TUONI ~闇を被った死神~   作:サークル『熊の巣穴』

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2021年8月2日JST17:37 日本国東京都永田町 内閣府本府庁舎特別会議室

 

 たったひとりの核物理学者を排除するために人を行かせてみれば、現地で歴史的なテロの現場に遭遇。

 日本人に限らず、どのような職種にも限らず。まったく想像できない、したくない事態である。

 

 それでも実際にそうなってしまったのだから、仕方がない。

 そして対応している以上、報告もしなくてはならない。

 

 白木知子は憂いを帯びた表情で窓から外の景色を望む。

 北向きで日当たりの悪いこの会議室の窓からは、国会議事堂を見下ろすことができる。

 もっとも、今年は6月に閉会しているのだが。

 

 退屈しのぎに思考ゲームをしていると、待ちわびていた電話が鳴り響いた。

 それをワンコールで手に取る。

 

「はい。調査室の白木です」

「どうも白木さん。僕です」

 

 人好きのする、少々活舌の悪い男の声。

 これだけを聞けば、どこの中年男が掛けてきた間違い電話だろうかと疑うだろう。

 しかし、声だけで侮ってはいけない。

 

 なにせ相手は一度政権をなくしはしたものの、二度目の就任以来10年以上この国の宰相を務めている男なのだ。

 

「お久しぶりです、総理。早速ですが、把握できた状況を説明いたします」

「相変わらず、お話が早くて助かります」

 

 端的に述べて、このテロに日本人が巻き込まれている───どころか、犠牲になった可能性は決して低くなかった。

 総理は第一報を報道陣の前で説明はしたが、報告できたことは少ない。せいぜい「日本人で犠牲になった方がいる可能性が高い」という一言ぐらいなものである。

 それすらも報道は「確かな情報もないのに犠牲になったとは何事か」などと、批判的な論調を向けていた。

 

「現地に停泊していた客船の犠牲者は船員が80名以上、乗客は50名を超えると報告が上がっています」

「陸……ベノアの方は?」

「そちらは不明ですが、報告によると複数の爆発と銃声が確認されています。ネット上では、降伏した観光客が射殺されている映像も」

 

 少なくとも、FJWだけでも100人以上が犠牲になっていた。

 東南アジアに旅行へ赴く日本人は長期休暇シーズンなのも相まって少なくない。

 これで犠牲がないと考えるのは楽観視が過ぎるというものである。

 

「で、巡航ミサイル……ですか?」

「はい。犯行声明の際に配信した映像を防衛研究所と信頼できる有識者に確認をお願いしました。高確率でロシア製のコンテナ発射型巡航ミサイル『クラブK』であると結論を出しました」

「参ったなぁ、それは。どうしようねぇ」

 

 総理は日本国内でどう見られているかはともかく、少なくとも諸外国からは国際協調路線とみなされている。

 当然、北の隣国ロシアとも過去のいざこざを乗り越えて新たな時代を築こう。

 そんな論調で外交を続けてきた。

 

 テロ組織がロシア製の、それも簡単には手に入らないであろう巡航ミサイルを手にし、民間人の虐殺に用いた。

 これがもし、ロシア政府の意に沿ったものであるならば。

 今までどのように接し、どのような絵を描いていたとしても、今後は付き合い方を考え直さなければならない。

 

 もっとも、意に沿ったものでなければ。例えば、強奪ないし横流しされたものであれば。

 それはそれで、政府および関係者の無能という事で、別な問題が生じるのだが。

 

 ともかくロシア政府は今まで無茶を繰り返していたが、今回こそは度を越えていた。

 今後各方面が頭を悩ませることになるだろう。それは少なくともユニットの面々が下されている現状の命令ではない。

 

「ベノアの件は了解しました。で、糸井さんの件をお尋ねしても?」

「糸井直ですが、どうやら護衛役も現在位置を把握できていなかったらしく……」

「テロに巻き込まれた可能性があると?」

「可能性としては」

 

 口は多ければ多いほど、漏れる可能性が高まる。

 しかし情報がなければ、いくら口があっても漏れることはない。

 越智照仁はそう考えて、あえて一切の護衛もつけずにFJW内部であれば自由に歩き回っていいと指示していたのだ。

 

 この指示にはふたつの意図があった。

 

 今回の旅の行く末には北朝鮮───厳密には、シータグループの制御下がある。

 まともな世界で自由に振舞えるのは、どちらへ行くにせよ最後の機会のようなもの。であるならば、最後の晩餐をさせてやろうという冷酷な連中なりの恩情である。

 

 ふたつ目は、そもそもシータグループは日本が線を踏み越えて糸井直を始末または連れ戻しに来るとは考えていなかったのだ。

 北朝鮮もまだ彼らの横取りには気づかず、糸井直本人も自分を巡って争奪戦が始まっているとは思ってもいないのだ。

 

「なるべく、無事に連れ帰ってもらえるといいんだけれど」

「現場の要員にも、そう努力するよう厳命してあります」

 

 知子は心にもないことを言った。

 この総理大臣はまあ、心やさしい人間ではある。

 しかし一方で、そのやさしさのために要員の命を危険には晒せないのだ。

 

 本音を言えば、糸井直のような金に目のくらんだ売国奴のクズなどテロに巻き込まれて魚のえさにでもなっていればいいと思っている。

 それはそれとして、上からの指示であれば努力目標として設定はする。表立って反抗もしない。

 そういうものである。

 

「それじゃあ、よろしくお願いします。シータグループの専門家さん」

「はい。お任せください」

 

 総理も人の好さだけで今の地位に就いたわけではない。

 さりげなくかけられた圧力に表情を強張らせながらも、受話器を降ろした。




◆理想と現実の静かな衝突───
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