2021年8月1日ICT09:33 インドネシア共和国バリ州ベノア
羅宮凪旅行社所属
文武敏明
ベトナムへ高跳びしたかと思えば、今度は超高級クルーズ船に乗って移動とは。
確かに、読みを外すという意味では考えられる判断だ。
もっとも、読まれれば逃げ場のない空間に押し込まれるも同然なのだが。
「来たぞ、船の客だ」
FJWのタラップから人々が降りてきた。
このバリ島のリゾートを楽しもうとした金持ち達である。
敏明達はその様子をホテルの一室から監視していた。
少なくとも、ベトナムで逃亡者が乗り込んだことは確定している。
水上で逃げ出したのでなければ、ここで逃げるかバカンスを楽しむか。
あるいは、船に隠れているかのいずれかである。
クルーズ船に乗船するのは難しく、避けたいところ。
という上からの要望で、ひとまずは陸から出てくる人間の監視を始めたのだ。
「あまり期待は出来ないな」
亮が率直な感想を口にした。
自分が追われていると自覚している人間が、わざわざこんなリゾート地に出てくるとは考え難い。
逃亡を考えればなくはないが、ここで別口で逃げるのでなく楽しみたいというなら。
それは人並外れた図太い神経の持ち主である。
「だろうな、俺も期待してない。だから、マッケンジーを待つ必要がある」
現在健司は船内に潜り込むための準備をしている。
主に乗客名簿の改ざんや、身分証の作成である。
それ以上の根回しは、政治の側の仕事だ。
「……! おいっ、まさか……」
スポッタースコープを覗き込む敏明の目に、信じられないものが飛び込んで来た。
亮は思わず彼に視線をやった。
「どうした?」
「一番タラップを降りてすぐ。
亮も言われた場所へ視線をやる。
すると───見覚えのあるアジア人。いや、日本人の顔が飛び込んで来た。
「幕内知樹……?! 何故ここにいる!」
“アルファ”と大桑村での事件に続き、三度現れた少年。
自分の実力に絶対の自信を持ち、自認相応のものを持つ少年。
視線の向きから察するに、見覚えのある少年少女と、見覚えのない男が恐らく3人。
彼の周囲にはそれだけいた。
今までの件ではほぼ無関係の首を突っ込んだ形だった。
だから、まだよかった。
しかし今回彼が関与すると意味が違ってくる。
今回の案件には彼の父と、極めて関係の近い組織が背景にいる。
彼は無関係でなければならないのだ。
さもなくば、核兵器技術売却の片棒を担ぐ形になってしまう。
「くそっ。あんな役満経歴持ちに、外務省はパスポート発行したのか?」
本来許されないことだが、国外でロクでもない真似をする人間に対して外務省はパスポートを発行したがらない。
過去イスラム過激派に誘拐されたジャーナリストに発行せず、現在係争中なのは有名な話だ。
「犯罪を犯してなければ、発行されるのは当然の権利だ」
亮は自分の信条から、皮肉も冗談も抜きに語った。
もっとも、今回の場合は発行されなかった方が幸運だったかもしれないが。
「これからやらなきゃいいんだけどな。監視頼む。俺は上と話してくる」
「任せろ」
これは由々しき事態である。
一応彼には公安のマークがあり、国外旅行を考えていたならば相応の反応があるはず。
それが、こちらに一切の情報も上がってこないとは考えられない。
あり得るとしたら、持ち前のステルス技術を用いて抜け出したか。
あるいは、公安の無能か。
なんにせよ、今回の事件にシータグループ協力者として関わっている可能性が高い。
報告し、場合によっては───対応しなければ。
敏明は部屋のパソコンに手を伸ばすと、専用メールソフトで連絡を始めた。
◆両者、遂に激突か───?!