、行きますよ!」

 

 流石にこれ以上は許してくれないらしい。

 警察の側も、知樹に尋ねたいことがあるらしく歩き出した。

 

◆ ◆ ◆

 

「どう思う?」

 

 検証が進む現場を睨む、四つの瞳。

 作業服に身を包んだ男は木立の中で囁いた。

 

 彼の手にあるのは警官が現場で収集した証拠品のデータだ。

 存在しないナンバーの盗難車、連絡先が全て不通の携帯。そして被疑(容疑)者曰く、支給された(・・・・・)装備品。

 

「まず、実行犯は素人だろう。だが、プランはプロ……“アルファ”じゃないな」

「僕もそう思う」

 

 誘拐が実行された現場のそこかしこには、指紋や毛髪などの証拠が散らばっていた。

 それだけ見れば金目当ての誘拐犯だが、現場への到着・離脱においては街中の防犯カメラや警察の巡回ルートを綺麗に回避していた。

 それも、町内会が設置したようなものまで避けているのだから徹底している。

 

───単独ではない。計画した者がいる。

 

 警察もそう判断したことだろう。

 

「前提を共有した上で言わせてもらうと、こいつは警告だ」

「警告?」

「連中がうまく目的地に着いても、前金以外の報酬はなかったってことだ」

「鉄砲玉……」

「それ未満だな」

 

 大柄な男は自身が持つデータを確認した。

 警察は当然、被疑者が用いた車両の車両識別番号(VIN)を照会した。

 すると、数年前に盗難届が提出され、その後密輸されたと見られていた車両がヒットした。もちろん、ナンバープレートとは一致しない。

 この軽バンは現実には持ち出されず、日本のどこかでストックされていたのだ。

 

「これだけでは特定は無理だな……」

「絞れる情報がある」

 

 目付きの鋭い男が画像データを送信した。

 

 証拠品として押収された、被疑者が身につけていたバラクラバだ。

 わかりやすく、裏面のタグにロゴが描かれている。

 

「これは……押収品か?」

「で、こっちを見てくれ」

 

 続いて彼はこの画像を用いてブラウザで画像検索を始めた。

 すると、ロシアのミリタリー・ウェア・メーカーの名前が現われた。

 

「こいつはシータ(θ)・グループのフロント企業だ」

「シータグループ……? ロシア政府の御用達(ひもつき)傭兵(PMC)か!」

 

 思わぬ大物の登場に大柄な男は目を剥いた。

 

「でも、一応市販されているんだろう?」

「街のチンピラが買うには値が張るし、販路が限られる。買えるのはマニアかオタク(おれら)ぐらいだ。被疑者(あいつら)は匂わない」

 

 ディスカウントショップに転がっていた物の可能性は否定出来ない。

 しかしそれがこの犯罪に使われるのは一体どれほどの確率なのだろうか。

 

 必然を確信するのは危険だ。一方で、偶然で片付けるには少々出来過ぎている。

 

「そういう匂わせだ。連中はたまにやる」

「匂わせか……でも、これじゃ根拠として弱すぎないか?」

「強かったら匂わせにならないし、政治的な問題になるだろう? バレたところで、シラを切るだろうが」

 

 過去の事例を思い返してみれば、確かに2014年にも明らかな侵略行為を知らぬ存ぜぬで通していた。

 それなら、鉄砲玉を雑に使い潰すぐらい───と思わせた。

 

「……じゃあ、あの子はロシアに狙われてるのか?」

「いや、実行された時点で目的は達したんだろう。それ以上の意味を見出してたなら、今ここにはいない」

 

 その場合、人員も現地で集めたものではなく人間(・・)を選抜しているはず。

 このような不手際で露呈することはない。

 

 誰が、どのようにまではわかった。

 しかし肝心な、なぜ? が解明できていない。

 

「狙った理由はわからないな。あの子にあるとしか」

「ロシア絡みだとしたら、見当がつく。これを見てくれ」

 

 転送されたデータには被害者であるハンナの情報がまとめられていた。

 正規の手段で入国したのなら、警察は下手な日本人よりも情報を持っている。

 お堅い書類に並ぶ文字の中で、彼の目に留まったのは父親の欄。

 

『フィンランド鉱業執行役員』

 

 フィンランド鉱業といえば、バッテリー製造に必要なコバルトやニッケルを輸出している大企業。

 近年のEV移行の流れにおいては、欧州の抱えるエネルギー需要の一翼を担っている企業と言える。

 代表取締役ではなく、あくまで執行役員。その留学中の娘となれば、絶妙に強すぎないポジションだ。

 

 他国の主権侵害という言葉が浮かび上がるが、彼らにとって主権ある国家は地球上に手の指で足りる数しか存在しない。

 

「なるほど。北欧への威嚇か」

「EUがロシアの小麦の輸入量減らすってニュース知ってるか? 西アジアで実質軍を動かした、あれの制裁措置。それ絡みだと思う」

「さすがだな。毎朝新聞読むだけはある」

「こういう時役に立つ……で、これどこか動くかな?」

「ないな。そうならないために、こんな半端な手を打つんだ」

 

 この事件はチンピラが実行した金目当ての犯行と片付けられる。

 被疑者が何かを知っていて、ロシアの関与を証言したとしよう。それはただのノイズ(減刑目的)で済む。済まさねければならない。

 少女一人のために、世界二位の軍事大国と必要以上に対立したがる国は存在しないのだから。

 

「気に入らないな」

「ああ。同感だ」

 

 絶対の正解はこの世に存在しない。政治が関わるとなれば、なおのこと。

 

 鋭い眼光が警官に囲まれた少年に向けられる。

 普通は萎縮するであろう状況下で自然体を崩さない人間。

 間違いなく彼は異常(イレギュラー)な存在だった。

 

「だが、“アルファ”絡みじゃない以上、まだ俺達の案件じゃない」

 

 最低限のメモを記録すると、二人は山の暗がりにそっと姿を消した。




◆この男たちの目的は───?

本日連投予定です
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