2021年5月30日00:14 永葉県大桑山城跡本丸跡地
痛みと弱気を遠のけ、腹を満たし喉も潤う。
戦う準備は万端だった。
「行けますか?」
「ああ……礼は言わないぞ」
「むしろ、罵った方がいいかと」
立ち上がった知樹に、彼はそう勧めた。
理解に苦しむ男だ。
自身の行いが正義ではなく、紛れもない悪であると自覚している。
だというのに、彼の抱く良心の呵責が全く感じられない。
深く考えていないのか、あるいは割り切っているのか。
知樹は様々な人間と話して来たが、最も人間らしくない人間と感じていた。
「これから、ここも少し騒がしくなる」
仁の発言に、知樹は耳を澄ました。
下から聞こえてくる気配、喧騒。
暴徒達だ。こちらの戦いに気付いて、山道を登って来たのだ。
「お前はどうするんだ?」
「もちろん戦いますよ。挟撃させるわけにはいきません」
そう言うと、これ見よがしに自動小銃の安全装置を解除してみせた。
圧倒的に装備で優位がある。だから問題ない。
言外にそう伝えたいのなら、穴があるとしか言いようがない。
「相手を甘く見るな。支援がないのなら絶望的だぞ」
「なら早く、首謀者を始末してください」
化け物を仕留めれば、周囲の暴徒も道連れにされる。
瑩も警察の一部は魔の世界を認知している旨を話していた。
最低限の情報共有は成されているのだろう。
なんにせよ、逃げないのであれば身体は張っている。
それだけは評価出来た。
「さ、今なら自由に駆け回ることも出来るでしょう。思う存分戦いなさい」
「他人に言われるまでもない」
真正面から登っていった部隊を追っても、ろくなことにならないだろう。
成功率の面から考えても、別ルートを使うべきだ。
開けられたゲートをくぐり、隠し道前まで戻る。
その頃には、背後から空気の層を切り裂く音が聞こえてきた。
仁が暴徒と戦い始めたのだ。
一応、その覚悟には報いなければならない。
木の根に足を乗せてバランスをとり、岩肌を掴んで崖を登る。
熊が現われた丘を越えると、そこからが本番だ。
20メートルほどある崖の先には、かつて本丸の土台だった石垣になる。
合計36メートル。大自然と人類の執念が組み合わさった要塞というわけだ。
最初の関門である天然の壁を登り終えると、木立の隙間から怪しい紫の光が差し込んできた。
恐らく目的地はそこだ。
岩の出っ張りを掴み、窪みに足を突っ込む。
すると不意に、数メートル横を一筋の液体が落ちていった。
生暖かさと、腐臭。
生命が必要とする排泄。
つまり小便、おしっこである。知樹はそう判断した。
「ふぃー」
下級魔族は一息入れると、腰布に自身を納めた。
ここからは眼下に広がる村を一望できた。
「いずれ、俺がこの世界を……」
下剋上の野望。
下級が上級を殺し奪い、上級が魔王の首と席を奪る。
魔の世界では日常茶飯事であり、今後も続くであろう伝統。
かつて自分達の長だった者は、この世界の奪取に失敗した。
今は生まれては死に、生まれては死にを繰り返しているはず。
ラーイーの派閥は強い。きっと成功させる。
その勝利の余韻を奪い、自分のものとする。
誰もがなしえなかった快挙をモノにするのだ。
いずれ手にする景色を背にし、配置に戻ろうとした。
その時、背後に気配を感じた。
「ひょっ?」
身体が振り返る前に、強烈な一撃が背中を押した。
思わぬ不意打ちに受け身も取れず、つんのめって顔面から倒れ込む。
「なっ、なんだあっ?!」
「聞きたいことがある。話してもらうぞ」
一瞬しか感じられなかった気配。
いきなり尻を蹴飛ばしたのだから、敵に決まっている。
「お断りだぁっ!」
手に魔力を込め、振り返りざまに飛ばす。
しかし、その手が相手に向く前に足が動きを阻んだ。
「あっ」
思わず、放出。
人知れず、小さな火の玉が夜空で炸裂した。
次の手を打たなければ。
思考出来たのはそこまでだった。
大きくも、動きの見えない手が下級魔族の喉を掴んだ。
声を上げる間もなく、その身体が宙に浮いた。
そして、暗がりに浮かび上がる顔に絶叫した。
「らっ、らー……」
ラーイー。この侵攻を指揮する上級魔将軍。
自分の生殺与奪権を握る存在は、それとよく似た顔をしていたのだ。
しかしよく見れば、違う。現住生物が仮装しているのだと気付いた。
「質問だ。お前らを率いてる奴はどこだ?」
「だっ、だれがぁっ」
鋭い拳が膨れた腹の奥を突いた。
胃の内容物が逆流し、口腔を転がる。
「どこだ?」
「いっ、言ったら助けてぇっ、降ろしてぇっ」
返事はない。
代わりに首に掛かる圧力が増し、踵を返した。
その身体は、崖へ。
世界を見下ろした。
苦しみのもとが、現世と唯一の繋がりとなってしまったのだ。
「らっ、ラーイー様っ、“門”のてっぺんで儀式をぉっ!」
「一番上だな?」
「そうっ、そうですぅっ!」
叫ぶ過程で、食した現地生物の破片がこぼれ落ちた。
髪の毛や、爪。消化が遅れていたものだ。
「話したっ、話したからっ、助けてっ」
「そんな約束はしてないな」
首の苦しみが取り除かれた。
それは同時に、重力に引かれることを意味した。
「あぎゃーーーっっっ!!!」
凄まじい勢いで緑の木々が迫る。
しかし、自分は現地の下等生物とは違う。
高い身体能力を持ち、冷静な頭脳がある。
確かに地面に叩き付けられればただでは済まない。
それでも、途中で勢いを殺せばいい。
高速でスライドする崖に腕を伸ばす。
バキリ。速度を受け止め切れず、肘の関節が折れた。
「あがーーっ!」
中途半端に勢いを削いだ影響で、身体は縦回転を始める。
両足が崖に叩きつけられ、出っ張りに身を裂かれる。
───痛い、いやだ、死にそう! でも……
また
その時、報復してやる。
回転が掛かりながら、頭部から着地した。
頭蓋が砕け、脳髄が地面に染み込んだ。
ここでひとつ、余談といこう。
魔の世界の住民は転生し、記憶を引き継ぐ。
しかしそれは、高貴な存在のみ。
生産される下級にその能力はなく、死ねばそれで終わり。
彼らにはその事実を伏せた教育が行われる。
そして使い潰す側の上級魔族も、自身の特権を当然視しすっかり忘れ去っていた。
つまり、
単なる消耗品なのだから。
消耗品をひとつ排除したところで、問題が解決に向かうことはない。
知樹は足元の死に一瞥もせず、目的地を睨んだ。
凱旋門。
そこが、決戦の地だ。
◆決戦の刻が迫る───!