2021年7月23日16:57 小張県名気屋市LRセンタービル
別室とはいっても、背の高い仕切りで区切られた空間に過ぎない。
旅券センターの小さな雑音に鼓膜をくすぐられながら、知樹は彼と対峙した。
「発行出来ないんじゃなかったのか?」
「失礼。どうやら別部署が手違いを起こしたようで」
抗議の声に対して、仁はいつもと変わらない薄ら笑いで答えた。
そして、音もなく机にそれを置いた。
「どうぞ。パスポートです」
「馬鹿な。旅券は申請後、日を置いて取りに行くものだろう?」
「細かい事はいいでしょう。肝心なのは、これが実際に使えるという点です」
確かにとても都合がいい。同時に不気味過ぎる。
この際パスポートが本物だろうが偽物だろうが、どうでもいい。
なぜこの男は先回りできたのか?
知樹が今日この日に申請に行く事は、旅行に行く他の3人以外知らないはずだ。
そもそも旅行に行くこと自体、知る人間は少ない。
「菅原慶太くんと文華さん。おふたりは一昨日に発行手続きを終えています」
受け取るのを躊躇っていると、仁が口を開いた。
やはり、彼らは知樹の交友関係と動向を把握しているのだ。
「で、出発は29日。発行まで1週間ほど掛かります。おふたりは間に合うでしょうが、幕内さんはどうでしょうか?」
「そん、なに」
申請から発行されるタイムラグは思いも寄らぬ観点だった。
遠い昔、父と共に旅券センターの行列に並んだ記憶がある。
しかしやはり、昔は昔だ。記憶も朧げで、直に受け取った記憶も薄れていた。
「正直、ビックリですよ。もう少し早くいらっしゃると思っていたので」
「……見通しが甘かった。申し訳ない」
「おや、珍しく素直ですね」
「人を何だと思ってる?」
その問いには口で答えず、微笑みで返した。
もちろん、知樹は煙に巻かれている。
「とにかくこれで、問題は解決でしょうか」
「……もしこれが使えない旅券だったとしたら?」
「これは正真正銘、正規の手段で発行した使えるパスポートです。疑うのなら簡単です、旅行を諦めればいい。ただ少なくとも、別部署は自分達のミスを認めないでしょう」
正規の手段では発行されず、通ったとしても旅行には間に合わない。
少し前の知樹なら、変わる前の彼ならば引いたかもしれない。
しかし、小さな
「発行手数料含め、今までの迷惑料とお考えください」
「そうしよう。それで、10年用じゃないのか?」
「ご冗談を」
紺色の手帳を手に取り、ポケットに収めた。
◆パスポートには5年用と10年用がありますが、この作品の登場人物は皆18歳以上なので、本来は10年用も取得可能です。ケチですね