2021年5月30日00:00 永葉県大桑山城跡 “門”
鬼武瑩の意識が覚醒した。
身体の自由は効かない。
視線を落とすと、透明なガラス瓶のような容器に首だけ出す形で収まっていた。
瓶の中身は水ではない、流れを感じる固い液体で満たされている。
服装も制服ではなくなっていた。
局部のみがかろうじて隠れるような、隠れないような。
そんな黒いゴム質の
「なんだ、目が覚めたのか」
声の方へ視線をやる。
巨大な骸骨としか評しようのない、魔の者がいた。
「強い魔の気配を感じる。あんたがボスね」
「ボスか……そういかにも。私が魔の世界の“ボス”。ラーイー様だ」
マントを翻し、彼が振り返った。
布の内側、彼の骨格を覆う肉の鎧。
先程まではなかった代物だ。
「なんでわたしを殺さないの? まさか、怖気付いたわけじゃないでしょう」
「私を中級や下級の低能どもと一緒にするな。使えるものは有効活用させてもらう」
「どう使うの? 子供を産む機械として?」
「下らんなぁ、生殖活動など」
なんとか会話で注意を逸らし、儀式を遅らせられないか。
そう考えた瑩は話題を捻り出していたが、そう都合よくはいかない。
ラーイーは口を開きながらも手を止めることはない。
「冥土の土産だ、教えてやる。お前の“裁定者”の血をダシに、魔王をここに誘い出す」
「魔王を……?」
それは、魔の世界の頂点に君臨する存在。
父からはそう聞いていた。
「あいつは昔から欲しがっていたからな」
瑩の目前を通り過ぎると、下から背後へ伸びる巨大な管に触れた。
その管からは絶望の巡りを感じた。
「誘い出してどうするつもり?」
「無論、首を獲る。そして私が新たな魔王となる。そうだ。奴が来る前に、資源化の準備をしなくてはな」
管から手を離したかと思えば、今度は早足で端末───らしきものに向かう。
断言出来ないのはそれがキーボードやマウスで操作するものではなく、有機的な穴に両手を突っ込んで何かを行なっているためだ。
───ダメだ、全然手を止めようとしない。話で時間稼ぎは無理か……
ならば、拘束を解いて実力を行使するしかない。
そうなると、急に口を閉ざせば不審に思われる。
なんとか話題を見つけ出した。
「あなたに出来ると思ってるの?」
「出来る。私を……そうか、お前は下等生物との混血、生まれもこっちか」
身体を包む液体は、間違いなく容器の中で循環している。
しかし、身体の動きだけは完全に阻んでいる。
一体これはどんな物質なのか? 何かを混ぜれば、弱まるだろうか。
「おおっと、妙なことを考えているな」
「───ッ?!」
突如として、液体が身体への圧力を増した。
身体のラインが浮き出る衣装に浸透し、一点を圧迫する。
「くくく、排泄したければ正直に言うべきだが……そんな感じはしないな」
「……誰だって、隠したいことはある」
「おおかた、小便を混ぜれば拘束が解けるのではないかと思ったのだろう……? 浅はかな。混血め」
なぜわかったのか。ほんの僅かに門を緩めただけだというのに。
液体は門から入り込み、尿を押し留めている。
「私の頭脳でお前の考えを読み、疑問に答えてやろう」
それは、絶対的な優位が起こした気まぐれだった。
ラーイーが手を止め、瑩の前で仁王立ちを始めたのだ。
「ひとつ。なぜお前の行動が予知出来たのか。私の頭がいいだけでなく……瓶の中に充満するそれは、私の一部だからだ」
「……おえっ」
「私は高貴だから頭脳が優れているだけではない。なんと、他の魔族の力を奪える。これは使えそうだったひとつだ」
ひゃっひゃっひゃ。骸骨が不気味に笑った。
この化け物に包まれているというだけでも不愉快なのに、何も出来ないというのがまた歯がゆい。
「ふたつ。小便を混ぜたら拘束が解けるか。答えは、否だ。そんな簡単なわけないだろう、ばかめ」
「それはまあ、知ってた。でも、したいんだけど。自分の中でおしっこされていいの?」
「話が別だ、穢らわしい。死ぬまで我慢しろ」
欲しいのはあくまで身柄。
それ以上の興味は彼にはないようだ。
どうする。目的もわからない魔王とやらがやって来るのを待つのか。
無数の手下どもを連れて、地球を征服する瞬間を。
───どうすればいいの……? このままじゃ……!
心の中を絶望という闇が覆い隠す。
このまま多くの犠牲者が出る瞬間まで、こうしていろと言うのか。
「いいぞぉ、いい絶望だ。計画が少し早まるに違いない」
それは、ラーイーという敵が思い描いた状況。
絶望が募れば募るほど、連中の到来は早まる。
───どうすれば……!
涙が溢れそうになったその時、状況が動いた。
新たな音に鼓膜が振動する。
周囲の機械から吐き出される駆動音ではない。
もっと大きく、強い音。
「なんだぁ、この音は?」
ラーイーもその音に気付いた。
彼は知る由もないだろう。まともにこちらの調査をせずにやって来た侵略者なのだから。
空気を裂く唸り声は瞬きするごとに強さを増し。
そして、彼女の視界に入り込んだ。
「あれは……自衛隊っ!?」
暗闇に溶け込む紺色と暗い水色の迷彩。
瑩に軍事の知識は存在しないが、うろ覚えの記憶で自衛隊の採用する迷彩だと思い出した。
思いがけない騎兵隊の到着。
知樹と同じく警察がパトカーで来れば御の字と考えていたが、まさか、自衛隊とは!
「なんだあの化け物は!?」
思いがけない事態だったのは、瑩だけではない。
ラーイーは敵が空からやって来るとなどと、
「かーっ! 空を飛ぶからなんだっ。カサンディ! あの鉄屑を叩き落としてやれっ!」
虚空に向けて叫ぶと、山の麓の森から巨体が飛び立った。
翅をブンブンと唸らせ、ヘリを追尾し始める。
「見たところ、頭上の翼を回転させ浮力を得ているのだろう。脆弱な設計だ、畳んでしまえ!」
自衛隊のヘリも機銃で応戦しているが、弾はほとんど当たっていない。
とはいえ、守りのひとつが消えたわけだ。
ラーイー自身の意識も完全に逸れている。
なにか、出来ないだろうか。
集中して状況を把握する。
すると、微弱な“声”を察知出来た。
これは魔族が使う一種の念話で、瑩と両親も練習で行っていた。
しかし、内容は判別出来ない。
「……今度はなんだっ!」
突如、ラーイーが叫び出した。
気のせいではなく、やはり誰かが念話でラーイーを呼び出したのだ。
「地上で草むらに襲われたぁ? お前はどこだ!」
門の淵に立つと、下を覗き込む。
最大の好機。だというのに、自分は何も出来ない。
───こんな時に、何も出来ないなんて!
拘束さえなければ、あの化け物を殺せるのに。
憎き背を、歯軋りしながら睨む。
その時にやっと、彼女はラーイーの背で動く“影”の存在に気が付いた。
◆この“影”、まさか───!