2021年8月2日ICT13:57 インドネシア共和国バリ州 FJW第14甲板『Lido』
偶然にも金属の雨を無傷で生き延びた者には、両手を挙げて投降する権利を与えられた。
しかし不幸にも弾を受け、床に伏せる者には慈悲の一撃が下される。
ハンナと文華は前者だった。
指先ひとつの力加減によって制御された暴力を指向されたふたりは、有無を言う暇さえなく多くの乗客と同じく広場の中央に集められた。
その最中でも、乗員や逃げようとした乗客の命が奪われていく。
たった一歩、道から逸れるだけであの世へと転落する一本道がそこにあった。
「目的は……? あの人たちの、目的はなに……?」
文華は誰かに尋ねた。
隣で座らされているハンナへ向けたものにしてはその言葉は小さく、視線も虚空へと向けられていた。
これは特定の人物に対する問いではない。恐怖が彼女の思考にすらなっていない、思い浮かんだ疑問を口からあふれさせたのだ。
その性質は思考をしている体での現実逃避に近かった。これは何の解決にもならない。
とはいえ無理もない。単なる一般人がこの世に現出した地獄へと放り出されたのだから。
もしあの事件で知樹に向けられた殺意を、知樹の
ハンナもまた、文華と同じく思考すらできない葦となっていただろう。
───連中は船の人たちを……問答無用で殺しまわってる。助けるのは、難しい。
先ほどから聞こえる銃声の大多数は、店から引きずり出された従業員や船員の命を奪ったものだった。
これは計画的に行っている。銃弾をものともしないスーパー・ヒーローでもない限り、積極的に助けるのは無理だ。
一方で、自分達乗客は今のところ抵抗や逃亡を試みなければ殺す気はないらしい。
敵───仮にテロリストと呼称する───は乗客を広場に集め、二種類に分別している様子だった。
分類の定義を彼らに聞いたわけではないが、眼が見えるのであれば明白だ。
白人と、それ以外。
今のところそれ以上はしていなかったが、次のステップにはあまりいい想像が浮かばない。
「おいっ、なんでこんなことをするんだっ」
「黙れっ! お前はこっちだ!」
白人の男が勇ましく口で反抗した。その顔立ちを見れば、ハンナには一目見てスラヴ系だとわかった。英語の訛りもロシア語圏のそれに近い。
「俺はロシア人だぞっ、こんなことをすれば……!」
「ロシア人? それはちょうどいい!」
疑問の言葉が出る前に、銃弾の返答が飛び出した。
腹部を貫かれ、勇ましいスラヴの男は床に倒れ込む。
即座に治療を受けなければ、命が危うい。しかし、この状況では難しい。
それが狙いなのだ。
即死などさせない、苦しめて殺してやる。
そういう
「いいか、我々はアメリカ人とオーストラリア人のダーク・ステートは嫌いだ。だがっ、連中と大差ないロシア人も同じくらい嫌いだ! 以後、気を付けるように!」
これは
ダークステートといえば、陰謀論代表みたいなもの。アメリカをはじめとした西洋列強を裏で操る外宇宙人と、それに従う権力者。
古い日本のアニメのような、安っぽい世界観を信じる人間が口にする概念である。
それを敵とする連中の行動なのだ。あやふやなのは言うまでもない。
わずかに収集できた情報だが、ハンナは自分達の置かれた状況が下手なテロリストに拘束されるよりも危険なものだと把握した。
どんな存在でも絶対悪にするような連中が、銃を振り回して人間を選別しているのだ。
この先、絶対にロクな事にならない。そう確信できた。
───どうにか、どうにかしないと! この状況を、脱しないと!
集中し、周囲へ視線を巡らせる。
現実逃避ではない。情報集め、状況を打開する何かを。
叶うならば、あの時に現れた、あの
二、三回見渡して気づいた。
飲食店街の方向で、見張りがひとり消えている。
ほんの数秒しか目を離していなかったのに。
───マック、あなたなの……?
確証は何ひとつない。
しかしもし、彼がいるとしたら。その時は自分に知る術はないだろう。
あるとしたら、それは彼の残滓が残っていた時だけ。
もしあれが、死神の足跡ならば。
一縷の望みにすがるように、ハンナは呼吸を整えた。
死神の通り道を増やすために。
◆生き残るため、命をベットする───!