TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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Epilogue 9 1/2

2021年7月23日15:33 小張県名気屋市上須

 

 その施設は、傍から見れば出来て間もないホテルと大差なかった。

 しかし正面入り口の脇に佇む石碑の銘を見れば、ここが介護付きの有料老人ホームと理解できた。

 

 玄関から堂々と入り、受付で許可証を受け取る。

 警備員の案内でカードリーダー付きのエレベーターへ。

 音もなくカゴが上昇を始めた。

 

───あの人が何者なのか。それを知ってるのは、もう俺だけなのか。

 

 増えていくモニターの数字を眺めながら、知樹はそう考えた。

 この施設で暮らす人物は、すべての友人と隣人を喪った。

 かろうじて血縁関係のある息子夫婦は一度面会に来た、と聞いていた。

 

 しかし、それきり。

 施設が連絡を取っても着信拒否にされたのか、通話すら繋がらなかった。

 もし親切な第三者が料金を払っていなかったら、どうなっていたことやら。

 

 カゴの扉が知樹の思考を打ち切った。

 開かれた扉をくぐると、真っ先に嗅覚が便臭を捉えた。

 この手の施設にはありがちな、たまに染みついているそれだ。

 

 あらゆる角が廃された通路を歩く。

 すれ違う老人達は知樹を見上げると、時に会釈し、時に片手を挙げ、時に言葉にならない声を発した。

 階層の中央部分、南の大窓に面した談話室に彼女がいた。

 

 職員が知樹の顔を見ると、そっと耳打ちした。

 

「福塚さん。いらっしゃいましたよ」

 

 福塚ハル。

 大桑村事件の数少ない生存者。

 身寄りはなく家もなくし、全てを失った彼女はこの施設にいた。

 

 彼女のもとまで寄った知樹は、腰を落として視線を合わせた。

 

「ばあさん、元気か?」

 

 その言葉にハルは視線をやった。

 しばし言葉を発さず、じっと知樹を見据えた。

 そして、笑みを浮かべる。

 

「よぅ来てくれたなぁ、マサト(・・・)

 

 それは、誰も知らない名前。

 彼女の息子も、義理の娘も今は亡き夫も。

 そんな名前をした人間はいない。

 

 施設の職員は時折彼女が夢と現実を混同する癖があると報告している。

 これは、想像上の孫をそう呼んでいるのではないか。そう推測していた。

 

 そう、福塚ハルは曖昧(・・)になっていた。

 

 知樹は退院後すぐにハルを訪ねていた。

 その時はまだ、ハッキリと知樹を認識し徹の最期も報告出来た。

 少々反応の鈍いと感じる場面もあったが、それは極限状態からの疲れを起因としたものと考えていた。

 

 本格的な変調は息子夫婦との面会後。

 それ以来、1週間で状態はここまで悪化していた。

 

「ほんで、村の火事はどうなったのかえ?」

「……もう、何も残ってない。前にも言ったろ?」

 

 城下の集落は巨大なヒグマに襲われ、住民は壊滅。

 路沿まで逃げ延びた人々を待ち受けたのは、研修センターでの放火を原因とする大火災。

 多くの人々を襲い、喰らったヒグマは村唯一の猟師、清水徹と相討ちとなった。

 

 大桑村の悲劇は、こう片付けられた。

 近々、鎮竜神社には慰霊碑が建てられる予定だ。

 

「ほんで、いつ帰れるようになるの?」

「……しばらくは無理だ。我慢してくれ」

 

 その時が来ることはない。

 知樹のしばらくという言葉も、無論嘘である。

 

 大桑村が焼き払われたのは、事件の隠蔽だけが目的ではない。

 仮にも村は異界から来た生物が跋扈していた地域だ。

 もし彼らが地球(こちら)にはない未知の感染症でも持っていれば、対策皆無の大規模なパンデミックになりかねない。

 念には念を。被害を減らすための措置であった。

 

 さらに、これほど曖昧になっているのだ。

 独り暮らしなど、到底無理だ。

 

「さて。そろそろ時間だ」

「ほうか。次はいつ来るん?」

「実は、少し旅行に行くことが決まってな」

「旅行?」

 

 ハルは怪訝な顔をするが、知樹はこれを意味を理解していないのだと判断した。

 

「夏休みにちょっと海外に行ってくるだけだ。友達と」

「おっ、置いて行かんでっ! ひとりにせんどいてっ!」

 

 打って変わって、血相を変えて叫び出す。その時、知樹は自分の心得違いを悟った。

 ハルは曖昧になっているが、それでも自分が息子夫婦から距離を取られたのだと理解していたのだ。

 このまま知樹も離れていくのだと誤解したのだ。

 

「心配するな、半月だけだ」

「本当に? 本当に戻るの?」

「ああ、戻る」

「ほんなら、ええわ」

 

 落ち着きを取り戻したハルは椅子に再び腰掛けた。

 そして、呆けた表情で見上げる。

 

「またね、マサト」

「ああ、また」

 

 知樹はあの現場に偶然居合わせた第三者でしかない。

 本来ならば、ここまでする義理はないだろう。

 

 しかし、この境遇を見て放っておく気にはなれなかった。

 一方で、不安もあった。

 

───いつまで、俺はあの人の面倒を見ればいいんだ?

 

 亡くなるまで、定期的に様子を見に行くべきなのか。

 どこかで区切りを付けるべきではないのだろうか。

 わからない。どうすればいいのか。

 

 底の見えない不安から視線を逸らしながら、エレベーターのカゴに入る。

 

「ハルさん、どうしました?」

「お手洗い」

「行きたい? なら行きましょうか」

 

 ハルが職員の介助を得て歩き始める。

 彼女は視線を上げて、職員に会釈した。

 

「ありがとな、マサト」

 

 重く、曲がった足が前にスライドした。




◆哀しき結末───

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