TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年7月31日ICT17:50 インドネシア共和国ジャワ海 FJW第15甲板『Sports』

 

 まさかまた、この階層まで戻ることになるとは。

 しかし今立っているのは船尾ではなく、中央のトレーニング施設。

 中でも、畳が敷き詰められている柔道などの格闘技用のスペースだった。

 

『さぁて、どう……謝ってもらおうかな?』

 

 3人がひとりを囲み、拳を鳴らす。

 彼らが何を目的としているのかは明白だ。

 

『まずは顔面潰すッ!』

 

 最も大柄な男が先制攻撃を仕掛ける。

 これは、無力化のための暴力ではない。

 上下を理解させるための、躾の暴力。

 

 故に、この男には通用しなかった。

 拳が耳を掠め、一瞬で懐まで間合いを詰める。

 

『なっ……?!』

 

 鋭い肘が顎をかち上げた。

 強烈な衝撃と痛みを受け、大きく後退りして倒れた。

 しかし、意識だけは保った。

 

『てっ、てめえっ! 状況わかってんのか!』

『傷害も追加だぞっ!』

 

 残されたふたりは抗議と脅迫で対抗するが、もうわかっていた。

 この男に訴訟するだの何だの言っても、何の効果もない。

 

 状況を理解していないのか軽視しているのか、それとも言葉(英語)が通じていないのか。

 どちらにせよ、自分らを取り巻く状況は変わらない。

 

 今この場には、法の庇護は存在しないのだ。

 

『悪いな。これはボクシングだったな?』

『そうだっ! こいつは事件だぞ!』

『つまらん理論武装だ。南朝鮮人らしい』

 

 彼らの表情筋が引きつった。どうも、癪にさわる言葉らしい。

 ただでさえルール無用の戦いに、憎悪が投下された。

 

 背後に回った男が知樹を羽交締(はがいじ)めにした。

 そのまま片割れが好き放題するという計画だったが───もちろんこの程度は想定の範囲内である。

 

 ダンッ! 強烈な踏み込みで足の甲を踏み潰す。

 羽交締めにした場合、仲間がいるなら絶対的な優位を得られる。

 しかし、相手の体は絶対に宙に浮かせなければならない。さもなくば、このように脱出する隙を与えてしまう。

 

「あうっ」

 

 掴む手が緩み、そこを知樹は背負い投げた。一瞬の出来事に片割れは対応出来ず、仲間の踵を頭に貰ってしまった。

 戦意の塊を相手に、素人目にもわかるような隙を晒すのは致命的だ。

 

 バンテージが巻かれた拳。それが、視界一杯に広がった。

 鼻が折れ、天井を仰ぎ見ながら倒れる。

 

『お前達に合わせてやった(・・・)ぞ。文句ないな』

 

 もっとも、彼らには聞く余力さえ残っていなかった。

 最初に攻撃を避けられた、大柄な男を除いて。

 

『……卑怯だぞっ、チョッパリ』

 

 上体を起こして、呪詛を吐く。

 脅迫も暴力も数的優位も通用しないとあっては、最早出来るのは言葉で呪いを浴びせるぐらいなものだった。

 

『女子供に絡んで、侮辱し、訴訟で脅迫して数で囲んだ側が言うことか?』

『うるさいっ! 白人女や日本人の(寿司)女を囲って、ガキのくせして遊びやがって……』

 

 独特な韓国のネット・ミームが口から飛び出した。当然、知樹はその意味を知るはずもない。

 ただ、言葉の雰囲気から意味を何となく察した。

 

『お似合いのキムチ女がいるだろう。下等生物風情が他人様に絡むな』

『お前らチョッパリに何がわかる! あの()共が……俺達に何をしたと思ってる?!』

 

 どうも、重い話になりそうだった。

 彼らから戦意を感じないため、知樹は姿勢を変えずに言葉に耳を傾けた。

 

『穴は……女は、人間じゃない。別の生き物だ!』

『単なる生物の雌雄だろうに。種族の違いじゃない』

『いいや別だ! 俺達が兵役で血反吐吐いている最中に、あの女は……』

 

 要約するにも酷い話だが、彼はこう語った。

 学生時代、彼にも将来を誓った女性がいた。

 男女間の分断が広がる社会ではあったが、それを未来のためにもどうにかしようと語り合った経験もあった。

 

 やがて、彼にも兵役に就く時が来た。

 終わり次第結婚を約束し、祖国を守るための役目を全うした。

 

 連絡が取れない時期が続きながらも、やがて役目は終わる。

 サプライズのためにやや遅めに帰着時期を伝え、彼女の通う大学で帰宅を待った。

 その彼に待ち受けていた光景は───

 

『あいつは……っ、イケメンと歩いてた! あんな整形丸出しの!』

「……」

 

 端的に言えば、彼はNTRを受けた経験があるのだ。

 自分ではない、別の金持ち男に。

 

 知樹は言葉を失った。

 そこまで言うことか? という呆れの感情と、裏切りを受けた過去に対する───ちょっとした同情心だ。

 

『……お前だって、まあ。女受けする顔なんじゃないか?』

『整形に決まってるだろっ、こんな顔! 先月手術を終えたばかりだ!』

 

 そうカミングアウトすると、彼はスマホの画像を知樹に突き付けた。

 並べてみると確かに同一人物とはわかるが、過去の容姿は確かに───なんというか、今と比べてパッとしない。

 

『お前はどうなんだっ、お前は整形じゃないのか?!』

『俺は親父の遺伝子を受け継いだままの顔だ。親父からもらった顔に刃物を入れるわけがない』

『儒教タリバンめ!』

『……なんだって?』

 

 知樹の中で全く繋がらない単語の羅列に混乱したが、相手に答えを与える気はなく。

 さめざめと涙を流しながら、哀しき自分語りが続いた。

 

『こいつらだって、穴に差別され、嘲笑されてきた! ずっと、クソ上官に耐えながら守ってやっていたのに……!』

 

 大柄な男は自分の仲間達を指差し、苛立ちのままに両手で頭を掻いた。

 

 死ぬような思いで戦っても、報われない。理解されない。どころか嘲笑される。

 正しい行いであっても。

 その姿は、かつて自衛隊を理不尽に追われた父に重なるものがあった。

 

『穴は、奴らは人として扱っちゃダメだ! 脳が死んでいて道理と正義を理解できない! ガンギエイ野郎と同じだ!』

『待て、訳のわからない言葉で勝手に盛り上がるな』

日本人(チョッパリ)、お前らも時期にわかるようになる。()は動物だ! 優しくするとつけ上がり、恩義を感じない! どちらが上か、暴力で理解らせないと(・・・・・・・)!』

 

 知樹は脳を金槌で殴られたような衝撃を受けた。

 

 なぜ、そこまで異性を恨めるのか。

 きっと話を聞いただけでは理解しきれない、辛かった経験があるのだろう。

 衝撃を受けたのはそこではない。

 

 同じなのだ。自分が韓国人全体に抱いていた印象と。

 非人類などと侮蔑していた自分と、同じことを言っているのだ。

 

───こうは、なりたくない。

 

 しかし反面、こうも考えた。

 

───人は、こうなるべきじゃない。こんなこと、あってはならない。

 

 彼が持つ過激で青臭い正義心が、珍しくまともな方向に転がっていた。

 

『お前らは、どうしてこの船に乗ったんだ?』

『この顔がどれだけ世界で通用するか試したかったのさ。兵役逃れのカスアイドル共と似た顔なら、東南アジアの女ぐらいモテそうだろ? 実際、モテた』

 

 そう言うと、彼はスマホを操作して画像を探し始めた。

 豪遊している画像を選択し、知樹に見せようとした瞬間。

 誤って指が触れてしまった。

 

『アオォン! オォン! 頭来ますよ〜!』

 

 スマホから男の喘ぎ声を加工した音声が流れ、半裸───いや、全裸の男が睨みつける映像が映し出された。

 

『あっ、これ違う……』

「野獣先輩……?」

 

 知樹の口から漏れた言葉に、男は視線を上げた。




◆この男の正体は───?
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