2021年5月29日22:28 永葉県大桑村腹谷家
「じいさんっ!」
知樹は仰向けに倒れた徹に駆け寄った。
見るからに出血が酷い。
シャツを裂いて傷口を見ると、鎖骨まで折れていることが確認できた。
「どうなのっ?」
「多分鎖骨下動脈までやられてる。すぐに止めないと失血死する!」
駆け寄った瑩に説明すると、徹が背負っていたリュックに手を伸ばす。
元は知樹が持ち込んでいたリュックだ。当然、中身も把握している。
すると突如、徹が意識を取り戻して叫んだ。
「油断っ、するなぁっ!」
ドンッ! 強烈な衝撃でシャッターが大きく凹んだ。
こんな真似をするのは、ひとりしかいない。
「離れろっ、他のみんなを頼む!」
「……わかった」
リュックと徹を瑩に託すと、知樹はシャッターの正面に立つ。
「素直に開けりゃいいのに。相当頭にキてやがんな」
まだ知樹の頭は冷静さを保っていた。
この調子なら、瑩はそれなりに遠くまで離れられる。
狙いが自分ひとりなら、巻き込まれることはない。
徹を車に収容出来たら、相手などする必要はない。
もとより倒さなければならない敵ではないのだから。
戦う前に鞭を受けた自分の肩を改めて確かめる。
鎧通で勢いを殺した甲斐はあった。
恐らく内出血ぐらいは起きているだろうが、骨にヒビが入ったような感覚はない。
この程度の痛みならば、無視できる。
「しゃあっ」
気合いを込め、相対する敵を睨む。
拳が倉庫のシャッターを貫き、続いて入った両手が左右に引き千切る。
「無礼者めェッ……!」
「ダーク・ステートの犬に尽くす礼儀なんざねぇよ」
「……フン、陰謀論者のカスだったか」
「洗脳されたお前らは、いつもそう言って現実を見ない」
対峙するふたりは自然と構える。
弾を適当に叩き込んでも、相手は再生する。
再生能力は明らかに衰え始めていたが、それでもまともにやっていたら弾が足りない。
知樹はこの再生能力が血にあると読んでいた。
洗脳されただけの暴徒は、言ってしまえば普通の人間から脳のリミッターを外すようなもの。
人間としては強い膂力を発揮するが、あくまで一般人の範疇。
あのしぶとさは、化け物から与えられた血によるものに違いない。
ならば血管を破壊し、失血を誘う。
その目的ならば銃よりも刃物の方が適役だ。
「死ねェッ!」
両腕で跳躍し、回転する勢いのまま腕を振り回す。
狭く障害物のある屋内ならまだしも、制限のない屋外でこれをかわすのは難しくない。
後ろに跳ねて間合いのスレスレで回避し、勢いの弱まったところに一閃。
手首に深々とした傷が走り、切り開かれた動脈から黒い血が溢れ出す。
先ほどまでは即座に癒着していた傷も、なかなか閉じない。
「魔の力が……まさか貴様ッ……!」
「穢れた血だ。せいぜい雑草の養分になってもらおう」
自覚があるのなら、効果が出ているのだろう。
攻めが相手の術中にあると気付いた前村長は、明らかにやり口を変えた。
拳を地面につけたまま、口を開く。
「おかしいと思わんか? 今の政治を。野党は綺麗事を嘯くだけでまともな政治をせず、与党は支那人や露助にすり寄り、与野党仲良く公金を啜る団体に金を流し私腹を肥やしている……! わからんか? このような世界は、一度破壊すべきなのだッ!」
「化け物が人の政治を語るな。壊すにしても、それは人の手でやる」
時間稼ぎ、あるいは注意を引く目的は明白。
何が目的だとしても、空白は知樹にとっても利があった。
「お前らのような化け物みたく、無計画な殺戮じゃない。心ある人々の手によって計画的に、最小限の犠牲で行われる」
「そんなものに参加出来るとでも?」
「出来る出来ないじゃない、親父はもうそのために働いている」
まともな会話とは言えなかった。
嘘ならば誇大妄想狂か、虚言癖か。
事実ならば、とんでもないテロリスト予備軍だ。
「こいつッ……イカれとるのか?」
「何も知らないんだな。ま、田舎の無能政治家なら取り残されても仕方ないか」
狂人としか言いようのない人物から繰り出される上から目線の発言に、前村長の顔がまた紅潮し始めた。
「こんなッ……こんな奴に、あの方々の計画は……邪魔させるわけにはッ……!」
「俺らに苦戦してるようじゃ、
それは事実だ。
銃を持っているとはいえ、一般人約2名にここまで引っかき回されるのだ。
もし警察や自衛隊が介入すれば、ひとたまりもない。
「それは……あり得ないッ……」
「もう助けは呼んだ。来るのは警察かな? それとも違憲軍? 賭けてみようぜ」
敗北。前村長の脳裏に、その一言がよぎった。
負け。それは究極の屈辱と没落。
それが、人生を賭けたこの一手を覆っているのだ。
そろそろいいだろうか。
知樹は車の方向を一瞥した。
瑩が弥生が運転する車に間もなく到着するか、という頃だった。
もういいだろう。
一歩、悟られないように後ずさる。
「それはッ、あり得ないッ! ラーイー様が暗黒儀式を成就させればッ、門から増援が来る!」
「なにっ」
聞き捨てならない言葉だった。
数十発の弾を受けても死なない化け物。
それが続々と押し寄せてくるのだ。
しかも人間を洗脳して手駒に、場合によっては頑丈にすると来た。
いや、こちらの知らない手段を使ってくる化け物もいるかもしれない。
その儀式とやらが行われれば、どこへ逃げても時間の問題になるのではないか。
知樹の足が止まった。
ここで聞き出して、詳細を掴むしかない。
今自分が直面しているのは、ダークステートの向こうにいる外宇宙人の侵略なのかもしれないのだから。
その時だった。
「あったーっ!」
声の方へ視線をやると、そこにいたのは獄介。
自宅の正面玄関で刀を掲げていた。
彼は瑩が持っているナタが壊れたのを見て、代わりを手に入れていたのだ。
間もなくして、獄介と前村長の視線が交差した。
「父さんっ……?」
「おッ、お前……」
さっと前村長の顔が青ざめると、今度は真っ赤に紅潮した。
「お前お前お前お前ェェッッ! 穀潰しッ、親不孝者ッ、裏切り者ッ、犯罪者ァァァッ!」
前村長の家にあった、肉塊と化した死体。
その正体を考えれば、想定できた事態だ。
彼は自身の家族を憎んでいる。
それも、原形を留めぬ細切れにするほどに。
もはや知樹のことなどすっかり忘れて、自分の息子に向けて駆けだした。
「ひいいっ!」
例え自分の肉親だろうと、上半身だけで自分に向かってくれば驚きもする。
獄介は深い考えもなく車の方へ走り出した。
しかし、庭木の陰から行く手を遮るものが現われた。
前村長の下半身だ。知樹を倒すための策すらかなぐり捨てて、実の息子を殺めんとしたのだ。
「うわああああっ」
驚いて尻餅をつき、刀すら放り投げてしまった。
知樹が切り落とした右足からは、鋭利な形状となった
先端が、獄介へ向けられる。
その時、瑩が追いついた。
転がった打刀を拾い上げると、鞘から抜き放つと同時に斬り上げた。
斬られてから一拍子おいて、焔が全体に回る。
そして、浄化された。
逆一文字の、まさに滝登り。
見事な抜刀術であった。
「邪魔だァッ!」
獄介と前村長の間に割って入り、上段の構えで対峙する。
その動きは隙だらけで、瑩でも簡単に読むことが出来た。
しくじれば、両方死ぬ。
その覚悟で袈裟懸けに振り下ろした。
右鎖骨から入り、左脇に剣が抜ける。
文字通りの一刀両断。
真っ二つからさらに別たれた身体が腹谷家の前に横たわった。
下半身はともかく、上半身は魔の者ではなく人と判断したのか。
裁定者の蒼い焔は前村長を巡る魔の血を焼き払い、血に残った黒を消し去った。
だからこそ、この最悪な奇跡が起きてしまったのだろう。
「うっ、ぐああっ……なにがっ……?」
彼から漏れていた声は憎悪に満ちあふれていた。
しかし今彼の口から出た言葉には、そのような負の感情を感じられなかった。
「とっ、父さん……」
もはや首と僅かな胸部、そして左腕しか残っていない身体にすがりつく。
害意は感じられない。ただ虫の息が胸と口から漏れるばかりだった。
「俺はっ……俺はなんてことを……」
「父さんっ。俺っ、父さんからそんなに恨まれてたなんて……」
獄介は懺悔の言葉を紡ごうとしたが、途中で気付いた。
「申し訳ないっ……申し訳ないっ……俺は誘惑に負けてしまって、こんな大罪を……」
聞こえていない。見えていない。それどころか、触れられていることさえわかっていない。
死なない方がおかしい失血と身体の損傷は、彼から五感を奪い取っていたのだ。
ほんの微量ながら身体に残った魔が、この状態でも生に縛り付けていたのだ。
「ああっ。俺は、なんで死んでないんだ……死んだら、皆様に頭を下げられるのにっ……」
前村長がいま謝罪しているのは、この世にいない幻覚の村民達。
脳内に浮かんだおぼろげな幻しか見えていないのだ。
「誰かっ、俺を殺してくれぇっ。殺してくれぇっ」
先ほどまで自分達を殺しに来ていた相手。
しかしこの様子を見て瑩は、哀れに思ってしまった。
───この人は、このまま終わりなく苦しむしかないの……?
それは、想像を絶する苦痛に違いない。
死ぬよりも酷い、というのはこういうことなのかもしれない。
ならばこの生に終わりを与えてやるべきなのだろう。
僅かな身体しか残らないように斬ったのは自分なのだから。
理解しているが、選べなかった。
───私が、殺すの? この人を……?
矛盾しているように感じるが、この葛藤は間違いなく存在していた。
逡巡していると、手が差し伸べられた。
「それ貸して……いや、少し返して欲しい」
獄介だ。彼は瑩が持つ打刀を指していた。
この刀はこの家にあったものだから、返すという表現は妥当だ。
今返せと言うのはつまり、父に引導を渡すのは自分だと言いたいのだろう。
父殺し。尊属殺人。それに加担してもいいのだろうか?
「それを渡しても、やるのは俺だ。君じゃない」
二度目の逡巡を和らげるかのように、獄介は言った。
家庭事情は人それぞれだが、相当な覚悟に違いない。
瑩は震える指の力を緩めた。
その時、気配を感じた。
知樹だ。能面のような無表情のまま、こちらへ歩み寄っている。
彼は鎧通を鞘から抜き放つと、柄を獄介に向けた。
「そんな長物で適当に突くよりも、顎の下から脳を突き上げた方がいい」
「えっ?」
「化け物に頑丈にされた奴でも、これで死ぬ。実証済みだ」
そう言って手渡すと、車の方へ向かっていった。
寂しい背中。見慣れているわけでもないのに、瑩はそう思ってしまった。
そして、これから起きることは見物するべきではない。
彼女も駆け足で知樹の後を追いかけるのだった。
◆哀しき親子の別れ───