──年─月─日─:─ 魔之境広場
灰すら残さず焼失した魔族など、今の瑩にとってはどうでもいい。
「マック!」
「ここだ……」
それよりも、肩を並べて戦った
彼は固まった石像に掴まれたまま宙吊りになっていた。
腕を登り、知樹を掴んで離さない指を引き剥がす。
結果は引き剥がすというよりへし折るといった状態になったが、自由は自由である。
「やったな」
「でも、奴らはまたやって来る……」
「今は帰ることを考えよう」
ここは自分達の知る世界ではない。
魔の世界との境界、どちらかといえば向こう側なのだから。
「喜んだり憂鬱になるのは、帰れてからだ」
リズムよく、整った無数の足音。
広場の反対側、魔の世界の方向。
そこには無数の列をなす、化け物の群れがいた。
ラーイー達が呼んでいた、魔の軍勢である。
それがいま、遂にここまでやって来たのだ。
「急げっ、やり合う余裕はない!」
ふたりには軍隊と戦う能力がなければ、余力もない。
石像から飛び降り、自分達の世界へ駆け出す。
明らかに接近してくる気配がある。
巨大で、素早い。恐らく単独。
逃げ切るのは不可能。
判断した知樹は振り返ると同時に散弾銃を撃った。
灰色の肌をした、二足歩行の爬虫類。
長い爪と牙を持ち、双眸が光っていた。
狙いは反射的に頭部へ定めていた。
放たれた散弾は爬虫類の頭部の鱗と肉を削ぎ、暗い橋に煌めく破片をばら撒いた。
2発目で頭蓋が砕け、脳髄が撒き散らされた。
振りかぶった両腕が突き出されることなく、亡骸ごと知樹に覆い被さった。
2メートルほどの体長に、重量は100キロ近く。
退かすだけでも一苦労だ。
「今行く、待ってて!」
「戻るな、進め!」
知樹の警告を聞かず、瑩は戻って亡骸の除去を手伝った。
その間にも、追っ手は間違いなく迫っている。
「もうちょっとっ……」
「伏せろ!」
今度は人と同じぐらいの背丈ながらも、卵のような頭部を持つ化け物が迫った。
上体を起こした知樹が、散弾銃で対応する。
これで長い方の散弾銃は打ち止め。
残るのは、短銃身散弾銃に込められた2発のみ。
「立て!」
「聞こえないっ! 耳が!」
瑩は先ほど行われた至近距離の発砲で耳をやられたのだ。
互いに手を掴み合い、走り出す。
「……あっ」
数歩足を出す前に、瑩が足をもつれさせた。
耳に受けたダメージが想像以上に重く、三半規管の狂いで上手く走れなくなっていたのだ。
「……すまんっ」
耳を塞ぐように指示するべきだった。
その後悔も長くはもたない。
生きて
不意に旧帝国陸軍が制定した戦陣訓の一説が知樹の頭をよぎった。
あれほど残虐な真似を行う侵略者の化け物達。
そんな連中に捕らえられれば、どれほどの苦痛を味わう事となるだろうか。
父は言っていた。
『戦陣訓というやつは、捕虜を生きたまま解剖して遊ぶような連中と相対する兵のために考えられたものだ』
手元にある武器は、2発弾の込められた散弾銃だけ。
敵を倒すのであれば、2発しかない。
しかし考えようによっては、2発きっかりあるとも考えられる。
この2発を有効利用するべきじゃないのか。
苦しめられるだけの短い生を続けさせられるよりも、今潔く終わったほうがいいのでは?
死の誘惑が、知樹に囁いていた。
───ここで死んだほうが、いいんじゃないか?
思わず彼は、自分の手元にある武器を睨んだ。
時間がない。もし判断が遅れれば───
「まだ!」
瑩が叫んだ。
「まだいける!」
それは、生への渇望だった。
「まだァッ!」
足の速い化け物が2匹、迫っていた。
決断するなら、今しかない。
知樹は銃口を向け、引き金を引いた。
散弾は全て胸部に着弾し、背中から血と骨と臓物が吹き出した。
これで、銃は全てデッドウェイトとなった。
「ほらっ、肩を!」
瑩に肩を貸し、走り出す。
こうなれば、やれるだけやるしかない。
進む先にあるのは、底の見えない闇。
それでも前に進む。
「追いついちゃうぞ、下等生物!」
「もっと走れ、殺しちゃうぞぉ!」
知樹は散弾銃で相手の爪を防ぎ、瑩は振り下ろされる剣をかわした。
銃床をハンマーの如く振り回し、叩きつける。
刃を滑らせ、喉を裂く。
2匹減った。あと何百、何千いるだろうか。
もう限界だった。
「く、ぅ……」
「鬼武ッ、動かないと……!」
膝を突いた瑩に知樹が肩を貸す。
そういう彼の身体も限界を迎えていた。
立っているのが精一杯で、歩く事すらままならない。
追っ手は来なかった。
到着したのは、軍団の先鋒。
中でも鎧を着た幹部と思われる化け物が一歩、前に出た。
「手こずらせてくれたな、下等生物」
ふたりは答えない。代わりに殺意を込めた視線を送る。
それを相手は負け犬の遠吠えと受け取った。
彼らには敵、とりわけ敗者に敬意を抱く習慣は存在しないのだ。
「“裁定者”の血、それはいい。だが、単なる下等生物に用はない。殺せ!」
槍を持つ兵が幹部の前に出ると、獲物を知樹に向けた。
争う手札はもう尽きた。
その穂先をひとつ逸らせても、ふたつ三つと迫ってくる。
これは詰みである。逃れる術はない。
出来ることは、迫り来る死を睨み返すことくらいなものだった。
「よく頑張ったな」
そんな声と共に、槍兵どもが灰となって消え去った。
まるで空を飛んでいたかのように、それは軽やかに橋に降り立った。
鮮やかな赤色を持つ髪、右手に携える異形の剣には蒼い焔。
知らないはずの男だが、見覚えがあった。
「……父さん?」
瑩が思わず呟いた。
そうだ、この男には瑩に似通ったところがある。
かつて魔法少女と戦い、この世界に残った父親その人なのだ。
「瑩、すまなかった。まさか、こんな事になっていたとは」
「なんで父さんがここに……?」
怪物の咆哮が親子の会話を遮った。
まだ戦いは終わっていない。どころか、今ようやく始まったのだ。
「話は後だ、助けが後ろから迫ってる。彼らと合流しよう」
「わかった。マック、行こう!」
瑩の中で希望が湧き出た。
今度は彼女が知樹に肩を貸す形となった。
「“裁定者”ピリオド……! お前は向こうで死んだはずでは……」
「その名は捨てた。生憎、幸せに過ごさせてもらっていてね」
剣の一振りで焔が迸り、魔族を数名滅してしまった。
魔族の誰もが羨望し、欲する圧倒的な力。
これが“裁定者”なのだ。
先鋒を務めるのは魔軍の中でも精鋭。
そんな精兵が恐れをなして、立ちすくんでいた。
「“裁定者”……実在したのかっ」
「こんなの、どう勝てって言うんだ……?!」
相手は雑魚ばかり、簡単な仕事。
そう聞いていた兵達は思わぬ強敵の出現に戦意が萎え切っていた。
もう、逃げてしまえばいい。
そんな考えで兵のひとりが一歩、後退りした。
直後、その兵の骸が天高く掲げられた。
「者ども、怯むな! 所詮奴は
中級魔将軍が叫ぶと、兵達は己が使命を思い出した。
死んででも高貴な存在に奉仕し、役目を果たす。
「うわああああっ!」
咆哮と共に、一対万の激突が始まった。
しかし、直後繰り広げられたのは戦いではない。
一閃と共に焔が迸り、軍団を焼き払う。
一騎当千どころではない。
まさしく
───なんでこいつ、
知樹にしては珍しく、呆然とした状態で戦いの気配を感じていた。
間抜けな感想を抱くのとほぼ同時に、暗闇の中に人工的な光が現れた。
白く錆の浮いたボディに、大きなフロントガラスと荷台。
軽トラック。それこそ、大桑村にあったような代物だ。
そこにハイカットの防弾ヘルメットを被った、いかにもな特殊部隊が箱乗りしている。
「乗れ!」
冗談みたいな絵面だが、まさしく救いの神だ。
荷台から降りてきた隊員達の手を借り、知樹と瑩は荷台に座らされた。
「鬼武
「了解だ!」
一度の跳躍だけで10メートルほど宙返りの要領で飛び上がると、運転席のルーフに着地してみせた。
「いいぞ、出せ!」
運転席で寡黙な男がギアをリバースに変更し、アクセルを踏み込む。
軽トラが猛スピードでバックを始める。
「逃すな、殺せ!」
魔軍も黙って見ているわけではない。
足の速い追っ手を追尾させ始めた。
無論こちらも素直にやられたりはしない。
「こういうのは任せて!」
大男と色黒の女が小銃を構え、発砲。
高速移動中で揺れる車内にも関わらず、その命中精度は極めて高い。
3回銃が動作すれば、1匹が崩れ落ちる。
極めて高い練度、射撃技術。
「その声、岩沢さん!?」
「話したいことはいくつかあるけど、後でね!」
一瞬だけ彼女は瑩に視線を向けると、ウインクをした。
茶目っ気のある表情は一瞬だけ。
すぐに人を殺す目に戻り、狙いをつけ出した。
ボロボロの人間が歩くよりも、文明の利器は極めて早く目的地に到着した。
橋の終わり。光る裂け目。
終わりが見える距離まで近づいて来たのだ。
「出口だ! 落ちるなよ!」
助手席の男が叫ぶと間もなく、軽トラは次元を超えた。
一瞬の幻惑。視界が暗闇に戻ると、そこは空に近い世界。
空が白み始めている大桑山の頂上だった。
脱出できた。
絶望から、終わりから。
目前に広がる、黒い次元の裂け目がその証だ。
しかし、余韻に浸る暇はない。
見えないだけで軍勢が目前に迫っているのだから。
「こちらデアデビル、荷物を確保! やってくれ!」
軽トラがドリフトの如くタイヤを滑らせ、反転した。
今度は猛スピードで山を降り始める。
「連中がこっちに来るぞ、どうするんだ!?」
知樹のもっともな疑問に、大男は耳を指で塞ぎながら叫んだ。
「耳を塞いで口を開いて、瞼を閉して!」
ドン……ヒュー。
遠くから響いた衝撃。
「なにが……?」
「鬼武、言う通りに! 説明の暇はない!」
瞬時に合点がいった知樹は、指示通りに対策した。
瑩もおずおずと続くと、それはやって来た。
「弾着、いま」
爆発によって生じる爆圧。
着弾地点では強い気圧差が生まれる。
耳を塞がねば鼓膜が破れる。
口を閉ざしていれば内臓が潰れる。
瞼が開いていれば、衝撃で眼球が飛び出す。
流石の知樹も、榴弾砲の着弾地点間近にいた事はない。
知識として知っていても、現実は衝撃的だった。
「なに、今の……爆撃?」
「榴弾砲の間接射撃だ……まさか、これほどとは」
155ミリ榴弾砲。かつて戦場を一変させた兵器は、今なお存在感を保っている。
目視圏内の直接射撃しか出来なかった砲も、技術の進歩により見えない程遠い敵に当てる間接射撃が可能となった。
その砲が2門、異界の門に寸分狂わず命中。
こうして人々にとっての
◆黎明の刻───