2021年8月2日ICT14:52 インドネシア共和国バリ州 FJW第5甲板『Audience』
それはまさしく、獅子奮迅の活躍というやつだった。
スンファンはテロリストが一ヶ所に固まったところへソファーを投げつけ、何人かなぎ倒して不意を突いた。
体制を整える隙を与えず、巨体に見合わぬ素早さで接近すると剛腕をこれでもかと振るう。
サンミンの推測通り、テロリストは銃器の使用を躊躇ったのか発砲しなかった。
正気に戻って引き金を引こうとした頃には、もう撃つという暇すらない状況であった。
かろうじて息をしているのが確認できるテロリストたちはスタジオに隅に縄で拘束───スンファンの力がこもった拘束だ───され、床に転がされている。
押収した武装は保安員たちが装備した。3キムもそれに続こうとした。
「待て。お前たちは客だ。客に武装はさせられない」
「言ってられる状況かよ。俺たちだって、一応元兵士だ」
少なくない人数の保安員が突入してきた際の銃撃で死傷し、テロリスト連中が持ち込んだ小銃が余る事態になっていた。
幸いにも3キムは兵役を経験して銃器の扱いも習熟している。
スンファンの主張も理解できたが、信用できる手はひとつでも欲しい状況だった。
「……無理はするな」
「こっちの台詞だ。あんたはいい的になりそうだからな」
スタジオの正面出入り口前で、スンファンをはじめとした保安員。兵役経験のある3キム。
そして、居場所がなさ過ぎてついてきた慶太が集合して話し合いを始めた。
対処しようにも、動くには状況が不透明過ぎる。
外部と連絡して現地当局に通報したが、回線のパンクによって繋がらず。
かろうじて一度つながったが、オペレーターは混乱して「その場に隠れて対応を待て」の一言で途切れてしまった。
船内については、ブリッジに応答を求めても返答がなく、他の部署も状況がつかめず混乱するか、応答が全くないかのいずれかだった。
誰も状況を把握できず、かつ具体的な対策案がないのだ。
この場は、テロリストが主導権を握っている。
そう考えるのが妥当だった。
「応答がなかったのは?」
「第14甲板の飲食店街とブティック街です」
「そこって……姉さんとハンナがいるところだ」
慶太の呟きに、3キムが反応した。
テロリストが場を制圧する前にここはどうにかなったが、仮に支配下に置かれたら。
何が起きるにせよ、無事では済まないだろう。
「打って出ようにも、情報がなさすぎる」
「少なくとも第14甲板とブリッジが攻撃を受けているのは確定だ」
残念ながら、テロリストの使う無線機から流れる言語が堪能な人間はいなかった。スンファンですら、訛りの強いインドネシア語以上の分析はかなわなかった。
「インドネシア語ができるスタッフは?」
「残念ながら、手の施しようがなかった」
彼は突入の時点でバリケードにいた。掃射によって命を落としてしまった以上、頼ることは出来ない。
手詰まりか。歯がゆい空気が流れる。
すると、正面出入り口の扉が動き出した。
一斉に銃口が一点へ向けられる。
「誰だっ!」
扉の向こうにいるものは、状況を察したのか入るようなことはせず返答した。
「114!」
「ファッ?!」
思わぬ数列が登場し、3キムが驚きの声を上げた。
マジでこれを合言葉で使うやつがいるのか。しかし、いるとしたら───
「514! こいつは大丈夫だ!」
サンミンが合図すると、その者は放送局へ入って来た。
幕内知樹。別行動していたはずの男が、この放送局まで現れたのだ。
「まっ、マック……?」
「よう、ケー。無事でよかった」
その姿を見れば、ここまでの道のりが平坦なものでないと想起できた。
腕を見ればおびただしい量の血が───傷は見当たらない。返り血だ───袖を真っ赤に染め上げ、人の通らないところを通ったのか肘や膝は埃で真っ黒になっていた。
そんな状態でも、慶太の友人は事も無げに会釈した。
「よく生きてたな、この野郎! 外はどうなってる?」
「この辺りと第14甲板の……敵は排除した。生存者が場を保持してる。文華先輩とハンナも無事だ」
「よ、よかったぁ……」
未だ予断を許さぬ状況である。慶太もそのぐらいは理解していた。
それでも、彼にとってのヒーローが登場し、解決したのだ。
心にずしりとのしかかっていた不安はすっと軽くなった。
「ほかに敵は?」
船員であるスンファンにとっては、現状は未だ安堵できる状況にない。
鋭い目つきを保ったまま知樹に問い掛けた。
「無線の声を聞く限り、残る敵はブリッジに向かったはずだ」
「わかるのか? インドネシア語が」
「……部分的だ。細かいところはわからない」
その口調から複雑な心境を想像させたが、問いただせるほどの余裕は現状にない。
しかし、やるべきことは明白だ。
「俺はブリッジに向かう」
「ここから先は、
「ブリッジの奴等は……ここいらの連中と違って本物の精鋭だ。返り討ちに遭うぞ」
幕内知樹は、インドネシア語が部分的に理解できると言っていた。
しかしこの発言はどこか、それ以上の情報を掴んでいるように聞こえた。
まるで、相手の正体の目星がついているような。
「連中に、随分と詳しそうだな」
「……」
スンファンの指摘に、知樹は黙り込んだ。この世で最も言葉の短い肯定である。
場に流れた異様な雰囲気には、3キムと慶太も察するものがあった。
「な、なあ。待てよ。そんな、まるでマックが連中の仲間みたいな口ぶりじゃないか?」
「その言葉は、不適切に感じる」
「マック。お前も何とか言えって」
ここまで言われても、知樹は何も言い返さなかった。
ひどく強張った表情で誰とも視線を合わせず、虚空を眺めるばかり。
普段、強い光を持つ彼の瞳からは覇気が失われていた。
「マッ、ク……?」
慶太が耐えきれず、彼の名を呼んだ。
この中で最も付き合いが長い慶太でも、ここまで知樹の動揺した姿を見た事がない。
何か、とても辛い何かがあったのは明白だ。
慶太の声を受けて、ようやく知樹の重い口が開いた。
「俺、俺は……」
かすれた小さな声。
それを、一際大きな、怒声に近い声が遮った。
知樹によって確保されたというフロアの安全を確認に行った保安員である。
彼は血相を変えて放送局に飛び込んできたのだ。
「スンファンっ、スンファンさんっ!」
「どうした、突然」
「そとっ、窓の外をっ!」
放送局は四方を通路に囲まれていて、外に直接面する窓がない。
知樹の言葉は気になったが、ここまで鬼気迫る様子を放置するわけにはいかない。
「行こう。坊主、お前も来るんだ」
しかし、スンファンは事情を知らないなりに、知樹に眠る何かを察していた。
彼からの誘いに、知樹は無言で頷いた。
◆一体何事───?