2021年8月2日ICT14:09 インドネシア共和国バリ州 FJW第14甲板『Lido』
「ねえっ、あなた達の狙いはなんなの?!」
「はっ、ハンナっ……」
突如として親友の発した言葉に、文華は戦慄した。自分自身が状況を理解し切れず、呆然としているのはさすがに自覚していた。
しかしそれでも、この行動は考えられなかった。
まさか、銃を持って今まさに虐殺を行っている連中に目的を尋ねるとは! それも大声で!
「黙ってろ、白人め!」
「殺すならせめて、目的を教えなさいよ! 死んでも死にきれないわ!」
文華が止める隙もなく、震えているハンナの声はどんどん音量を増していく。
それに伴って、上から向けられる視線も増える。銃口が向いていなかったのは、ちょっとした奇跡かもしれない。
最初は億劫そうだった虐殺者の口調も、徐々に苛立ちの色が濃くなっていく。
「いい加減にしろよ白人女っ、殺されたいのか!」
「どうせ遅かれ早かれ、殺すんでしょうっ?!」
問答の最中、ついに状況が動いた。
我慢と怒りが限界に達した男が、ハンナを小銃の銃床で殴りつけたのだ。
何の訓練も受けていないただの少女が、数キロの質量を伴って行う殴打に耐えられるはずがない。
ハンナの体は床に叩きつけられた。この暴力に異を唱える者はどこにもいない。
寄ってきた3人の男たちは固い表情のまま、倒れた彼女に歩み寄った。
次に何をするのかは、明らかだ。
「やめてっ!」
我慢の限界に達していたのは、文華も同じだった。
無慈悲に人が殺されて、今度は親友の後輩まで殺されてしまうのか?
これは危険な行為だと理解している。しかし、それでも。
やらずにはいられなかったのだ。
「白人を庇うつもりかっ!」
「アジア人でも、同罪だぞ!」
死刑宣告にも近い、恐ろしい言葉が投げかけられる。
拍車を鳴らしながら近づく死の気配に、一般人に過ぎない文華の脳内は恐慌していた。
それでも、彼女は自分を貫いた。
倒れたハンナに覆い被さるようにして庇う。傍目に見て滑稽にしか映らないであろう姿勢だったが、これが彼女に出来る精一杯だった。
「やめて」
口の中を切ったのか、彼女の言葉には血の混じった唾が混じっていた。
それでも、止めるわけにはいかない。
「引きはがせ! こいつも
「……ッ!」
きっと、殴る蹴る以上の事をされるのだろう。
恐ろしいが、それでも───
「大丈夫だから。フミフミ」
状況は、彼女達の背後で動いていた。
音もなく、誰も見ていないところで。
ひとつひとつ、丁寧に命が失われていた。
闇から伸びる、影によって。
影は闇と闇を行き来し、不意に光へ手を伸ばし、暗がりへと引きずり込む。
徐々にその動きは大きくなり、大胆になった。
彼らがその動きに、周囲から銃声が消えていたのに気づけなかったのは。ひとえにハンナが注目を集めていたからだろう。
そして影の手は、ついに暗がりのない場所まで伸ばされた。
影───幕内知樹はハンナの顛末を見守っていた歩哨に接近すると、音もなく刃をその腎臓に二度突き立てた。
衝撃の直後、魂が体から離れるほどの激痛が。二度目の刺突で血と共に魂を完全に体の外へと追いやる。
「あっ……わっ……!」
声にならない呻きを漏らす乗客に対し、人差し指を唇の前にやって静かにするよう合図する。彼らは何度も首肯した。
さすがにこの状況で三人を分散させることは不可能。
銃撃で排除するのが妥当だが、ハンナと文華との距離が近すぎる。巻き込まないためには、どうするべきか。
多人数を一度に排除するならば爆弾、即ち手榴弾だろう。
とはいえ、この状況下で破片を撒き散らす手榴弾を使うほど、知樹も血迷ってはいない。
しかし馬鹿と鋏は使いようと言う。手榴弾と人質という組み合わせにおいても、使いようはあるのだ。
滑り止めの細かい溝が彫られた、緑色の物体が床を滑るように投擲された。
手榴弾。信管の安全を示すレバーは、そこにない。
「なにっ」
突如として視界の隅に現れた物体に、彼らは視線をやった。
それがレバーのない手榴弾ときたら。訓練を受けていればそれはこの状況に対してあまりにも想定外で、同時に死を確信するものだった。
「うわっ!」
「手榴弾っ」
数秒で爆発し、自分達を殺傷する鉄線が撒き散らされる。
どうにか死から逃れるため、3人の男たちは文華とハンナから転がるようにして離れた。
それこそが、死のトリガーであると気づかずに。
3発の銃声が響き、3つの命が奪われた。
当然、手榴弾が爆発する事はない。
手榴弾は構造上、大まかにふたつに二分できる。
爆発させるための炸薬・破片用の鉄線を収める外殻で構成される弾体。
炸薬を爆発させるための
これらが組み合わさって初めて手榴弾は機能するのだ。
そして安全ピンとレバーが外れると時限信管で爆発する手軽さの都合上、無力化にも手軽さが求められる。
そのため、弾体と信管はクルクルと回すだけで分離・無力化が可能なのだ。ちょうど、電球を付けたり外したりするのと同じ感覚である。
こうすれば、銃で撃たれようが火であぶろうが、弾体の炸薬は起爆しない。
当然、投げつけてもその質量以上の殺傷能力は発揮しえないのだ。
人という生物は物体の認識を色とシルエットで行う。
故に、訓練を通じて手榴弾の威力と手軽さを知る彼らはレバーの見当たらないそれを目の当たりにしてパニックを起こし、自ら奇襲の隙を生んでしまったのだ。
閑話休題。
静まり返った広場で、知樹はふたりに歩み寄った。
「マックっ、マックゥッ! あなたならやってくれるって、信じてたっ」
両手を広げ、ハンナは知樹を迎えた。
対する彼の方は、虐殺者たちに向けていた目よりも鋭いそれを、彼女へ向けた。
「二度とするな、あんな真似」
「でも、こいつらの注目を集めたでしょ」
そう言うと、物言わぬ体をハンナは蹴りつけた。
───ハンナって、こういう事するんだ……
文華はひそかにドン引きした。
「やめろ。仏を足蹴にするな」
「なんで? 私たちを、殺そうとしたんだよ?」
「だとしても。連中と同じ、畜生に堕ちる必要はない」
間違いなく彼らはシータグループで訓練を受けた───かつて父と共に訪れて同じ釜の飯を食った、パプア独立軍の人間だ。
言葉は大して交わしていないが、立ち振る舞いで確信した。
彼らは変革のために戦う光の戦士。
変革は最小限の犠牲で達成される。それが民間人を虐殺するはずがない。
これは、何かの間違いに違いない。しかし───
「……とにかく、無事でよかった」
「そう。それでいいのよ」
大胆というか、なんというか。
自分の存在と助けを確信したうえでの行動なのは確かだが、無謀が過ぎる。
もう少し到着が遅ければ、撃たれていたかもしれないのに。
もしや、兄妹の事件でその辺りの危機管理能力が壊れてしまったのではないだろうか。知樹は頭の片隅で分析した。
「ところで、マックは状況を把握できてるの?」
「多少はな」
飲食店街で聞こえてきた声では、放送局という単語が耳に出来た。
船内放送局はもう少し上のデッキにある。そこへ、連中は向かった可能性が高い。
最も可能性が高いのは船の操舵を制御する
遺体から拳銃と、無線機を拝借する。電波を介した声がちょうど流れてきた。
「緑へっ、増援を求む! 放送局で……うわあああっ!」
何やらすごい破壊音。銃撃や爆発は聞こえない。
敵の状況は芳しくない様子ではあるが、通ることに変わりはない。
「俺は放送局に向かう。ふたりは、絶対に無茶をするなよ」
「ええ。あなたがいないなら、しないから」
ハンナは真摯な表情でうなずいた。文華もわからないなりに肯定する。
こういった状況で移動手段としての階段は、あまりよろしくない。容易に待ち伏せが可能で、死角も多くなるためだ。
向かう先は、エレベーター。もちろん、さらに待ち伏せが容易なカゴに乗るつもりはない。
エレベーターは船内放送局のある第6デッキで停止していた。この状況で、微塵も動かない理由がわからない。
あるとすれば───よくない想像しか浮かばない。
「なあ、あんた」
その時、知樹の背後から語り掛ける気配があった。
中年の白人で顔に殴られた跡のある男だったが、奪ったであろう小銃を抱えるその姿勢に戦意が萎えている様子はない。
「上に向かうのか?」
「連中は放送局と……多分、ブリッジが目的だ」
「なるほど、情報発信と制御の掌握か。どうやって行くんだ?」
「シャフトの梯子で昇る」
「この状況じゃ最適解だろうな……手伝おう」
白人男と共にエレベーターの扉をこじ開け、そっと上方向を覗き込む。
上の階層で停止するエレベーターから、光の線が伸びている事に気づいた。
さらに、悲鳴と共に落ちてくる赤い水滴。想像は肯定された。
「くそっ、上はひどい状況だろうな」
「それでも行くしかない」
「ついて行きたいところだが、俺は
彼の右足を見ると足首が細く、金属製だった。義足なのだ。
その足で長い時間梯子を昇るとなると危険だ。
「この階の生存者を頼む」
「もちろんだ。俺はジム・ハウス、元
「俺は……」
その時、知樹は迷った。
この事件はダークステートの仕組んだ偽旗作戦───だと、知樹は信じようとしていた。
だとすると、潰すのに躊躇いはないが、記録には残らない方がいい。ましてや、相手はダークステートの親玉、アメリカ人だ。
エレベーターシャフトの梯子をつかむと、知樹は言った。
「
「なるほど。オッケー、ミスター・
ジムはサムズアップを知樹に贈ると、生存者たちをまとめるために広場へを戻って行った。
「……サイファー?」
CIPHER。ラテン語でゼロを意味し、英語では暗号を意味する言葉。
故に、
素で厨二的センスを持つ知樹は、内心でとってもゾクゾクしていた。
◆今は真面目な話やぞ───