TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年7月29日ICT16:03 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市

 

「ああ、それって多分外国人技能実習制度のことだよ」

 

 タクシーの後部座席で窮屈そうにしている慶太はそう言った。

 あの一連の事件は当然一同の知るところとなり、窓口で口を揃えて潔白を叫んでいた。

 何かあったらゴネてやると言った知樹だが、してもらう側になったわけだ。

 

「なんだ、それは?」

「ほら、農業とか漁業って座学だけじゃ学べないことも多いでしょ?」

 

 もし椅子に座って講義を受けるだけで一次産業が出来るのなら、人類の苦労は大きく減ることだろう。

 当然、命を扱いそして奪う仕事は単純ではない。

 家庭菜園が自身の生命線となっている知樹はよく理解している。

 

「確かに」

「だからその手の事業者が海外の関連団体や企業から希望者を集めてこっちの業務に携わるんだ」

「要は、途上国に日本のノウハウを広めるんだろう? なら、悪くない話に聞こえる」

「適切に運用されればね。問題は、悪用する連中もいるってことだよ」

 

 大前提として、実習生たちは土地勘や言語を習得しているとは限らない。

 言ってしまえば、その身ひとつで異国の地にやって来ている。

 そんな身の上の人々を少し都市から離すだけで、最低限以下の賃金で働く奴隷が完成するわけだ。

 

「頼れる人がいないから、非人道的な環境で働かされても通報なんて出来やしない」

「ねえ。だったらその、見張る? 団体もあるのよね」

 

 少し気にかかったハンナが口を挟んだ。

 それは、彼女があまり見たくなかった日本の薄暗い場所の話。

 どこかで否定したかった気持ちもあったのだろう。

 

「監理団体と言いたいのか? 大層な名前掲げて活動していても、実態は活動する気も能力もないなんて団体は、どこにでもいる。これを総括する役人も基本的に怠惰だ。面倒と出世(キャリア)に響く気配を感じれば、自主性だとか適当言って何もしないさ」

「全部の団体や役所がそうとは限らないけど……でも、正当なルートが頼りにならない例はやっぱりあるらしいわね」

 

 公共放送の特集を見たことのある文華は、知樹の言葉をある程度肯定した。

 労働力に困る地方の事業者・企業にとっては間違いなく実習生は貴重な戦力なのだ。

 それは、違法で人権を損ねる団体であろうとなかろうと、関係のない事実だ。

 

 三人が口を揃えて言うのだから、やはりあるのだろう。

 ハンナは少し気落ちしながらも、語り始めた。

 

「私も、それ知ってる。フィンランド(うち)にもあるわ、そういうの。夏にレポヴェシとかでアジア人が無茶なベリー摘みさせられてるって聞くわ」

 

 フィンランドの売りのひとつに、自然享受権というものがある。

 これを端的に説明すれば、火をつけたり木を切り落としたりしなければ、森林の所有者から許可を得ずとも好きにできるというものだ。

 

 そのため、ふらっと立ち寄った森で木の実(ベリー)を摘んでも罪に問われることはない。

 日本では当然違法である。所有者に見つかれば、ほぼ叱られるか警察を呼ばれる。

 

 そういった法が存在するため、事業が成立するのだ。

 採算が合うか、従業員がまともに扱われているかは別として。

 

「……ま、今時農家とか木の実摘み(ベリー・ピッカー)とか誰もやりたくないものね」

「問題の根底は、まあそこだね」

「日本なら、まあどうにかなるでしょ。うちみたいな、寒くて薄暗い田舎と違って」

 

 ハンナは、伸びをしながらそう言った。

 車内に少し微妙な空気が流れる。

 

 恐らく彼女は心の底からそう思っているのだろうが、故郷を毀損するマジトーンの言葉を聞かされて楽しめる人間はそう多くない。

 楽しめるとしたらそれは、レイシストが先進国(とかい)に出てきた土人(かっぺ)をからかって遊んでいるのだろう。

 

 慶太は文華から時折聞いていた、愚痴めいたものの正体を見た気がした。

 同じ学園生───とりわけ、上級生との軋轢はこういった態度が原因なのではないか。

 

「なあ、ハンナ……」

 

 知樹も同じ気持ちだった。

 諫めようと言葉を選びながら口を開くと、意外な人物が横槍を挟んだ。

 

「お兄さんがた、なんか暗い話題で盛り上がってるみたいだね」

 

 タクシーの運転手である。

 空港で拾ったワンボックス・タクシーの運転席に座る彼は多弁ながらも、外国語のスキルは高くない。

 もちろん、最低限の言語スキルではネイティブ同士の会話を理解するのは難しい。

 

「ああ。そちら(ベトナム)との労働問題で、少し」

「知ってるよ、あの制度でしょ? 馬鹿だよねぇ、あいつら」

「馬鹿?」

 

 思わぬ言葉に、知樹は耳を疑った。

 自国の同胞が虐げられているというのに、なぜそんな言葉が吐けるというのか。

 

「だって、当然じゃない。国際貢献だか何だか言っても、底辺のカス野郎どもが観光客みたいな扱い受けながら仕事できるわけないじゃない?」

「そりゃまあ……」

「それに元締めの団体もお偉いさんと癒着してるギャングだったりするし。日本で勉強しながら仕事できる、なんてうまい話に舞い上がっちゃう馬鹿は、搾取されるのが当然の運命さ」

 

 見極めることの出来なかった犠牲者達には、味方はほとんどいない。

 自分の祖国にさえも。

 

「そういうのは忘れちゃってさ、パーっと楽しもうじゃない! 楽しい旅行なんでしょ?」

「ねえ、運転手さんはなにを?」

 

 文華が会話の切れ目に囁いてきた。

 彼女もベトナム語は申し訳程度、旅行者の平均レベルだ。ふたりが交わしていた会話の内容は理解できなかったに違いない。

 投げかけられた問いに、知樹は手短に答えた。

 

「ああ。せっかくの旅行なんだから、楽しんでいこうぜ、ってな」

「……そうね。そうだよね」

「そう! 楽しんでいきましょ! フォーッ!」

 

 その通り、今は楽しい旅行なのだ。

 政治を学ぶ機会はあれど、論じ嘆く場ではない。

 

 ホテルに到着すると、知樹は料金と少なめのチップを手渡した。




◆あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。
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