静寂の中に、うめき声と自分の荒れた呼吸。
僅かに戻った冷静さが、彼女の口から呟きを漏らした。
「私、死んだの……?」
菅原文華にとって、色々なことがあり過ぎた。
身に覚えのない理由で身柄を狙われ、従兄弟が身代わりとなってリンチに遭い、理不尽に犯される恐怖に襲われ───
そして、車で突っ込んでくる奴に助けられた。
非現実が過ぎる。
「生きてるっすよ。間違いなく」
そう答えるのは、幕内知樹。
従兄弟の友人にして、後輩の想い人で───
文華が最も苦手とする男。
非現実は、現実にいる者の手によって払い除けられたのだ。
「あの下手くそめ。先輩。血、出てる」
「……え?」
「ほら、頬に。右の……もうちょい下、下」
指先に濡れる感触。
見れば、人差し指から血が滴っていた。
現実の証明。自分はさっきまで、命の危機に身を置いていたのだ。
「申し訳ないんすけど、俺ハンカチとか持ってないんで」
「あぁ、うん……」
呆然としながらも、鞄からハンカチを取り出し、傷口に押し当てる。
ピリリと痛みを感じる。
「ケーのやつ、かなりボコられてたんすけど、生きてるっすよ」
「うん……」
知樹は彼女の様子を見て、未だ混乱から立ち直れていないのだと察した。
座学で学んだ通りの状態だ。医療的な支援は必要だが、十分立ち直れる状態だ。
「なんで、そんなに冷静でいられるの?」
「ん?」
あまり頭が働いていないせいだろう。
普段なら絶対発しない言葉を口にしていた。
「だって、命の危機だったんだよ? それこそ、殺されてたっておかしくない……」
「そうっすね」
「……そういうところも」
意味のない問いだと、鈍った頭でも理解している。
それでも、問わずにはいられなかった。
「あなた、なんなの?」
お前は何者なんだ。
簡潔に言い換えれば、そういう質問だった。
「そうだな。言うなれば……」
少し考えるような素振りをしたのち、彼は笑顔で答えた。
「
「光の戦士……? ダークステート……?」
どこかで聞いたような単語。
思い出せない。しかし、あまり良い意味ではない記憶があった。
非日常的な事件に続き、意味のわからない肩書きの男。
これ以上、言葉を紡ぐ気力はなくなっていた。
だからこそ、聞こえてきたサイレンの音色には感謝してしまった。
◆ ◆ ◆
2021年5月17日
病院での診察・治療、警察の事情聴取。
非日常は続いたが、蛮行に巻き込まれるよりはずっとマシだ。
「ケーくん、大丈夫?」
一日明けたのち、文華は慶太との面会を許された。
幸いにも骨折は肋骨の一箇所で済んだ。内臓の損傷もない。
しばらく病院通いになるが、退院は近い。
「うん。幸いにもね……姉さんが無事そうでよかった」
「ありがとう。ケーくんと……幕内くんがいなかったら、多分ここにはいなかった」
「本当にね。あいつがいなかったら僕はもっと酷かったし、姉さんも……」
それは口にするべきではない言葉だ。
慶太は出し掛けた言葉を飲み込み、文華が差し入れたポテトチップスを受け取った。
「病院食に退屈してると思って」
「うん……母さんの奴を食べたことあったけど、当時よりはマシだね」
今度は文華が気を使う番だった。
会話の地雷が多くていちいち面倒くさい奴らである。
「そういえば、マックはどうなったの?」
「昨日、警察の人に連れられていってから連絡ないかな。連絡がないといえば……」
その時、病室のドアが叩かれた。
◆一難去って、不穏な影───
諸事情により3/29から4/28までの間週1回の更新となります。
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