2021年8月2日ICT17:52 インドネシア共和国バリ州 FJW周辺
時が迫り、状況が動きを見せ始めた。
パプア独立軍の戦闘員が乗り込んだ多種多様なボートがFJWに接近し、各々が持つ
決断を迫るための威圧。
そして、受け入れられなかった時のための下準備。
「マック。ブラボーの始末は任せたぞ」
「ああ。任せておけ」
サンミンの問いに、知樹は力強く頷く。
すると、甲板にいた面々は命をなくしたパプア独立軍の面々を海面に放り投げた。
ボートの様子を伺えば、明らかに彼らは動揺していた。
圧倒的優位がある自分達が威圧する側であると確信していたが、まさか逆に威圧される側になるとは。普通は想像しない。
ボートでひとり立ち上がり、英語で叫んだ。
「お前たちっ、一体何をしている?!」
その問いに答える事をせず、力なき肉体が海面へ叩きつけられていく。
彼らは内々で怒鳴り散らしている様子だった。大方、仲間の死体を辱められて命令違反で攻撃を始めるか始めないか。
そんな対立を始めているのだろう。先ほどまで自分達は、力なき人々の命を弄ぶ側だったのにもかかわらず。
各々の喧騒が広がる最中で、海中に投棄されたふたつの死体。
その死体が静かに海中へ没した瞬間など、誰も気に留めなかった。
サンミンがうまく放り投げてくれたおかげで、知樹はうまく着水の衝撃を和らげながら海中に飛び込めた。
いくら水が着水の衝撃を和らげてくれるといっても、高度が高ければ人体が潰れる程度の衝撃は受ける。
着水する瞬間の姿勢はとても大切なのだ。
知樹から少し遅れて亮も海中へやって来た。
羽織っていた敵の衣服を脱ぎ捨て、抱えるようにして隠していたリブリーザーを口腔へ押し込む。
ウェットスーツにモールハーネス姿になったふたりは目的地であるベノアへ泳ぎ始めた。
いくら海中とはいえ、海中を泳ぐ何かを目視するのは難しくない。
古い時代、磁気探知機や吊り下げ式ソーナーのない第二次大戦中の対潜哨戒機は海面付近まで浮上してきた潜水艦を目視で発見するのが任務だったのだ。
当然、これは人間大のサイズであっても変わらない。
可能な限り深く潜り、水底を這うようにして泳ぎ進む。
水中において、看板はもちろん目印となるものなど一切ない。感覚で進んだ距離を測り、頭の中の地図と方位磁石を照らし合わせて現在位置を予想するのだ。
海面に出て確認するのは危険だ。
陸地のどこに目があるかわからない。発見されれば警戒は強まり、陸に上がる事すら困難になる。
かつて同種であった魚と一体となり、陸へ上がる進化の瞬間まで耐えなくてはならないのだ。
泳ぎはじめて20分が経過し、亮と知樹の位置感覚に一切の狂いがないことが明らかとなった。
目的地はあらゆる船が接収されて空になった小型ボート用の波止場。
FJWから様子を一望できたが、人のいる気配が存在しなかったため上陸地点にはもってこいと判断されたのだ。
波止場なのだからもちろん、陸へ上がるための梯子も用意されている。
辺りを見渡して気配がないのを確認すると、知樹は手を伸ばした。
そこを亮の腕が制した。
ここは水中で、かつリブリーザーを咥えているのだから、当然ふたりは声を発することは出来ない。
邪魔をされた知樹は視線で非難したが、直後に自身の誤りに気づいた。
人の気配、恐らく二つ。
水中では会話の内容を聞き取れなかったが、パプア語で「撃つ」だの「殺す」だの、物騒な単語が聞こえて来た。
完全に油断している、パプア独立軍の人間だ。
亮の方へ視線を戻すと、彼は消えていた。周辺へ視線を巡らせるも、その姿はない。
───まさか、裏切ったのか?!
既に気配は水中から目視できる範囲まで接近していた。
相手の視界にも入っているだろう。見つかっていないのは、水中でじっとしているからだ。動けば発見される。
そして、動かずともいずれ───
思わず知樹は息をこらえた。
呼気はリブリーザーが吸収・循環してくれるため、呼吸をしても呼気は漏れない。
それでも、ほぼ反射的に気配を殺してしまったのだ。
───どうする。相手がひとりならまだしも……
相手は恐らくふたり。片方を静かに仕留めたとしても片割れが騒ぎ出す。
この状況下で銃声は珍しくないかもしれないが、命を賭ける事になる。
そして時間を掛ければ掛けるほど、FJWにいる人々が危険にさらされるのだ。
───やるしかないっ。
知樹は海底に足を付けてぐっと力をためる。
そして、勢いよく海面に向けて跳ねた。
「わっ?!」
驚愕した顔の男。彼の持つAKをつかんだまま、海中へと引き込んだ。
教練通り彼は
互いが抱き合うような距離感では、銃はかえって使いづらくなる。
その状況下で最も強い武器は小さくも鋭いナイフである。
海中へと引きずり込んだ知樹は素早くダガーを抜き、首筋を切り裂いた。
訳も分からず呼吸と声を奪われ、そのうえ血も失う。その生は数秒と経たずに失われていった。
間髪入れず知樹はAKの引き金に指をやった。
片割れを殺されて黙っていられるほど、彼らは臆病ではない。即座に反撃しようとするだろう。
海面に照準し、その瞬間を待つが───どうにもおかしい。静かすぎるのだ。
困惑しながら襲撃の時を待っていると、歪んだ空気の世界に真っ黒な影が現れた。生物的ではない、人工的な黒。
状況を察した知樹は海面から顔を出した。
「ボサッとするな、次へ行くぞ」
同じくウェットスーツに身を包んだ早瀬亮。
見捨てたわけではなく、別ルートから敵に迫っていたのだ。
「計画があるなら、伝えろよ」
「でかい口を叩くくらいなら、このぐらい合わせろ」
梯子の先から差し伸べられた手を、知樹は握り返した。
◆潜入開始───!