TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年5月29日22:41 永葉県大桑村腹谷家

 

 その男は、少年の姿を見上げた。

 

 肩口の傷は弥生の手によって止血剤が含まれたガーゼが詰め込まれた。

 しかしそれでも、時間稼ぎ程度の効果。

 止血にまでは至らない。

 

「もう一枚詰めないと……」

「もういいんだ」

 

 徹が発したとは思えないほどに、驚くほど穏やかな言葉。

 誰の目から見ても手の施しようのない傷。

 それを本人が自覚出来ないはずがない。

 

「でもっ……」

「言ったろ? 俺はどのみち長くない。自分のために取っとけ」

 

 優しく諭すと、彼はポケットからタバコを取り出して口に咥えた。

 自然な動作で知樹はライターを差し出し、火を灯した。

 

「……お前、吸ってないだろうな?」

「当たり前だ。親父から無益な毒だと言われてる」

 

 それでも敢えて喫煙を許したのは、残された時間を考慮してのことだった。

 知樹から受けた言葉を脳内で反芻し、徹は紫煙を吐いた。

 

「お前の親父、禁煙家だったな。上官からの誘いを一蹴して、大した度胸だった」

「話すな。出血が酷くなる」

「それでも、伝えたい。話せなくなる前に」

 

 タバコに含まれるニコチンは人体にとって毒である。

 それは、たとえ悪役から軽んじられるほどに狂った陰謀論者の幕内一家でも、正鵠(せいこく)()ている。

 

 しかし、毒とは量や捉えようによって薬にもなる。

 煙に含まれた成分が、死の淵にいる男に落ち着きをもたらした。

 

「あいつが……営内のパワハラを改善しようとした時。俺はもう(一般)の人間だった」

 

 知樹の父。

 彼は陸上自衛隊空挺団出身であり、少なくとも一部部隊に蔓延していたパワーハラスメントの払拭に尽力していた。

 

 しかしそれは、失敗していた。

 それも父の社会的地位が失われるような形で。

 

「俺も協力を頼まれてたんだ……出身者(OB)として」

 

 初耳なのは当然だ。

 よほど手酷く扱われたといった事情でもない限り、息子に断られた協力者の話など出すわけがない。

 

 知樹の頭に血が上った。

 まだ接点がなければよかった。

 しかし父が言うには協力はなく、あったのは裏切りだけ。

 

 彼が手を挙げていないのは、まだ話に続きがあると確信していた。

 その一点だけで堪えていた。

 

「多分知ってるだろうが、断った。この村には今も当時も、猟師のアテがない。離れるわけにはいかなかった」

 

 もし猟師がいなければ。

 城下集落に広がる棚田は猪や鹿の餌食となり、熊が出没すれば住民は逃げ惑うしかない。

 猟友会が出て来る頃には、手遅れになっている可能性が高い。

 

 清水徹はその事情を知り、自衛隊を辞めた。

 父が隊内に蔓延する正義(・・)と対峙していた頃。

 当時は先代から狩りの全てを教授されている真っ最中だった。

 

「事情を話したら、受け入れてくれたな。だが、少しだけでも手伝うべきだった」

「それは……仕方ないって。そんなの」

「そういうところは、親父さん似だな」

 

 徹は破顔すると、もう一度紫煙を肺に通した。

 肺が言うことを聞かず、むせた。

 

「徹さん、もういい」

「まだ、ダメだ。待ってくれ、もう少し……」

 

 朦朧とする自分の意識に対し、徹は懇願した。

 伝えるべき言葉が、まだ出てきていない。

 

「俺は結局、お前の親父を救えなかった。だからせめて、お前だけでも……」

「どういうことだ」

 

 言葉の真意を測りかねた知樹は、尋ねた。

 まるでそれは、自分が何かに狙われているようではないか。

 鋭い瞳が、知樹を見上げた。

 

「元からおかしなところはあった。だが人伝でもわかるほど、あいつはおかしくなっていった」

「親父が、キチガイとでも言いたいのかよ」

「そうなった、だ」

 

 ふたりの手が震える。

 ひとりは崇拝する肉親を侮辱された怒りから。もうひとりは、話を聞いてくれなくなるのではないかという恐怖から。

 しかし怒りには困惑があった。恐怖は突き進んだ。

 

「弱った心につけ込まれたんだ。もう、戻れないかもしれない。だが知樹、お前は違う」

「おい、それってあの人(・・・)達が……」

「頼むっ、聞いてくれっ」

 

 徹の声に初めて弱さが混じった。

 精強という言葉を体現したような老人。

 そんな彼が見せた色に、知樹はたじろいだ。

 

「知樹、幕内知樹。お前の人生は、お前のものだ」

「そんなことは……」

「お前の親父、幕内和馬(カズマ)の一部ではないっ!」

 

 その一言に、頭を殴られたような衝撃が走った。

 過去に父から似たようなことを言われていた。

 

『知樹。お前はお前だ。他人の言葉を聞いてもいいが、委ねるな。自分の生は自分のものだ』

 

 そう言っていた父。

 しかし、考えてもみれば。

 本当に自分は、自分だと言えるのだろうか?

 

 知樹自身の思想や言動、生活に至るまで。

 他ならぬ父の言葉に委ねているのでは?

 自分は、父の一部なのでは?

 

「ちっ、違う……そんなことは……」

 

 少し前の知樹なら、断言していただろう。

 だからなんだ。それなら本望だ、と。

 

 その言葉を閉ざしていたのは、経験だった。

 人間を洗脳し、その意思を奪う。

 そして意のままに操る。

 

 知樹は人一倍聡い少年だった。

 同時に、自分が普通ではない人生を歩んできた自覚があった。

 そして過去に僅かながら、疑念を抱いていた。

 

 だからこそ、繋がりに気付いてしまったのだ。

 知らぬ間に蝕み、奇行で孤立させ、しまいには開き直らせる。

 これでは、ダークステートやカルトのやり口と同じではないかと。

 

 脳内に数字が生じた。

 意識が朦朧とし、疑念を数字が覆っていく。

 

 何かを疑うのは、疲れる。

 その疲れを、無思考が遠ざけてくれる。

 何かに従っていればいい(・・)。楽な方へ流れればいい(・・)

 

 そのいい(・・)から繋ぎ止めたのは、徹の手だった。

 知樹の肩を掴んだ彼は、一層険しい表情を浮かべた。

 

「お前の親父は酷い過ちを犯している。だが、全てが間違いじゃない」

「俺は……俺は、わからない」

「人はそんなものだ」

「俺は、どうすればいい……?」

 

 年相応。いや、迷子の幼児が道を尋ねるかのような。

 そんな幼さの混じる懇願だった。

 これが、心の奥底に封じられた本物の幕内知樹だ。

 

───あの野郎、図体ばっかのガキにしやがって。

 

 心中で顔も朧げになった後輩に吐き捨てる。

 しかしこの絶望の中に、この僅かな希望を残したのも他ならぬこの後輩の成果である。

 世の中ままならないものだ。何が幸いとなるか、わかったものではない。

 

 今から発する一言が少年の全てを左右する。

 その覚悟で、清水徹は最期の言葉を放った。

 

「お前の人生だ、お前が見定めろ……お前なら出来る。そして、状況に集中するんだ。いいな?」

 

 こくりと知樹は頷く。

 それを見届けた彼は、顔を伏せた。

 それきり、動かなくなった。




◆この遺言は伝わるのか───?

本日、AC6の二次創作も投稿しています。
よろしくお願いします。
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