TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年5月29日23:47 永葉県大桑山城跡

 

 背後から複数の気配を感じる。

 間違いない、暴徒達に発見されたのだ。

 

「くっ……」

 

 どうすればいい、どうすればいい、どうすればいい。

 頭脳を回転させ、解決策を模索する。

 

 知樹と瑩。相手をするなら熊か暴徒達の片方ならどうにかなる。

 同時に両方。そうなると、難易度が跳ね上がる。

 幸いなのは、相手が連携していないところ。

 

「ブモオオオッ!」

 

 暴徒達の興奮に背中を押され、熊も走り出した。

 熊の全力疾走は時速50キロ。

 考える時間は2秒とない。

 

 行動しなくては。決意した知樹は左腕を突き出した。

 ドンっ。瑩の細い肩を押し出し、転倒させる。

 

「えっ……」

 

 彼女は混乱した。

 なぜ自分を張り倒すのか。

 

 思い至った可能性が、自分を囮にして逃げ出す可能性。

 そんなまさか。一瞬で懸念を振り払った直後、状況が動いた。

 

 あえて前へ踏み込む。

 それは自殺願望からの行為にしか見えない。

 当然である。これは半分自殺行為なのだから。

 

 鋭い前方へのステップに熊の反応はわずかに遅れた。

 しかしこの程度は誤差の範疇。

 噛み付けずとも叩けずとも、タックルで知樹を押し倒した。

 

「離れろ!」

 

 必死の思いで叫び、鎧通を抜く。

 真っ先に熊は腹部に向けて牙を剥いた。

 本能的に、柔らかい部位を狙うのだ。

 

 蹴り上げてもこの体重差ではほとんど通用しない。

 大きな口が迫り、腹に喰らい付かんとする。

 牙先が肉に食い込み、血と唾液が混ざり合う。

 

「……っヅッ!」

 

 しかし幸いにもそこにはベルトがあった。

 弾薬を保持する弾帯代わりに装着していたウエストベルト。

 腰部を守る分厚く頑丈なベルトとカラビナが、僅かに牙の侵入を阻害したのだ。

 

 食い千切らんと熊が頭を振るが、同時に知樹が鎧通の刃を振るう。

 顔面を斬り付けられるのを嫌がった熊は上体を持ち上げ、腕を振り上げた。

 攻守交代だ。その姿を見た知樹は咄嗟に顔面を腕で庇った。

 

 体重200キロ越えのパンチ、爪を添えて。

 この衝撃をまともに受ければ腕どころか背骨すら危うい。

 

 骨と関節の軋む音。背中が熊の左前腕に叩きつけられた。

 受け流してもなお、脳内が危険信号でパンクしそうになる威力だ。

 

 熊はそばで倒れている瑩には気付いていなかった。

 目が悪く、化学灯を提げた知樹以外ほとんど目に入っていなかったのだ。

 

───助けなきゃ! でも……

 

 どうするべきか?

 爪でひと薙ぎされる覚悟で熊を剣で突くか。

 あるいは背後から迫る暴徒と戦うか。

 

 どれも勝機は薄い手だ。

 一方の知樹は、離れるように言った。

 逃げろではなく、離れろ。

 

 これは、策があるのだ。

 瑩は一蓮托生の友を信じ、熊の背後へ逃れた。

 

「なんだこいつはぁっ!」

「ぶっ殺せぇっ!」

 

 そう、熊と暴徒は仲間ではない。

 間近の自分達以外()を襲い、殺す。

 柔軟性はなく、与えられた通りの命令しかこなせない。

 

 暴徒達は離れた瑩を後回しにし、知樹と熊に狙いを定めた。

 無謀にも興奮しきった獣に襲いかかっていく。

 

「ブモオオオッ!」

 

 知樹に向けられるはずだった腕が、反射的に振り回される。

 一撃で暴徒の顎がひとつ宙を舞った。

 

「俺の戦い(食事)を邪魔するな!」

 

 そう言わんばかりに、熊の注意は暴徒達へ向けられた。

 傷だらけの顔を上げ、暴徒達に視線をやる。

 

 自身に包丁を向ける女は頭から齧り付く。

 竹槍で突いてきた男は顔面を爪で切り裂き、続けて頭蓋を砕く。

 あらゆる攻撃に、死が伴う。

 

 瞬く間に五人の暴徒が肉塊と化す。

 残るは、組みついた最初の骸骨(料理)だけ。

 包み紙を解いて食べるだけの、ファストフード。

 

 あの“棒”さえなければ、そんなものに負けるわけがない。

 熊が視線を落とすと、二つの黒点が睨んでいた。

 

「ありがとよ」

 

 徹が遺した銃のひとつ、短縮化(ソードオフ)上下二連。

 取り回しの効く暴君が二つの口から火を噴いた。

 

 強烈な発射炎に、衝撃。

 しかしまだ、森の暴君は生きていた。

 脳髄を突き上げられぬよう反射的に首をすくめ、真正面から散弾を受け止めたのだ。

 

「ブモオオオオッッッッ!!!」

 

 本能から繰り出された、見事なダメージコントロール。

 しかしその被害は甚大だった。

 

 顎がぷらんと揺れ、左目はズタズタに切り裂かれた。

 それでも分厚い頭蓋骨はペレットを受け止め、時に逸らした。

 

 致命傷は避けた。

 それでも、強烈な打撃(・・)による脳震盪は致命的な隙を生んだ。

 

 意識が明瞭になれば、結果は決まる。

 その前に、こちらが決着をつけなくてはならなかった。

 

 弾のない散弾銃を放り投げ、ホルスターからリボルバーを抜く。

 後退りながらも、素早く五連射。

 

 頭骨が砕け、内容物が飛び散った。

 そうならない方が異常なダメージ。

 

───勝ったッ! これで生きてるはずがないッ!

 

 しかしなお、この野獣は立ち続けていた。

 残った右目が知樹を睨み続ける。

 生きる(勝つ)のは俺だ、そう言わんばかりに。

 

 野生の本能。

 究極の生き汚なさ。

 

「ブモオオッ」

 

 ダメージと慢心が知樹の判断と行動をひと拍子遅らせた。

 

───()られるッ!

 

 長い方の散弾銃に手を伸ばしたその時、熊の前足が上がった。

 銃床を握り、銃口を向ける。

 ガツン。長い銃身が熊の胴体でつっかえた。

 

 何のために今まで、短いリボルバーとソードオフを使っていたというのか。

 それはこの状況が想定出来ていたためだ。

 致命的で最悪な判断ミス。

 

 貴重な一秒は費やされた。

 幕内知樹に残された時間は、瞬きと同等。

 

 そう、幕内知樹(・・・・)には。

 

「破ァッ!」

 

 瑩の持つ刀が、熊の背を突いた。

 知樹の救いであり、同時に自殺行為。

 

 弓や槍ならまだいい。しかし刀はだめだ。

 刀の間合いは、熊の間合いの内側なのだ。

 

「ダメだっ」

 

 振り返りざまに腕を振るわれたら、それで終わりだ。

 

 不意の刺突も大したダメージになっていない。

 熊は寒さを凌ぐ毛皮と、その巨体を高速移動させる筋肉。

 そして分厚い骨格という三重の守りを持つ。

 

 背中に刀のひと突き程度、戦いの興奮の中では無視出来る範疇なのだ。

 

「ブモオオオオオッ!」

 

 腕が振るわれる前に刃を引き抜き、瑩は目前の自然と対峙した。

 

───こんな戦い。いや、命のやり取りは初めてだ。

 

 今までの彼女の勝利はほとんど不意打ちに近い。

 今行っている真っ向からの殺し合いは未経験だ。

 

───でも、あの人(マック)の戦い方は見てきたっ!

 

 熊の裏拳が炸裂する。

 そのはずが、空を切る。

 

 どさり。近くの茂みに何かが落ち、直後血が迸った。

 熊の前右足。それが、消えていた。

 

「ブモオオッ?」

 

 困惑のひと鳴き。

 それが痛みによる絶叫に変わる前に、刃が振り下ろされた。

 

 もうひとつの肉塊が、アスファルトを転がった。

 斬り上げで熊の裏拳を腕ごと潰し、返す刃で首を落としたのだ。

 

「ぐえええっ」

 

 頭部を失った熊の胴体が知樹にのしかかった。

 

「あっ、マック! 無事っ?!」

「無事じゃない無事じゃないっ」

 

 腹を少しだが噛まれ、パンチを喰らったのだ。

 そのうえ体重をモロに受けているが、状況を考えれば無事に近い。

 

 200キロの巨体をどかすのにはかなりの労力が必要となった。

 知樹と瑩のふたりがかりで、なんとか足の辺りまで動くことができた。

 

「剣道部じゃ、あんな無茶を教えてるのか?」

「誰かさんのやり方を真似ただけ」

 

 ふたりは笑みを浮かべた。

 笑えるのはそこまでだ。

 

「悪いな。俺らにはまだ、やるべき事がある」

 

 虚空を見上げる熊の頭部に向けて、知樹は宣言した。

 

 人里近くにある公共の施設をねぐらとする程度に、人の気配を恐れない。

 近いうちに村へと降りて、住民の脅威となったに違いない。

 

 この事件がなくとも、徹をはじめとした猟友会に駆除されたことだろう。

 それでも、この出会いは理不尽で不幸だった。

 

「くくく、そう。私にもやる事があるのだ」

 

 その気配は、微塵も感じられなかった。

 突如として瑩の背後に巨人の骨が現れ、彼女を拘束したのだ。

 

「なっ?!」

「裁定者の血。どうりで、下等生物が罠を切り抜けるわけだ」

 

 知樹はほぼ反射的に小銃を握り、骨に向けた。

 しかしその射線は瑩と重なっていた。

 これでは下手に撃てない。

 

「私は下等生物と遊んでいるほど暇ではない。同じサル同士で遊んでいろ!」

 

 骨と瑩の姿が闇に溶けていく。

 原理は不明だが、逃げる意図があるのは明白だ。

 

「マックッ!」

「鬼武ェッ!」

 

 熊の亡骸をどかすうちに、ふたりの姿は完全に消えていた。

 残されたのは、知樹。

 

 そして彼の命を狙う暴徒達だけだった。




◆孤独な戦いが再び───
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