2021年8月2日ICT14:29 インドネシア共和国バリ州FJW第5甲板『Audience』
劇場とカジノ、そして船内放送局が備わる第5甲板。
緑の任務は甲板の制圧───という暗号で、実際には放送局の制圧だった。
放送局を掌握し、設備を接収して自分達の目的と能力を全世界に知らしめる。
そういう目的である。
しかし、トラブルが起きた。
ひとつは、舷門の開放及び人質の確保を目的としていた黒からの連絡が途絶したのだ。
第14甲板には船の乗り降りに使う舷門と人工が密集しやすいアミューズメント施設や商店街があった。
もののついでで交渉・攻撃避けの人質も確保しようと考えたのだ。
想定される状況では、保安員は非武装。
全員が軍用自動小銃で武装している彼らに勝てるはずがない。
だと言うのに。
何度連絡しても、緊急の周波数と符号で応答を求めても。誰も返答しない。
自分達が使えている以上、無線機の故障は考えられない。
ならば、静かに問題が起きたのだ。
トラブルはもうひとつあった。
放送局の制圧に向かった黒の一団から救援を求むメッセージが届いたのだ。
こちらは、考えられた可能性だ。
設備の接収という目的がある以上、銃器の使用は可能な限り禁じられていた。
その隙を突かれたのだろう。
増援として選ばれたのは、エレベーターでの虐殺を終えた直後のふたり組だった。
「行けって、どっちへ行くんだ?」
「やっぱり、放送局だろう? 近いし」
乗客の亡骸から財布やスマートフォンを奪い、ポケットに収めたふたりは短絡的に目的地を決めた。
抵抗が薄いと想定されていたFJW制圧組には、ブリッジ制圧を任務とした
エレベーターから離れ、数十メートル程度の距離がある放送局へ向かう。
放送局は見物客のために一部を除いて大多数は公開されており、防音設備でしっかりと封をされた壁や扉で隔離されている。
そこから、響くのだ。
まるでそこで地震が起きているかのような、腹の奥底に響く振動が。
無線機からは、哀願が流れてくる。
「助けてぇっ……! 化け物っ……わぁっ……!」
壁が大きく揺れ、設置されていた絵画が落下した。
瀟洒な装飾の花瓶がバランスを崩し、床に中身をぶちまける。
確かにこれは、何かが起きている。
とんでもないことが。
「……下へっ。下の仲間を優先しようっ」
「ああっ。きっと……こいつらは大丈夫だっ」
現実逃避。それが彼らの出した回答だった。
踵を返し、エレベーターへ。
エレベーターは先ほど彼らが命を奪った亡骸によって、扉がつっかえていた。
事実上の無力化をしたつもりだったが、こちらが使う以上は排除しなくてはならない。
「くそっ、邪魔だっ!」
力づくで物言わぬ肉塊を放り出し、第14甲板のスイッチを押す。
障害物で長時間遮った影響か、扉はゆっくりと閉まる。
「ああっ、早くしろよ……!」
もし、放送局で暴れている化け物がこっちへ来たら。
そんな内心が彼を苛立たせていた。
そこで、指導者達の言葉を思い出す。
苛立ちは、死へのゲート。冷静に思考し、行動せよ。
その通りだ。男は深呼吸し、背後にいる戦友に語りかけた。
「なあ、連中に何があったと思う?」
こつっ。何かが自分の足元に落ちる音がした。
視線を落とすと、戦友が奪った財布が転がっていた。
無理矢理ポケットに押し込んでいたから、こぼれ落ちたのだろう。
「おい、なにやって……」
不意に、吹き出す血飛沫が彼の視界を覆った。
自分の顎が固定され、辞世の句を告げる隙すら与えられず。
ふたつの命がこの密室で失われた。
上層階からエレベーターが降りてくる。
第14甲板の生存者達が気づくのに、そう時間は掛からなかった。
「来てみろ、クソッタレ……」
「銃殺隊が待ってるぜ」
ジムをはじめとした、奪った小銃で武装している生存者が降りてくるエレベーターを出迎える。
掲示板の表示が徐々に近づき、やがてモーターが扉を開いた。
「動くな!」
復讐に燃える彼らは最後の理性で人差し指を止め、口を開いた。
しかし、警告すべき対象はもうそこにいなかった。
抵抗した跡のない、物言わぬ屍。
ひとりは首がねじれ、もうひとりは首筋に刃物で。
どちらも一撃で致命傷を受けていた。
表示が正しければ、エレベーターは途中で止まってなどいない。
だというのに、これをやった人物は影も形もない。
逃げ場などない、密室だというのに。
「こいつぁ、一体……」
「う、上だっ」
ジムは真っ先に天井の異変に気づいた。
メンテナンス用のハッチが開かれ、真っ暗なシャフトが顔を覗かせている。
ここから入り、出ていったとしか考えられない。
「あの、さっきの兄ちゃんがやったのか?」
「だろうな……
我ながら、とんでもない人間と同乗したものだ。
生存者達は名も知らぬ恩人に感謝すると同時に、その強さに畏怖した。
◆音もなく、跡もなく───