2021年5月29日21:46 永葉県大桑村腹谷家
生ぬるい風が谷を通り過ぎていった。
息を潜めて誰かを待つ間、1分間は1時間となる。
手に持っている武器が心許なければ、なおのことである。
───相手が、
彼女、鬼武瑩が持つ異能であれば傷一つだけで滅することが出来る。
父親から受け継いだ、蒼き焔である。
───でも相手が、
この力は人には効かない。
ひとり斬ればその切れ味は鈍り、ふたり目の頃にはさらに3人がかりで取り上げられるだろう。
それが彼女がこの戦いで得た教訓だった。
そもそも、既に人ではないとはいえ人を斬れるのか?
生き残るため、殺せるのか?
その覚悟さえ、彼女の中では曖昧だった。
「えーちゃん、えーちゃんっ」
その時、春香が彼女の名を呼んだ。
顔に出ていたのか。無理にでも笑みを浮かべて誤魔化そうとした。
「なに?」
「こんな時だから仕方ないと思うけど……すごく、辛そうだったから」
当然だ。
なんの覚悟もなく、合宿の下見に来た土地でこんな目に遭っているのだ。
辛くなければ、人ではない。
その一方で、瑩は春香に強く同情した。
瑩自身は異能を自覚し、そういった類の実在を知っている。
今この時と思ってはいなかったが、いずれ遭遇する可能性が頭の片隅にあった。
春香には、全てが唐突で理不尽なものだったに違いない。
なのに彼女は他者を気遣えるのだ。
それも、異能を持つ
「……ごめん」
「謝ることなんかないよ。むしろ、こっちがありがとうしないと」
「そうよ、鬼武さん。私達はみんな、あなた達に助けられてばかりなんだから」
弥生が春香の言葉に付け加えた。
巨人、デミノの襲来。
奴の最期の一撃は瑩がいなければ止められなかった。
「そう、かな」
「そうだよ、ありがとう」
獄介も便乗して礼を告げた。
───どうせなら、あの人達にも素直にお礼言えばいいのに。
などと心中で思うと、件のふたりに思考が向かった。
ふたり。清水徹と幕内知樹。
谷の反対側に位置する城下の集落からやって来たあのふたりだ。
徹はこの村の猟師で、話を聞く限り自衛隊の人間であったと想像出来た。
これは、まだわかる。
わからないのはもうひとりの方だ。
知樹はこの村の人間ではなく遭難して保護されたところ、この事件に巻き込まれた。
名気屋の学園生というが、年上だろうか?
暴徒相手には喧嘩慣れしていたとしよう。
だとしても、デミノのような異形と戦うのは初めてなのは間違いない。
それなのに恐ろしく冷静に対応し、荒々しく戦った。
わからない。ただの学園生が、なぜここまで戦える?
刃物の扱いはもちろん、徹ですら扱えないと言っていた拳銃の扱いにも長けている。
知識については一般人な瑩にも、彼の異常性に気付いていた。
もしや、魔の者のスパイか何かではないのか?
そう考えもしたが、彼らは絶望エネルギーで何かを成そうとしている。
だとするなら、彼がもたらしたのは絶望の真逆だ。
とすると、向こうの手先とは考え難い。
知樹は明らかに敵の思惑とは遠く離れた存在。
計画にとっての
害意はなく、恐らく善良な人間で味方と思える。
不気味な点があることは、否定しきれないが。
「あっ、誰か出てきたっ」
倉庫を見ていた春香が声を上げる。
視線をやると、向かってくる人工的なライトの光。
暴徒はどういうわけか、松明しか使わない。
ならば正体はかなり絞れる。
姿を判別出来る距離まで接近するのに時間は要さなかった。
「まずいことになった」
知樹は緊張を隠さぬ声色で告げた。
◆果たして間に合うのか───?!