2021年7月29日08:32 羅宮凪県羅宮凪市羅宮凪国際空港
羅宮凪鉄道の専用路線に乗り込み30分ほど。
一行はようやく空港に到着した。
「ほらっ、ハンナ! 急がないと飛行機遅れちゃうよっ!」
「あんまり走らないでぇっ、転んじゃぅっ」
文華は寝ぼけ眼のハンナの手を引いて歩いた。
その姿はまるで親子のようである。
「ハンナのやつ、朝に弱いのか?」
「うん。何度か姉さんから聞いたことはあったけど……」
まさか、ここまでとは。
文華より先んじてハンナの家に乗り込んだ知樹は、下着姿のまま床で寝転がっている彼女を発見した。
幸いにも旅行の準備自体は済んでいたが、着替えは文華が到着するまで待たなければならなかった。
今はなんとか急げ急げで済んでいるが、ひとつ漏れただけで搭乗に遅れていただろう。
「向こうに着いたら暑さで目が覚めるだろうな」
「そういえば、マックは東南アジアの経験あるの?」
「ああ。何度かベトナムに。ベトナム語もそれなりに出来る」
もちろん、父親に連れられて行った土地だ。
アメリカとその傀儡である南ベトナム、続く中国との戦いに勝利したのがベトナムだ。
共産政権なのは気に入らなかったが、父とその息子も強い感銘を受けていた。
「……確か、期末テストの英語も満点だったよね。何ヶ国語出来るのさ?」
「そうだな。7、いや8ヶ国だ。親父もそのぐらい出来た」
それは天賦の才と言うべきものだろう。
文字と発音、多少の例文さえあればものに出来る語学力。
高い記憶力と応用能力から来る技能であった。
「ベトナムも入ってるの?」
「ああ。ロシア語とウクライナ語、スペイン語……だな」
ハンナのスーツケースを引きずりつつ、記憶の引き出しから言語を想起した。
ウクライナやバル・ベルデで出会った友人達。
あの日々を思えば、勉強したという自覚はなく尊敬されるほどのものとは考えられなかった。
「ウクライナ語? 変わった言葉わかるんだね」
「ロシア語と違いは少ない。だから、どちらかが出来ればそう難しくないはずだ。実際、ウクライナ人ならロシア語は出来て当然だ」
最近はフィンランド語も覚え始めたが、それを口にするのは気恥ずかしかった。
「ちょっと、止まって……」
「もうこれで5回目! 止まったら遅れちゃうよ!」
背後で繰り広げられる口論に、知樹は足を止めた。
こんな調子で、どうやって学園に通えているのやら。
「手伝うとするか」
「じゃ、荷物は僕が」
「頼むぞ」
慶太に自分とハンナの荷物を任せると、知樹は後方で歩くふたりに歩み寄る。
文華はハンナに肩を貸して、何とか歩かせているという有様だった。
「先輩、俺が代わります」
「大丈夫?」
「人ひとり、どうってことはない」
この期に及んでこの体たらくなハンナに、さすがの文華も呆れ果てていた。
知樹の肩に彼女の腕を置いた。
「フミフミィ……あれぇ?」
「ほらっ、行くぞっ」
両足を抱えると、背中でおぶる。
まるで子供のように。
「ファッ?! えっ、マック!? なにこれっ」
「ようやく起きたな。出国審査までこうしてもらう」
「いや、降ろしてよっ! もう歩けるからぁっ!」
空港には多くの人々が行き交うが、背負われる人間はそう多くない。
向けられる視線に気付かないほど鈍感ではなく、無視できるほど豪胆でもない。
チェックインカウンターに到着するまでの間、ハンナは羞恥の時間を過ごす羽目となった。
◆クリスマスなのに恐ろしく時季外れな内容───