2021年7月30日ICT11:13 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市クチ県 クチトンネル
『このようにして、解放戦線の戦士は米国の監視から逃れたわけです』
ビデオ教習を終え、ツアーは実物の展示に移っていた。
その垂直に穿たれた穴の大きさは、成人男性が両手を挙げてようやく入れる幅しかない。
当時の米兵の多くは見つけても、装備を脱がなければ通るのは物理的に厳しかったことだろう。
実際、知樹が体験した際は両手を挙げても中々潜れなかった。実戦ならば入り口ごと爆撃されただろう。
『ハハっ、今の日本人はデカいな!』
『見事なものだ。このレベルの偽装なら、地上を歩く兵士にも気付かれなかっただろう』
穴からひとりで這い出ながら知樹は感心した。
蓋となる石板は周囲の落ち葉で偽装しながらトンネルに潜る手順が定められており、航空機による上空からの監視はもちろん、戦闘中の注意力が散漫になった歩兵にも発見は困難に見えた。
続いての展示物はトンネルほか、様々な地点に仕掛けられたトラップだった。
単なる人工芝生に見える一箇所。しかしガイドが棒でそこを突くと、ひっくり返った。
下に広がるのは無数の斜めに切られた竹。短い竹槍のようなものだ。
「竹は内部が空洞だから貫通すれば肉を抉り出し、貫通せず体内に留まれば注射針のように出血が続く」
「……戦国時代とかで竹槍が使われたのって、そういう目的もあったのね」
「入手性が高いのが一番の理由だ。あれは管理してないと際限なく出てきて伸びる。武器としては都合のいい素材だ」
これは落とし穴。落ちれば死なず、かつ自分で生きる事もできない程度に身体中を穴だらけにされる。
仲間が助けようと悪戦苦闘し、それだけ部隊が足止めを喰らう。
どこに罠があるかわからない不明の恐怖。もし仕掛けを踏み抜けばどうなるかという痛みの恐怖。
怖気を植え付けるのに、最新の技術は不要なのだ。人類誕生以来からのノウハウがある分、さらに酷いかもしれない。
これはあくまで観光用の展示物ということで偽装はわかりやすい人工芝生となっていたが、実物は徹底的な偽装が施されていたのは言うまでもない。
「……うん、これは観光用に表現を抑えられてるな」
「そうなの?」
「ああ。実物は糞尿をぶちまける」
「うへぇ……それは、引っ掛かりたくないな」
「そういう目的だからな。もちろん糞尿が体内に入れば毒にもなる。自然由来の生きてるだけで調達出来る毒というわけだ」
「ゴブリンがそういうの使う漫画あったね」
ガイドの解説よりもコアな補足に三人は唸った。
移動が開始され、次はいよいよトンネルに入る。
そんな最中、ハンナが呟いた。
「なんていうか……ここまでするのね、戦争って」
「80年前の君の祖先だって、強大な敵を相手に戦った。戦い方は違うが、凄まじい戦いぶりに違いはない」
ハンナの祖先、冬戦争や継続戦争におけるフィンランド軍はロシア軍やドイツ軍相手にゲリラ戦を繰り広げていた。
40年代の技術と60〜70年代の技術には大きな開きがあり、フィンランドとベトナムでは地理的な条件も大きく違う。
それでも強大な敵と戦い、故郷の地の強みを活かし、大きな犠牲を払いながらも信じられない戦果を上げたのは事実だった。
「今はそんな根性、そこにいる誰にもないけどね」
「そういうのは実際に直面しないとわからないものだ。決めつけるには早い」
大桑村での一件。芥子の花を育て、口ばかりは達者な
彼はほとんど役に立たず、ヒステリックに喚き散らすばかりだった。
しかし窮地に追い詰められても侵略者に屈さず、臆病ながら武器の確保に単独で奔走したこともあった。
正直、今でも気に入らないし独断がなければと思う事はある。
しかしそれでも、評価すべき点はある。平時のクズも、有事には働くこともある。
知樹はそう学んでいた。
「どうだか。マックだって、スオミの今を見た事ないでしょ?」
「……そうだな。俺も知らない事は多い。フィンランドの現状も知ってるとは言えないな。だが、それを言ったらハンナも日本やベトナムの事を深く知ってるわけではない。違うか?」
ハンナは壁に直面し、口を閉ざした。
その通りである。日本に留学して半年も経っていないが、現実を知って幻滅した事もあった。
もちろん知識の通りな事もあって喜ぶことも多々あった。
きっと、まだまだ知らない事もあるのだろう。良くも悪くも。
「前々から思ってたんだが、あまり祖国の事を悪く言うな。問題や心配事があるのはわかる。問題提起も構わない。俺達も同じだ。だが場を考えてくれないと、反応に困る。あまり君の故郷を悪く言いたくない」
他人のことをとやかく言えない男が偉そうに説教を垂れた。
自国も他国も知らずヘイトスピーチを撒き散らす本人は、無自覚かつ本気でそう考えているのだ。
「……そうかも、しれないわね」
ハンナ自身、この言葉だけで変われたわけではない。返答はその場限りの、平穏に収めるための方便に近かった。
ただ、最後のひと言が強く響いた。
───君の故郷を、悪く言いたくない。
まさに、知らないからこそ言えるセリフに他ならない。
そのはずだ、身をもって知っているはずなのに。
だというのに、心に強く響いてしまった。
「ごめんなさい。そうよね、今は楽しい旅行なんだし」
「つまらない昔より、今の
知樹はトンネルに向けてライトを用意すると、ハンナに手を差し伸べた。
暗い、トンネルの中へ───
◆ふたりの行く末にあるものとは───?