2021年7月29日ICT16:38 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市 サイゴン川のほとり
歴史談義で盛り上がると、知樹の中にいた魔物が少しだけ顔を見せた。
「そう。そういった人々がダーク・ステートから守って来たんだ」
「うん……うん?」
頷きかけて、妙な発言に気付いた。
いま、なんと言ったのか?
「えっと、なに?」
「だから……」
真実を語ろうとした矢先に、知樹の視線に人々が目に入った。
スクーターのそばに群がり、何かを話している3人の若者。
彼らは街の片隅で駄弁る、よくいる人々に見えた。
しかし、“臭う”。何かがおかしい。
視線を注意深く観察すると、知樹達一行と少しズレた方向をうかがっているように見えた。
背後を伺うと、スクーターを押す現地人が見えた。
彼はホテルを出てからずっと、後方15メートルほどを保って運転したり止まったりを繰り返していた。
ろくな信号もなく、自動車とスクーターが止まることなく行き交うあの車道を。
「……ひったくりじゃなかったか」
「どうしたの?」
恐らく彼らは日本語がわからないだろう。
しかし、念には念をだ。知樹はハンナに身を寄せた。
「……っ?!」
「聞け。多分強盗に目を付けられてる」
「えっ、強盗……?」
「正面の3人組と、後ろで原付を押してる奴だ」
それを聞いてハンナは周囲を見渡した。
すると、確かにいる。そんな連中が。
「なんで強盗ってわかったの……?」
「後ろにいる奴ひとりだったから、ひったくりに目を付けられたと思ってた」
意味もなくスクーターを押しながら歩く人間など、そう多くない。
それが見張りつつ、距離を保ちながらずっとついてくるのだ。
さらに自分達が身なりのいい外国人だと見られているのならば、警戒に値する。
単独なら、複数人を相手に強盗などするはずがない。
スリならば人混みに紛れて懐に手を入れるし、妙なものを売りつけようとするならやはり尾行する理由はない。
もしスクーターひとりなら、ひったくりと考えられる。
では、それが複数なら?
逃走手段を持つ強盗が浮かんでくるというわけである。
「ねえ。こういう時って普通、“振り返るな”とか言わない?」
「別に相手は警察じゃない、貧乏人のチンピラだ。割に合わない
自分達が警戒されていると知れば、よほど強い動機がなければ逮捕や反撃といったリスクを自覚する。
それもまた、一種の抑止力というものだ。
「人通りの多いところだけ回って、宿に戻ろう」
確たる証拠はないが、海外で尾行されていると考えれば当然の判断である。
相手は犯罪で糊口をしのぐタイプ。
リスクだけでなく、報酬の出ない仕事が長引くのも嫌がるのだ。
「なんか、らしくない」
「えっ?」
ハンナの感想に、知樹はらしからぬ声を出した。
考えてもみれば当然だ。行き過ぎた正義感を持つ、暴力的なこの男。
それが、戦いという短絡的かつ直接的な解決ではなく、メッセージを送り放置するという判断を下すとは。
彼女は幕内知樹という人物の本質を、慶太や文華よりも少しだけ理解していた。
だからこそ、違和感を持った。
「前のマックだったら、自分から向かっていってボッコボコにしそうだし」
「……前にも言っただろう。俺は、他人を守りながら戦えるほど強くない」
それはつまり、単独であればやるしやれるという意味である。
もし彼女が力の信奉者であれば、これを弱さと捉えただろう。
しかし、ハンナマリ・ヒルヴィサロはそうではない。
「なんか、マックって急に変わったよね」
「かもな。俺が、心が弱くなったのかもしれない」
「それは違う。あなたは私達を気遣ってくれてるだけだし……それに、どうにかしようとしてる」
知樹が身を寄せてきたのをいいことに、ハンナは腕を組んだ。
神経を尖らせている彼は、反応が少しだけ遅れた。
「えっ……?」
「あなたは色んなことを知って、成長した。多分、それだけよ」
その言葉に答えを出せるほど、知樹は自分を知らなかった。
◆敵を倒す事だけが護身ではない───