2021年5月29日22:43 永葉県大桑村腹谷家
清水徹は、遠くへと旅立った。
伏せた顔の瞼を閉ざすと、知樹は頭上の星空を仰ぎ見た。
そして、彼が最期に放った言葉へ想いを馳せる。
自分の人生は自分のもの。
父の一部ではない。
その通りだ。
しかし、それが自分の正義を否定する理由に足るのだろうか?
父にも間違いはあるが、全てではない。
───そうだ、親父は絶対じゃない。でも、徹さんだってそうだ。
都合のいい
自身の心の安寧を守るため、理性が屁理屈を導き出したのだ。
こいつ、何も反省していない。
───でも、これは命の最期に出た遺言だ。
ならばこれからは少しだけ、この忠告に従ってみてもいいかもしれない。
自身の全てを覆すまでに至らなかったが、それでも、ほんの僅かに知樹は反省していた。
気付くと、隣で気配が崩れ落ちた。
「俺の、せいだ……」
獄介だ。
血みどろの手と鎧通を手に、彼は跪いていた。
「俺が手伝っていたら、清水さんは死なずに済んだ……」
徹の致命傷は前村長の鞭で鎖骨を骨折したことにある。
その後、シャッターを支えて出血が酷くなった事も多分にあるだろう。
事実の一側面ではあった。
「腹谷さん、それは違います」
弥生がそこに反論した。
「鬼武さんは武器を失ってました。もしあなたが武器を持ってこなければ、今どうなっていたかわかりません」
「でも、それでも、もっとやりようがあったはずだ……」
「……後出しで正しい判断を下すのは容易いことです。でも、歴史の生まれる場ではそんなことわからない。歴史とは、そういうものです」
彼女は史学の教諭である。
学園生がしたり顔で、歴史上の偉人達の犯した判断ミスをコケにする姿はたびたび見ている。
その度に思うのだ。
あなたがその現場にいたらどうするだろうか、あなたの前提は現実の前提と異なっているのではないか、と。
「私から見れば、あなたの判断はベターな方だったと思います」
「刀を持ってきてくれなかったら、えーちゃんも幕内さんもどうなっていたか……」
春香も恩師の言葉に賛同した。
一方の知樹は、一瞥すると面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「俺は自力で対処出来てた」
「あっ、あんたね……」
そこは乗っておけよと瑩が呆れるも、その表情を見て口を閉ざした。
「でも、徹さんはお前の事を非難しなかった。それだけだ」
少なくとも、徹は獄介を非難することはなかった。
知樹としては、それが全てだった。
「あんたはいい囮だった」
「ああ、まあ……そうだったかもね」
獄介は自嘲気味に笑った。
下手に慰められるよりも、心の自傷跡は少ない。
「ありがとう。これ、返すよ」
拭った気配すらない鎧通の刀身。
騒いでいなかった辺り、一撃で終わらせることが出来たらしい。
知樹は袖で血を拭うと、鞘に刃を納めた。
「じゃあ、あとは……」
脱出。春香が発しようとしたこの言葉を遮るように、瑩が口を開いた。
「私は残る」
「なっ、なんで?!」
「同感だ。俺も残る」
「いっ、一体全体どうしたのふたりとも!?」
瑩と知樹は脱出を拒否した。
もちろん、単なる自殺願望ではない。
「
「意味はわからないが、文脈から連中の本拠地と交通が成立すると判断した」
「大体その通り」
厳密には、知樹達が住むこの世と彼らの住む魔の世界とを繋ぐ門を作り出す儀式だ。
20年前の彼らも、それを目的として朝津川で活動していた。
「絶望エネルギーを貯めることで、行き来自由で巨大な門を生み出す儀式」
「あんな化け物……いや、もっとヤバいのが来るかもしれないってわけだ」
「それって……警察とか、自衛隊でどうにか出来るの?」
やってみなければわからない、というのが正直な話だ。
一方で、それが実現すれば対応が追い付くまで何人犠牲になるか。
少なくとも、大桑村程度の規模では収まらないのは確実だ。
「勝ち負け関係なく、大勢死ぬ。殺し合う事を強いられる」
「……魔の世界は父さんの言ってた限り、もう少し穏やかだった。でも、今はもう違うんだと思う」
戦うしかない。こんな状況でも。
瑩と知樹はそう判断した。
「でも相手は凄い数なんだよ……?」
「俺はその凄い数を相手にして、ここまで来たぜ」
「そりゃ、うまく逃げるのと戦うのは違うでしょ!」
ごもっともであるが、一方で春香の考える戦いと、知樹の考える戦いには大きな齟齬があった。
絶望的な状況には変わりはなかったが。
「大体さ、そのダサい名前の儀式! どこでやってるのかわかるの?」
「それはわかる。ずっと向こうの山から、禍々しい気配を感じてるから」
瑩は真っ直ぐ向かいの山の頂を指差した。
その先は、大桑山城跡。
かつてこの地域の支配者が交通の監視のため築いた城塞だ。
「方位磁石も、方向無視してずっとあそこを指してる。何かあるのは間違いない」
知樹の取り出したコンパスも、赤い矢印を瑩の指と同じ方向を示している。
異能を持つ少女と磁気が同じ場所を異常と判断している。
なにかある、と見て間違いないだろう。
「大桑村に広い場所は多くない。城の跡は一番の広場だ」
「腹谷さんまで……で、でも! それだったら、道とかしっかり守られてるよ!」
これまたごもっともな指摘である。
過去に妨害され、失敗した儀式。
もう一度実行するのなら、徹底して守りを固めるだろう。
進路の少ない山頂ならば、守備は簡単だ。
お得意の駒を山道に配置しておけばいいのだから。
「……大桑山城はその立地から、多くの隠し道があったと言われてるわ」
「先生?!」
ここで弥生が話に加わった。
守りが固い山城といえば聞こえはいい。
しかし言い換えれば、山道を封鎖すれば包囲は完成したも同然。
そういった事態のために、先人達は小規模な脱出・侵入路を築いたのだ。
「隠し通路だって、わかんなきゃ意味ないって……」
「知ってるよ、隠しトンネル」
獄介もここに参加した。
事実上、反対するのは春香ひとりとなった形だ。
「なんで、なんでみんな、えーちゃんを戦わせようとするの?! こんなの、警察とか自衛隊に任せればいいんだよ……」
またしても、ごもっともな指摘だ。
大人達が少女の戦いに反対せず、むしろ入れ知恵をしている。
本来、止めるのが自分達の役目だろうに。責任だろうに。
涙を流す少女に、瑩が語りかけた。
「ありがとう。でも、私じゃなきゃ解決出来ない」
「でも私達、単なる女子校生なんだよ……?」
「ここで誰かがやらないと、もっと死ぬ。見過ごせない」
空気を読まないマジレスで知樹が横槍を入れた。
しかし、事実ではあった。
春香が黙ってしまったので、知樹はついでで続けた。
「三人は脱出した方がいい。あと、証拠を当局に提出してくれると信用を得やすい」
「証拠……村の状況とか?」
「先に脱出させたばあちゃんには化け物の映像渡したけど、そういうのは多い方がいい。これも戦い方の一種だ」
知樹もまさかハルひとりの証言と映像で、事が大きく動くなどと思っていない。
この三人を逃してようやく、政治方面が異常を理解し始める程度と考えていた。
下手をしたら、自分でケリをつけなければおしまいとまで考えている。
「20年前はよく知らないけど、かなりうまく処理したみたい。警察の人もほとんど知らないと思う」
「だろうな。俺も全く知らなかったし」
然るべき人物まで届けば、可能性がある。
あまり希望のない話だった。
その空気を打破するために、春香が提案した。
「……警察に信じてもらえないなら、SNSに上げるのは?」
「デマの巣窟に事実を投げても意味はない」
普段のSNSは嘘と嘲笑で成り立っているカスの集まり。
そう考えている知樹は躊躇なく反対した。
他3人も、不用意な拡散には賛成出来なかった。
「私は、ちょっと微妙だと思う」
「うーん、今どきは映像技術が高まってるしなぁ」
「フェイク扱いされるかもしれないし、要らぬ混乱を生むかもしれないわ。投稿は、最後の手段にしておきましょう」
「……わかりました」
弥生に諭されて、春香は渋々頷いた。
「脱出路はどうするんだい?」
「県道を北に進んで、途中から徒歩」
「なら、俺の知ってるトンネルは途中にある」
知樹の開いた地図に、獄介が指を差した。
その地点はデミノが封鎖した地点よりも手前、自動車工場よりも先にあった。
「行こう。まずは、集落から出ないとだ」
五人は頷き合うと、車に乗り込んだ。
知樹は扉を閉める直前、置き去りにせざるを得ない徹の遺体に視線をやった。
手を胸の前で組み、ハンカチで顔を覆った亡骸。
恩人である彼を弔うためにも、死ぬわけにはいかない。
───徹さん。あんたの言った事、俺全然飲み込めない。でも……
今の状況に集中する。
覚悟を決めると、ドアを閉ざした。
◆成すべき事を成すまで───