2021年7月29日ICT16:44 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市 チャンフンダオ像広場
自分よりもずっと背の高いビルに、排ガスをまき散らす自動車とスクーター。
かつての英雄を象った像は、そんなものに囲まれていた。
「なんか……修学旅行で行った札幌の時計台を思い出すなぁ」
広場に到着すると、文華がかの像を見てそんな感想を口にした。
「僕も行ったよ。意外としょぼいなぁとか思っちゃったね」
「もう360度がビルで囲まれてるもの」
当時は天を衝くような高さを誇っていたのだろう。
しかし時代が進み、人が集まり、技術が高まった。
古い歴史は今の繁栄に覆われてしまった。
それでも、何もない時代からそこにあり続けた。
その事実は札幌の時計台も、チャンフンダオ像も変わらない。
「川からはよく見える分、あそこよりマシだろう」
彼の目前を横切るのは、サイゴン川。
名を挙げる地となった白籐江は海岸沿いのずっと北にあるが、眩しい壁と向かい合うよりもずっと落ち着くことだろう。
「ねえ、マック。その、もう平気なの?」
ハンナがそっと耳打ちをする。
知樹は英雄の像から視線を外すと、周囲に巡らせた。
自分達を尾行していた気配は既にない。
警戒され、人込みから離れる見込みもないと見て諦めたのだろう。
悪い事ではない。
慣れない土地ではどんな伏兵がいるかわかったものではないのだから。
「大丈夫だ。妙な人影はもうない」
「そう、よかった……夕食は何時だっけ?」
「6時30分だ。なんだ、腹が減ったのか?」
聞いていた慶太と文華がクスリと笑った。
「何か、おかしなことを言ったか?」
「そりゃだって、マックじゃないんだよ」
「人を食いしん坊みたいに言わないでもらいたいな」
「実際、よく食べるじゃない」
知樹の食事量は控えめに見えるが、それはあくまで昼食の量を制限しているだけに過ぎない。
朝食と夕食に3合の味噌粥を平らげる大食漢なのだから。
さすがに一同もここまでの付き合いともなれば、その片鱗を目の当たりにする機会はあった。
「私が言いたかったのは、カフェで時間を潰さないかって。そう言おうと思ったのよ!」
「……ああ、そういう」
ハンナが指さす先には、広いテラス席があるおしゃれなカフェがあった。
日本人は海外旅行に出ると、とにかく予定を詰め込み様々な場所へ行こうとする癖を持つ者が多い。
しかし、見慣れぬ地でのんびりと時間を過ごすのまた一興なのだ。
「そっちこそ、他人を食いしん坊みたいに言わないで頂戴!」
「そうだな。悪かったよ」
カフェ、喫茶店。
最後に行ったのは大桑村に行く直前、ハンナと共に名気屋駅の店に行ったきり。
周囲から変わったと言われるようになったのは、あの事件以降である。
「どうかしたの?」
「……いや、なんでもない。行こうじゃないか」
また、何か起こるのではないか。
知樹は内心に不安めいた感情を抱きながらも、ハンナに手を引かれるままカフェへと赴いた。
◆珍しく普通の観光───?