2021年8月2日ICT12:50 インドネシア共和国バリ州 FJW第14甲板『Lido』
ユニット。特定の名を持たぬ、その場その場で
知樹はその名を聞いたことはなかったが、そういった性質の部隊であろうと推測はしていた。
「で、そうだと言ったら? 俺らを始末するのか」
「いいや。とっ捕まえて連れ戻す」
敏明のその言葉は、事実であり嘘でもあった。
彼らの任務は『糸井直の無力化』。周辺含めて拘束・送還は最上の結果だったが、達成にはあまりにも多くの障害があった。
故に、それは達成できずとも構わない努力目標。
こういった非正規作戦で使われがちな無力化という言葉は殺害を指している場合が大多数である。
それを現場の敏明たちは拒否しているのだ。
「その言葉を素直に信じるとでも?」
「信じる信じないは自由だが、こっちは質問に答えたんだ。答えを聞かせてほしい」
照仁は敏明と、その後ろで控える健司の表情を見て確信した。
───こいつらは、嘘を言っていない。いや、願っている。
こんな場で戦っては、事後処理が面倒になる。それにどんな手勢を潜ませているにしても、やりあって死にたくはないはず。
深読みして存在しない裏を読み取っていたが、偶然にも分析に成功していた。
───そしてやり合いたくないのは、こっちも一緒だ。
この仕事は既に依頼者に対して不義理を働いている。
契約を反故にしているレベルの、強烈な不義理だ。
下手に目立てば、ここを切り抜けたとしても行く先々で報復が待っている。
それは、ご容赦願いたい。照仁は困ったように視線を逸らすふりをして、離れた仲間に合図を送った。
「ご存じの通り。俺は越智照仁。元空挺だ。何の御用で? 令状でもあるのか?」
「いいや。ただ、東大核物理学博士、糸井直氏の消息を知る可能性の高い人物と聞いてね。話を聞かせてもらいたい」
この期に及んで、令状を発行していない。
やはり日本人が、日本の最高学府が中性子爆弾開発に関わっていると表沙汰にしたくないのだろう。
「秘密部隊なら、令状なんてお構いなしか」
「話を聞くだけだ」
「それは、ご遠慮願いたいね」
離れた仲間に再び合図を送る。
すっと席から立ちあがると、音もなく敏明たちの背後へ回って歩み寄る。
そして懐に手をやると───
「そこまでだ」
音もなくとは、こうやるものだ。
そう言わんばかりに、仲間の腕が何者かによって取られた。
「なにっ」
銃を掴まんとしていた腕は背中で極められ、ギリギリと関節が悲鳴を上げる。
続いて瞬きする間に拳銃は現れた男───早瀬亮によって取り上げられた。
───気配が、まったくないっ!?
一連の動きに知樹は顔をこわばらせた。
間違いなく、自分が最後に見たときにはそばにいたはず。
その気配は声を発するまで一切察知できず、そこにいるものと思ったままだった。
先ほど自分が格闘で軽くあしらわれた件といい、亮の技術はまさに格が違うと評さざるを得なかった。
知樹だけではない。照仁をはじめとした面々も例外ではないのだ。
「ひどいじゃないか。こっちは話がしたいだけなのに」
「……信じられると思うか? 俺たちを、あの人を裏切った
ようやく照仁から余裕という殻が破れ、本心が飛び出した。恐らく拳銃を持つのはこのひとりのみで、他は丸腰なのだろう。
亮が拘束した照仁の仲間を座らせると、敏明は口を開いた。
「気持ちはわからんでもない。だが、やり方が悪すぎる。あの人、幕内和馬もな」
「正攻法では世界を良い方に変えられないっ」
「北朝鮮に核兵器の技術を渡すことが、問題の解決になると?」
沈黙。
一見すれば痛いところを突かれたため、という見方もできるが敏明の判断は違った。
───このだんまりは、もっと悪い事を隠してるやつだな。
聞き出した方がいい。敏明は糸井直の所在は後回しにして、この話題を突いた。
「なあ、北朝鮮に渡して何がしたいんだ? 北朝鮮のシンパだとは知らなかったぜ」
「違う! あんな連中は踏み台だっ!」
「何の踏み台なんだ?」
「越智さんっ、話しすぎだっ」
立ち上がろうとした照仁の仲間を、亮が視線で制した。
彼は一線を画する格闘技術を持っているだけでなく、拳銃を即座に撃てる状態にある。
今最も長い棒を持っているのは、彼なのだ。
今無言を決め込めば、自分と組織が北朝鮮の手先扱いされる。
プライドで生きている照仁からすれば、そう記録されるのが我慢ならないのだろう。
「国が
「すごいことを言うな。じゃあ各々が核のスイッチを見せびらかす世の中になればいいと?」
「いいや。国家のような無知蒙昧な人間が統率を取る欠陥共同体よりも、もっと
話が読めてきた。
とどのつまり、彼らは北朝鮮へ
「スイッチを持つ資格があるのは、幕内和馬だと? シータグループだと?」
「あの人以上に心があり、知的な人間はいないっ」
「知的かどうか、怪しいもんだな」
健司が挟んだ茶々に、照仁達と知樹の視線が刺さる。
その視線に気付いたうえで、彼はあえて付け加えてみせた。
「ロシアは真の友人だの、共同してアジアを支配しようだの。馬鹿の妄言にもほどがある。あんな不毛の地だらけのボロい国じゃ、中国どころか韓国・北朝鮮に勝てるかも怪しいってのに」
「マッケンジー。ちょっと黙っててくれ」
敏明にたしなめられると、健司はわざとらしく肩をすくめた。
「失礼。事実を指摘してしまった」
「こいつっ!」
幕内和馬派の面々が怒りを露にするが、亮は未だ状況を見守っている。
立ち上がって不満と怒りを表明するのが精いっぱいである。
「なあ。北朝鮮はロクな国じゃないが、バカの集まりでもないんだ。そんな動き、読まれるぞ」
「やってみなければわからないだろう?」
「相手を侮るな、ってのは幕内さんから聞いてなかったか?」
敵を侮るな。和馬が頻繁に発していた言葉で、知樹もそれはよく覚えていた。
しかし同時に、北朝鮮など核で威圧し、人々を誘拐する卑劣な三流国家。弱小腐敗違憲軍たる自衛隊ですら人員を集めれば制圧もたやすい。
そう豪語していたのも記憶に新しい。
蔑んでいる北朝鮮から供与を受けていた科学者を拉致し、その成果を横取りする。
そんな卑劣な計画に尊敬していた人々のひとりである越智照仁は関与していたのだ。
知樹はまた強烈な頭痛を覚えていた。
事実が歪んでいく。違う、知樹の知る事実が歪んでいたのだ。
もう、逃げ出して落ち着きたい気分だった。
「いいか。北朝鮮ってのは、あんたらが思ってるよりは強い国だ。もし、糸井直をそっち側……ロシアか? そこに連れて行ったとしよう。連れ戻されない保証はどこにある?」
「それはこっちも同じことが言える。日本に連れ戻して、また拉致されない保証がどこにある? 拉致被害者は、未だに帰ってきていないんだぞっ」
「だが、北朝鮮はこんな重大な事案であんたらに頼った。能力がないとまでは言わないが、外注するということは自分達では確実に成功させられる保証がないという証左だ。シラを切るためにな。それに、北朝鮮の拉致はもう50年も前の話だ。今と状況は随分と変わってるんだ。もちろん、いい方向にな。最近も拉致されたなんて話、聞いたか?」
でも、ダークステートなら。
そのひとことで解決できると考えるほど、照仁は愚かではない。
北朝鮮の拉致は当時のメディアは右翼の陰謀論などと扱っていたが、今やどの新聞の一面でも扱われる話題である。
世間の注目度も高く、今も起きているとしたら隠されるとは思えない。
いっそ狂って、そうだそうだようへへのへ。
などと叫べれば、楽だったかもしれない。
「……ダークステートの誘拐も防げていない連中が、何を言うっ」
照仁の部下のひとりがそう叫んだ。
躊躇いが伺える声色、狂い切れていない苦し紛れの反論である。
これは、敗北宣言に等しいものだった。
「やめろっ。これ以上は、見苦しくなるだけだ。あの人だって、ダークステートなんて本気で言ってない」
「は?」
知樹がついに声を発した。
少なくとも彼の知る限り、父は本気でDSの脅威を説き、世界をその脅威から解放するべく戦っていたはずだ。
それをまさか、父を班長と慕う人間が陰謀論と
「ダーク・ステートは本物の脅威だ。親父だって、そう言っていた」
クソ面倒で醜怪な内ゲバが発生した瞬間である。
「あー、知樹くん。今は落ち着いて……」
「落ち着いてられるか! 俺は、俺はっ……」
頭が混乱している。
果たして、自分は何が言いたいのか。何がしたいのか。
記憶の中の父の言葉を肯定しようとしていたが、わからなくなっていた。
自分の知っていた現実と、自分の知る現実に乖離がある。
それを認めざるを得ない状況に追い込まれていたのだから。
疼痛が脳内で走り回る。
見えない、見ないようにしていた現実があまりにも苦痛すぎた。
そんな現実から逃避させてくれたのは、また別の現実だった。
どんっ。船内に振動が響き渡る。
敏明たちの視線が照仁達に向いた。
「違う、俺達じゃない」
「ならこれは……?」
爆発音に続いて、外から悲鳴とそれをかき消すような銃声が轟いた。
◆この爆発は───?