TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年5月29日22:15 永葉県大桑村腹谷家

 

 刃が通じない。

 相手が鎧を着ている時点で、想定しておくべき事態だった。

 

 数秒意識を失っていた瑩は、いまだ自分の体の健在を確かめると自省した。

 反省しても、完全に折れたナタは戻ってこない。

 

「こっちだ、こいっ」

 

 彼女の手を引いたのは徹だ。

 前村長の攻撃で左肩を負傷し、車の陰に身を隠していた。

 

「シャッターを開けたいが、肩を砕かれてる」

 

 倉庫を開くためのシャッターは鎖を引いて扉を持ち上げる原始的な構造だ。

 シンプルな分、求められる人力は大きい。

 片腕だけで開けられるほど、軽いものではないのだ。

 

「でも、幕内さんが……」

「ここはじき燃え落ちる。今やらないと共倒れだ」

 

 たとえ前村長を倒せたとしても、倉庫の崩壊に巻き込まれればおしまいだ。

 既に炎は壁まで燃え広がり、間もなく天井にまで達しそうな勢いだ。

 

 知樹も隙を見て銃を装填し、短刀で攻撃をいなしている。

 倒せるにしても、シャッターの開放は間に合わないだろう。

 

「あいつなら大丈夫だ、引けっ!」

 

 隅にある鎖を引き下ろす。

 恐ろしく重い。全身の筋肉を使ってようやく動き出す。

 徹も右腕で手伝いはするが、なかなか開かない。

 

「逃さんぞッ!」

 

 前村長の意識がシャッターに向かった。

 腕だけで器用に歩き、ふたりのもとに接近する。

 そこに、影と刃が迫る。

 

 鋭い刃が肘に開いている小手の隙間へずぶりと入り込む。

 思わぬ激痛に息を漏らし、腕を振るった。

 

 大きく吹き飛ばされた知樹は軽く受け身を取り、左の中指を立てた。

 

「よそ見すんなよジジイ」

「後ろからとは、卑劣なッ……」

 

 深々と刃の突き刺さった傷口に視線をやる。

 黒い血が漏れ出し、右腕の肘から先が痛みと痺れで動かなくなった。

 あの一撃で腱を破壊したのだ。

 

「化け物の力使ってる方が卑怯だろーが。テメェアカか?」

「こッ……このッ、私をッ……アカ呼ばわりだとぉッ?!」

 

 暴徒と違って知能が残っている欠点が出た。

 冷静とは程遠いほど負の感情が高まっているため、容易く挑発に乗ってしまうのだ。

 それが前村長の触れては()ならん()ところ()だったのが、さらに怒り狂わせた。

 

外患誘致(がいかんゆうち)ダブル(二重)スタンダード(基準)はお前らの特徴だろ、極左め」

「ふざけるなっ、あの方々を邪魔するお前らの方がヒダリだ! バーカ! 人間のクズ!」

「そこが外患誘致なんだよ、脳みそ腐ってんなぁっ! だから“元”なんだろうなぁ! アカの売国無能政治家!」

 

 事情を知らぬ知樹が限界極右バトルの幕を開いた。

 瑩は全貌を把握していなかったが、注意が逸れたことだけは把握した。

 彼らが戦っている間に、シャッターを開いて車を出庫させなければ。

 

「……っ、よーいしょっ!」

 

 脛の辺りまで開き始めた。

 すると、何かが飛び込んでくる。

 外で待っていたはずの春香だ。

 

「えーちゃんっ、手伝うよっ!」

「春香?! ここ危ないっ」

「安全な場所なんてないでしょ!」

 

 春香の言葉には反論出来ない。

 いつここの火事に気付いて暴徒が殺到してくるか。

 そう考えると、1秒でも早くこの場から脱しなければ。

 

「運転は私が!」

「車高の低い方で出るぞ!」

 

 後から飛び込んだ弥生は徹から鍵を受け取ると、古いクラウン(Clown)の運転席に滑り込んだ。

 4人乗りセダンは全員乗せるには狭すぎるが、火事に巻き込まれるよりずっとマシだ。

 バッテリー切れの危惧は存在していたが、スターターは問題なくエンジンを始動させた。

 

「掛かりました!」

「もうちょっとだ!」

 

 瑩と春香がシャッターを懸命に開き、ようやくクラウンのルーフを越えた。

 

「今だっ、出せ!」

 

 外へ出た徹が合図を出すと、弥生はアクセルを踏み込む。

 ルーフを掠め、埃をかぶった車体が夜の暗闇に飛び出した。

 

「知樹! 出ろ!」

 

 それは、想像を絶する苦痛だ。

 片腕の骨が砕けた身体で、相当な重量のシャッターを支えるのだ。

 

「お前らもだっ、行け!」

 

 瑩と春香はもう離れてもいいはずだった。

 彼女達がシャッターの鎖から手を離さないのは、ひとえに徹のためでもあった。

 彼女達がいなくなれば、徹ひとりで支えなければならなくなる。

 

「でもっ、清水さんがっ!」

「内側にいたら、あいつの邪魔になるぞ!」

 

 ここに獄介がいれば、共に支えさせることも出来ただろう。

 しかし恐怖に耐えかねてひとり逃げ出したか、あるいは震えて隠れているのか。

 いない人間の事を考えても、仕方がない。

 

 これほどの重さはひとりでシカを担いで歩いた時以来だろうか。

 それも10年近く前の、今と比べれば子供のように思える時代。

 年老いた身体には、地獄の責苦に近い。

 

「がああっ、知樹ィッ! 今だァッ!」

 

 脂汗が染み出し、血の気と共に聴覚から世界が遠のく。

 腕を滴る血の感触も、どこかへ霧散していった。

 彼の身体を維持しているのは、気力と根性だけだった。

 

 知樹も好きで徹の言葉を無視していたわけではない。

 ターゲットを完全に定めた前村長の猛攻に苦戦していたのだ。

 

 振り上げた腕。その懐に敢えて飛び込み、攻撃をかわす。

 前村長は齢90を超える老人中の老人。

 そんな身体の人間が急に超人的な力を与えられても、使いこなせるわけがない。

 

 さもなくば、この場にいた人間は全滅していた。

 

「いいぞ、じいさんっ!」

 

 その隙を突き、知樹はスライディングでシャッターの下を通り抜けた。

 

「逃すかァッ!」

 

 老人の細い腕が空を切り、シャッターを叩く。

 ひとまずの勝利。確信した徹はその場に崩れ落ちた。




◆その身と引き換えに───
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