TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年7月29日ICT14:47 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市 タンソンニャット空港

 

 その時刻ではちょうど小雨がはらりと降っていた。

 雨季のベトナムでは、ちょうどいいぐらいの雨量だ。

 

にわか雨(スコール)で着陸が延びなくてよかったな」

「へぇ。そういうことってあるの?」

「最初に来た時、それで着陸が30分延びた。現地の人が言うには、運が悪かったそうだ」

 

 スコールは水瓶をひっくり返したような大雨だが、1時間程度で晴れるものだ。

 しかしそれだけで離着陸が中止になる程、現代の航空機は脆くない。

 知樹が経験したのは単なる大雨ではなく、雷を伴うものだった。

 

 雷雨の場合はスコール頻発地域に限らず、地上要員の屋外作業が中止される。

 誘導がなければ、巨体を持つ航空機が陸を細かく移動するのは極めて困難。

 そのため、雷雲が去るまで搭乗口を繋ぐ駐機地点への(ブロック)移動(・イン)が遅れたのだ。

 

「今回は幸先がいい、ってわけね!」

「そうだな。使い方はそれで合ってる」

 

 ハンナはフィンランドから来た留学生だ。

 日本語は堪能ながら、学習に用いた題材の影響で少々、いや多々偏り(・・)がある。

 この偏りは学園の現文に役立つものではなく、学習半分に知樹から教えを乞うことが多かった。

 

「で、この後どうするんだっけ?」

「……今日はホテルへ移動して終わり。明日船に乗るんだろう? 旅程は頭に入れておけと言っただろうに。常に誰かがいるとは限らないんだぞ」

「私がマックから離れないからいいの♪」

 

 などと言いながら、彼女は笑みを浮かべた。

 知樹としては日本はもちろん、フィンランドよりも治安がよろしくないこの土地では油断してほしくなかった。

 

 ベトナムは強く、良い土地だ。

 しかしそれでも、悪党はいる。どこにでも。

 知樹はよく知っていた。

 

「守ってくれるんでしょ?」

 

 とても強い期待のこもった言葉。

 もうひとつの感情も強く表れていたが、知樹は視線を逸らした。

 

「俺は、他人を守れるほどの人間じゃない」

 

 ハンナは違和感を感じていた。

 ある日を境に、幕内知樹が変わったのだ。

 

 言ってしまえば、愚直で自信満々な人間に影が差したというべきか。

 暗くなったわけではない。しかし、落ち着きが混じったというか。

 

 それを彼女が一言で表すと、色香(いろか)だ。

 漫画に出てくる歴戦の傭兵が発してそうな、死の魅力である。

 

───なんか急に、とってもセクシー……

 

 今までにはなかった、別の魅力を感じていた。

 彼の経験をハンナは知る由もなかったが、察知していたのだ。

 なお通常、これは感じたら避けるべきものである。フツーにまともな人間ではない。

 

「みんな、入国審査は大丈夫か?」

「私は2度目だからね。おふたりはどう?」

「オッケーだよ」

 

 ハンナはすぐ前を歩いている菅原慶太と文華に尋ねた。

 文華は冷静な様子でポケットから必要書類を取り出し、頷いた。

 一方の慶太はというと───

 

「えっ、えっと……ヒア・ユーアー……プレジャー・アンド・トランジット……フォー・ツーデイ……」

「落ち着け。向こうも仕事だから、英語が下手な外人相手も慣れてる」

「う、うん……」

 

 慶太はあまり他人との付き合いは得意ではない。

 従姉の文華も得意な方ではないが、一対一なら彼よりずっとマシだ。

 

「何かあったら、俺が窓口でゴネてやる。心配するな」

「そっ、そういうお世話にならないように頑張るよ……」

 

 この知樹という男は確実に実行する。

 まだ付き合いは半年にも満たない間柄だが、そう確信できた。

 

 一行は外国人専用窓口の列に並んだ。

 そこからはそれぞれが別行動でどうにかしなければならない。

 

「ね、ねえマック?」

「どうした?」

 

 列に並び、間もなく開始といった頃合いに慶太が尋ねた。

 

「マックが僕より先に行って、手本見せてくれないかな?」

「あまり意味はないぞ? 遠く離れるかもしれない」

「でも……」

 

 呆れそうになった知樹だが、ふと昔を思い出した。

 それは初めての海外、父と共に入国審査を受けた際の記憶だ。

 

───そう言えば、俺も親父に同じ事を言ったな。

 

 もし妙なことを言ってしまったら、言葉が出てこなかったら。

 そうなってしまったら、自分はどうなってしまうのか。

 父にどんな悪影響が及んでしまうのだろうか。

 

 そんな心配から口走ってしまったのだ。

 父には受け入れられず、実際大したものではなかったのだが。

 

 しかし、あの時の不安感は尋常ではなかった。

 自分は問題なかったとしても、慶太は自分ではない。

 そう考えると、意味はないかもしれないがやってもいいのではないか。

 

「わかったよ」

「ありがとう」

 

 慶太と場所を入れ替わると、文華と視線が合った。

 知樹も鈍感な面はあるが、向けてくる視線や態度から避けられ気味だと流石に気付く。

 

 彼女の目が、少し和らいだ。

 そんな気がした。

 

(Next)

 

 早速出番が来た。

 知樹は自身を呼ぶ窓口まで歩くと、書類を審査官に提出した。

 

 中年男の審査官がパスポートを見ると、怪訝そうな視線を知樹へやった。

 

「……アメリカ人(J)(A)靴磨きか(P)

 

 知樹の視線に暗いものが現れた。

 侮辱とその呼び名は、知樹にとって逆鱗に近い。

 

「審査をお願いします」

「なんだ、その目は」

「さあ。この目(It’s_the_only)しかない(one_I_got)

 

 しばし、緊迫した沈黙が漂う。

 そして彼はパスポートをカウンターに置き、死角で何かを押した。

 

「そのままでお待ちください」

 

 慌ただしい足音が近付き、やがて現れた。

 警察のような装備だが、少し違う。

 彼らは入国警備官。不法入国者を取り締まる、玄関口の門番だった。

 

「別室でお話を伺いましょう」

 

 審査官が笑みを浮かべた。

 少なくとも、歓迎の笑みではない。

 

「なるほど。いい幸先だ」

 

 抵抗は得策ではない。

 知樹は両手を挙げると、警備官の誘導に従った。




◆突然の逮捕───?!
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