2021年7月31日ICT11:09 インドネシア共和国ジャワ海 FJW第14甲板『Lido』
船がジャワ海に入るころ、知樹は衣服を脱ぎ水着へ衣替えした。学園の水泳の授業で履く紺色をした色気のないスクール水着だ。
極めてダサいその姿は非常に浮いて衆目を惹きそうだが、そうはならなかった。
人々はなによりも彼の肉体に視線を奪われたためだ。
『ヒューッ! 見ろよあの肉体……』
『荒っぽい身体だ。まるで鋼……いや、鍛造中の熱した金属のようだ』
肉体に興味のない者でも、その身体に走った傷跡の数々には意識が向いてしまう。
新しいものであれば腹部の
果たして、どのような地獄の戦場を生き延びた強者なのだろう。水着のダサさよりも、そちらの好奇心が勝っていた。
「……やっぱり裸のマックって、注目を集めるよね」
「やな言い方だな。まるで俺が野獣先輩みたいじゃないか」
「いや、野獣先輩が裸なのはBBのせいだから……」
水泳の授業ではあまりの傷跡に学園中が息をのんだ。体育教諭も虐待や喧嘩を疑ったが、前者を疑おうにも彼の周囲には親族どころか同居人すらいない。
『見て、あのアジア人ふたり』
『可愛らしいわねぇ。背伸びしてる感じがたまんないわ』
『中国人かしら。魚臭いわよ、きっと』
わからないとでも思ったのか、英語で中年女のグループが囁きあった。
実際不慣れな慶太は彼女らの発言を聞き取れなかったが、知樹はバッチリ耳にしていた。
───毛唐のババアどもが。
目を吊り上げるジェスチャーは見逃さない。
極めて不愉快な思いではあるが、わざわざ教えてまで広げるべきではない。
気分を変えるために知樹は話をつづけた。
「前にも言ったが、こいつは大半が人にやられたものじゃないぞ」
「少しはあるんだね……」
「転げ落ちて木の枝に引き裂かれたり、落ちた先の尖った石が刺さったりした程度だ。人にやられるヘマはしない」
「十分やばくない?」
慶太からやって来た突っ込みから微妙に話を逸らした。先の大桑村の件や自警活動を察せられては困る。
自分の身体から本格的に話題を遠ざけるため、知樹はこのサンラウンジャーに腰掛ける最大の理由を口にした。
「ふたりとも遅いな……何やってるんだ?」
「まあまあ。女性の準備は時間が掛かるっていうし……」
しかし噂をすればなんとやら。
知樹は日陰の暗闇に手を振るふたつのシルエットを認めた。
「やっほー!」
日の光で彼女達の姿が露わになった。
文華はあまり体型に自信がないのか、体のラインが分かりづらい水色のワンピース・スタイルの水着を身に着けていた。
しかしその背の高さとぼかされたラインからでも、彼女が持つスタイルの良さは顕著に表れている。
もし本人が体型に自信がないから───などと口にすれば、世の女は嫉妬してしまうに違いない。
一方のハンナは対照的である。
自身のボディに絶対の自信があり、かつ美しさの維持にも力を入れている彼女は黒いブラジリアン・ビキニで臨場した。
南米ブラジル発祥らしく露出度の高いこのタイプの水着は、トップスは一般的なビキニ・スタイルと大差はない。せいぜいチェーンの装飾がある程度だ。
しかし、ボトムがTバックだ。ヒップの露出度がエグい。
正直、学園生が着ていいものではない。スケベが過ぎる。学園側に見つかろうものなら問題になるレベルである。
「ごめんね~。男にナンパ、されちゃって」
「えっ、大丈夫だった?」
「うーん、それがねぇ……」
ハンナは横目で知樹を伺った。
さあ、私がエロい格好で男に言い寄られたのだ。どう反応するのか!
期待を胸に視線をやると───
彼の視線は遠い水平線へと向いていた。
「……ちょっとマック。こっち見なさいよ」
「やだ」
「やだじゃない、見ろ」
「恥ずかしくないのかっ、そんな格好してっ」
思った以上の童貞しぐさであった。
同じく童貞であろう慶太ですら、視線を下げないように顔へ注目しているというのに。こいつはそれ未満である。
局部をガン見しないだけ、まだましではあるが。
「えーいっ、失礼でしょうがーっ! 人の顔見て話せぇっ!」
「なんかやだ! おかしくなる!」
未知の感情を相手に戦うふたりを横目に、慶太と文華は向かい合った。
セクシー・スタイル・ハンナに顔を紅潮させた慶太だが、今はそれ以上に赤みは強くなっているように見えた。
「えっと、姉さん。大丈夫だった?」
「平気だよ。あれ、ハンナが適当言ってるだけだから……」
彼女の言っていたそれは、いわゆるキャット・コールというやつだった。陽キャ気取りがあいさつ代わりに行う一種のセクハラである。
例えば「エロいぜぇ、ねぇちゃん!」や「そのパイオツ見せてくれや!」などと過ぎ去りざまに野次を飛ばす、といった具合である。
現代日本では稀なものとなったが、海外ではフツーに飛び交う。もし素直に誉め言葉と受け取れば、チョロい
ハンナと文華、両者の受け取り方には相違があったのだ。
閑話休題。言葉が途絶え、ふたりの間に沈黙が流れた。馬鹿みたいな争いを繰り広げる約2名などいないかのように、甘酸っぱい空気が海風に逆らって漂いだす。
意を決して、慶太は一歩踏み出した。
「あーっ、姉さん。水着、似合ってるね」
「そっ、そうかな?」
「うん、可愛いよ。うん」
本来、理不尽に奪われるはずだった青春。
奇跡の連続で成立している青春。
「なんだぁ、あいつら?」
「男連れだが……女はいいなぁ」
それを眺める不埒な男達がいた。
◆水着の美少女達に忍び寄る影───