2021年8月2日ICT19:22 インドネシア共和国バリ州 ベノア市街地
人の気配が絶えた住宅の塀を素早く乗り越え、身を隠す。
この辺りの塀はあまり高くなく、立っているだけでも肩のあたりが露わになってしまう。
「俺が罠を仕掛けるとしたら、そろそろだ」
もう二、三軒越えればホテル敷地に辿り着くという頃。
目標への移動は好調だったが、だからこそ罠を仕掛ける価値があった。
上手くことが運び過ぎているのならば、敵の罠に陥っている可能性が高いのだ。
今回はその罠にこそ突破口があるのだ。
知樹が塀越しに警戒すると、亮がそこをヒョイと乗り越える。
周囲の警戒を任せて罠の有無を確かめ、慎重に敷地へ侵入する。
「いいぞ、来い」
今度は亮に警戒を任せ、知樹が前に出る番だった。
人がふたり通れるかも怪しい狭い道を横切り、塀を乗り越える。
そこで知樹が気付いた。
家の軒先にワイヤーのようなものが結ばれている。
「印だ。罠があるぞ」
「キル・ゾーンか」
「……多分、設置を指示したのは知ってる奴だ。俺が先導する」
暗い樹木に視線を凝らせば、枝葉の合間に缶で作られた鳴子が並んでいる様子が見て取れた。
しかし、怪しい。
どれもこれもただ中身を空けて鳴子にしただけで、パッケージは黒く塗りもせずにそのままで、中には月明かりで明るく反射しているものもあった。
庭の片隅を見れば、缶の中身と思わしき異臭を放つ腐敗物が積もっていた。
このトラップからは、偽装しようという意思を感じられない。
「あの鳴子は間に受けるな。本命じゃない」
では、本命とは何か。
正体は、辺りに漂う腐敗臭ではない異臭───便臭にあった。
中世から用いられてきた天然由来の猛毒、尿や便を用いたトラップ。
計画のトラブルから長期化を想定し、罠の材料を現地調達して拵えたのだ。
「この線はすべて、鳴子には繋がってない」
恐らく元来の想定は、特殊部隊ないし軍隊の強襲だったのだろう。
即座にワイヤーと鳴子が発見され、音を鳴らす程度ならば恐るるに足らずと進んだところに───
先導する知樹が茂みの中に線と罠を見つけると、それを指差した。
「これだ。絶対に作動させるな」
斜めに鋭く切り落とし、真っ黒に染め上げた竹槍の束。排泄物のソースを添えて。
線に触れると抑えられているこれが解放され、飛んで来るというわけだ。
「手榴弾の類は見当たらないな」
「俺の知っている奴だったら……奴は元シャン州軍で、ジャングル戦闘の専門家だ」
「シャン州軍……ミャンマーの武装勢力?」
ミャンマーでは素行の悪い軍事政権から一応の民主化がなされていたが、それで平和が訪れたかというと、そうでもない。
政府の力が及ばぬ地方では未だに武装勢力が力を持ち、政府との停戦が合意された後も地域ごとに存在する武装勢力同士が、時に政府を相手に権益を巡って衝突を繰り返している。
シャン州軍とは、ミャンマーに無数に存在する武装勢力のひとつ───厳密には南北にシャン州軍が存在する。知樹が指しているのは南シャン州軍である。
「あいつは爆発物を使った罠は作らない。昔、民間人を巻き込んだ件を深く悔いていた」
「その後悔が、今も続いていればな」
亮の嫌味とも
◆もはや、誰も信用できない───