TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年8月2日ICT10:35 インドネシア共和国バリ州 FJW第8甲板『Sapphire』

羅宮凪旅行社所属

早瀬亮

 

 このフロアに宿泊している人数は把握している。

 接触するならば、今は他にないほど最適なタイミングだ。

 

 階段を上って第8甲板に到着すると、掃除機でカーペットの清掃を始める。

 視界の隅には件の人物がいる。潜伏している気配は───なかった。

 

「行くか?」

「待て、人が迫ってる」

 

 この船のセキュリティに仕込まれた人検知システム。

 健司はこれを拝借(・・)し、彼が持つデバイスに情報を転送するように手を加えていた。

 

 警告通り、気配が階段を上り自分達のすぐそばを通過していく。

 同じフロアに宿泊している菅原慶太と、どういうわけか共に行動している韓国人3名。

 

 関連は不明。経歴を調べようにも、それは時間が掛かりすぎる。

 場合によっては、彼らもシータグループ関係者だと推測する必要があったが───

 

「なぁ。初めてを、その……肛門で行うのは一般的なのか?」

 

 三人は互いに顔を見合わせた。

 符号にしては内容があまりにも生々しいというか、彼らが好むような類のものではなかった。

 

「淫夢厨とかならあり得るんじゃないか?」

「馬鹿な想定はやめろ」

 

 健司の軽口を亮が咎めた。

 その通り。国際的テロ組織との関係があり、潔癖症の限界極右がまさか、淫夢などという堕落を極めた不健全コンテンツにドはまりしているわけがない。

 

 そう考えるのが、普通というものだ。

 少なくとも亮の判断が正しい。それが事実を保証するものではないが。

 

「初めてでアヌスか……やるな」

「感心するな色馬鹿」

 

 場に流れる雰囲気に流されたのか、敏明すら本性を垣間見せ始めた。

 

 今は非常に真面目な仕事の場だというのに、普段のおふざけを発揮するのはよろしくない。

 若者達の馬鹿話を呆れ半分、懐かし半分に聞き流しながら、亮は時を待った。

 

 そして、時は来た。

 

 4人が幕内知樹を離れ、階段を下りていく。

 情報が正しいのなら、今このフロアにいるのは彼ひとりだけだ。

 

「遊びは終わりだ、仕掛けるぞ」

 

 健司の指示と共に、3人は商売道具をその場に置く。

 そして、窓の向こうに視線をやる彼の背後に立った。

 

「で、いつになったら掃除は終わるんだ?」

 

 知樹はそう言って振り返ると、驚いたような表情を浮かべた。

 それはこちらの表情というものだ。

 

「またお前らか」

「こっちの台詞だ。なぜこの船にいる?」

 

 こういった場で最も話し合いのうまい敏明が尋ねた。

 亮はすぐに感情が出てトラブルを起こし、健司は傲慢さを一切隠さないのでやはり、トラブルになる。

 適性から、自然とそうなるのだ。

 

「お得意の情報網で調べられないのか?」

「こう見えて、法はなるべく遵守するんでね」

「違法な越境作戦をしているのにか?」

 

 事実を指摘していたが、その根っこにあるのは論点ずらしに過ぎない。

 例え事実だとしても、議論に乗っかるのは悪手だ。

 

「悪いが手早く話をつけたい。船に乗った目的は?」

「お前らに権限はない。だから答える義務も義理もない」

 

 まるで職務質問を「任意なら従う気はない」と突っぱねる小賢しいひねくれ者のようだ。

 尋ねる側としては、こういった態度はますます怪しく思えるものである。

 3人は瞬時に相手を中立から敵対的に思考を変えた。

 

「どうした、特殊尋問でも始めるのか?」

「ひとつ忠告しておく。やましいことがないなら、素直に従った方がいい。トラブルになる」

「これは権限のない、違法な捜査だろう? なら、抵抗しても問題がない。違うか?」

 

 その時、知樹の目に強烈な殺意が宿った。

 これは来る。確信した亮は敏明と入れ替わるように一歩前に踏み出す。

 

 事はほぼ同時に起こった。

 

 瞬きする間に彼は距離を縮め、敏明の懐に入ろうとした。

 そこに亮が現れたのだ。

 

 畳んだ腕、突き出されんとする肘。

 

───危ない野郎だ。うっかり人を殺しても知らんぞ。

 

 常人なら反応できないであろう速度で繰り出されるそれを、亮はあっさりと見抜き、受け止め、足を払った。

 

 敏明でも対処は出来ただろう。

 しかし相当な手練れ、まともな戦いになって時間が掛かる。

 速攻で片付けるならば、それ以上の手練れである亮が相手として最適だ。

 

 信じられないものを見る目で知樹は亮を見上げた。

 恐らく先制攻撃の十八番(おはこ)をあっさりと受け流された事実に驚いているのだろう。

 

「こいつっ……」

「どうした坊主。もう終わりか?」

 

 盛大に歯ぎしりし、知樹は怒りを露にした。

 その目は淀んでいたが、異常なほどにギラギラしていた。

 自分の正義を妄信している、信仰者の目だ。

 

 亮は真逆の思想とはいえ、鏡を見ている気分であった。

 昔の自分を映す魔法の鏡である。

 

 そんな追憶など知樹の知るところではなく。

 彼は倒れた姿勢のまま足を払った。

 床に張り倒された意趣返しのつもりなのだろうが、動きは読まれていた。

 

 靴底で足を受け止めると、そのまま踏みつける。

 彼の左足首が危険な方向に曲がった。

 

 知樹ほどの心得がある人間なら、もうわかる。

 これは一種の詰みだ。ここからどのような動きをしようとも対応され、制圧される。

 

 銃があるなら話は変わってくるが、ないものを前提に加えることは出来ない。

 そう、抵抗は失敗に終わったのだ。

 

「話した方がいいぞ。これ以上抵抗されると、足を折るしかなくなる」

 

 左の脛に掛けている圧力をわずかに強める。

 異常な生活をしているせいだろう。

 常人よりは頑丈とはいえ、亮が思っていたよりも彼の骨は脆そうに感じた。

 

 力いっぱい踏み抜けば、真っ二つに折れる。

 

「聞き方を変えよう。この船に同乗している越智照仁をはじめとした元自衛官のグループ。そいつらと協同しているのか?」

 

 敏明が改めて問い掛ける。

 その時、知樹の表情に驚嘆の色が浮かんだ。

 演技にしては露骨すぎる。素直というより、愚直な男である。

 

───また、偶然なのか? これが?

 

 二度あることは三度あるというが、現実にそんな偶然はそうそうない。

 あるとしたら、偶然を誘発しているものがいる。そう考えるべきだ。

 

「……今照会が終わった」

 

 健司のデバイスに情報が届いた。

 その知らせは、亮の推測を追認するかのような内容だった。

 

「こいつの参加しているツアーは菅原慎之介、菅原文華の父親が費用を出している。確認が取れた。だから、この件に関しては偶然なんだが───パスポートは本来、発券されない予定だった」

「偽造か」

「いいや。どういうわけか、正規の手順で発券されてる」

 

 3人のみならず、知樹でさえその言葉の意味がわからなかった。




◆覆せぬ圧倒的実力差───!
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