2021年5月17日 23:34
日本
所属 なし
幕内知樹
目的地の倉庫はかつての部品工場ということもあり、そこそこの敷地があった。
外周には行き来を続ける不審な人間が徘徊し、駐車場には倉庫とは思えない量の車とバイク。
正門では警備員を気取ったチンピラがたむろし、通過する人や車に威圧的な視線を向ける。
双眼鏡で観察する限り、見えるだけで20人以上。
内部や死角を考えれば、倍以上いると見るべきだ。
これは単なるチンピラの溜まり場には見えない。
蘭走の関与は確信していたが、この数は組織単独の規模ではない。
警察でさえ、下手に近づこうとはしないだろう。
「DSめ……これほどのチンピラを集めたか」
肝心な部分で目が曇っている知樹は見当違いの黒幕に慄くと、双眼鏡をベルトに掛けた。
公園の大木から降りると、暗がりで化粧セットを開く。
自然界において、人間の素肌は異質な存在である。
生物的な光沢を持つ肌は僅かな光でも不自然に反射し、見るものに存在を確信させる。
だから忍ぶ者は、その肌を服で覆う。
では、布で覆えない部分は? 化粧で隠すのだ。
化粧セットには明度の違う二種類の黒と、
「威圧感重視でいくか……」
露出している素顔に、黒のドーランを
顔の出張った場所は暗い黒を重ね、下地が乾くと灰色で顔面に描く。
鏡を睨みながら化粧する姿は、まるで恋する少女のようだ。
暗い世界を映す鏡には、
人の認知機能はこれだけで「あれは人の顔ではない」と判断し、エラーを起こす。
この二種類のエラーは短時間の隙しか生まないかもしれない。
しかし、それで十分なのだ。フェイスペイントとはそういうものだ。
それに、素人にこの人相を正確に覚えろと言われてもまず不可能だ。
正体を隠す。どちらかといえばこちらが主目的なのだ。
「さて、やるか」
公園から抜け出すと、人目を避けて川に向けて移動する。
正規の門は最低二人が常駐している。
排除出来なくもないが、状況は多勢に無勢。
多人数に囲まれてしまえば、知樹とてどうしようもない。
ならば、目的地は駐車場だ。
普段ならば見通しの良い最も避けるべき場所だが、今はバンやトラックのような大きな遮蔽物が乱立している。
それに駐車場のみ照明が一部故障して暗闇が広い。
夜間に使うこともないと判断して、オーナーが維持費をケチっているのだろう。
川へ降りると、浅瀬と河原を進む。
この人工河川には目に見える生物というものはおらず、深い箇所でもせいぜい膝ほどの水深しかない。
前日に大雨でも降っていれば状況は変わったのだろうが、雨は一週間前に軽く降った程度。
歩く側からすれば整備され、安定した川だった。
当然監視するような設備もなく、到着は容易だった。
コンクリートで補強された岸壁を登り、駐車場を覆うフェンスに到着。
───やっぱ、補修とかしてねぇよなぁ。
暗い中の双眼鏡ですら、老朽化したフェンスの状態は想像出来た。
塗装が剥げて錆だらけの針金に、折れ曲がった支柱。
人が入れる程度に剥がされていた箇所もあった。
過去に度胸試しでもやっていた連中がいたのだろう。
先人達の作った道をくぐる。
駐車場。白線で区切られたその空間には、異様な秩序が存在していた。
あらゆる車両が線を無視して停車し、ゴミが散らかる無秩序。
しかし、この状況を作り出した人間達は門の隅に腰掛けてじっと待っていた。
その表情が鮮明に見えるほど近くはなかったが、知樹にはひとつ心当たりがあった。
───ご褒美を待つ犬……
舌を出して、主人が拳に包むジャーキーを今か今かと待つ犬。
彼らと違って、連中には可愛げさえなかった。
醜怪な、悍ましい獣。
───気色悪、カルトかよ。
話してもいなければ、近づいてもいない。
しかし本能が囁くのだ。
だからこそ一刻も早く、彼女を助けるべきだ。
大多数の脅威は門の周辺に集まっているが、全てではない。
少数ながら人の気配を感じた。
油断している現代人の察知はそう難しくない。
スニーカーでも足音を鳴らすし、イヤホンからは爆音が響いている。
スマートフォンをタップする音もする。気配のもとは山盛りだ。
地下足袋は
柔らかい材質で足音の原因となる振動が分散され、さらに
しかし、体捌きによって効果は大きく異なる。
静かな動きを心得ている者なら、集中していない限り足音を聞かれることはない。
時に物陰でやり過ごし、時にトラックの下に潜り。
他人を避けつつ、駐車場を横断する。
目的の倉庫に近づけば近づくほど、明かりが増えていく。
知樹の目前にあるバンは常時揺れて人の気配を発していたが、迂回すれば見通しが良く明るい空間に出てしまう。
ならば、危険の懐を進むのが一番だ。
屈強な体幹で中腰のまま、かつ気配を殺しながら揺れるバンに接近する。
サイドミラーに人影は認められない。
そもそも、何で揺れているのかさえ知樹にはわからない。
ただ慎重に、悟られないように体を運ぶ。
車内からは濃厚な人の気配。一人ではなく、恐らく二人。
喘ぎ声に近いものが漏れていた。
───マジでなにやってんだ、こいつら……?
覗くほどの興味はない。
僅かに感じた便臭に表情を歪ませると、不審なバンを通過した。
倉庫まであと一歩。しかし、問題がある。
辿り着いたとして、どうやって入るのか?
頭数を揃えて警備までさせているのだ。鍵がないとは考え難い。
地面を這って、縁石に身を隠し進む。
目に見える出入り口は非常灯を持つ勝手口。
扉に耳を当てる。空調か何かの駆動音と、静けさから来る耳鳴り。
人の気配はない。そう判断した知樹は鎧通を抜く。
ガラスとドアの窓枠の間に切っ先を突っ込み、てこの原理を用いて力をかける。
ミシミシ、ミシミシ。
磨りガラスに亀裂が走り、二度目でパカンと綺麗に割れた。
地面に落ちて音を立てないよう、役割を終えた板を静かに地面へ寝かせる。
あとは腕を突っ込んで内側から錠を開ければ、障害は何もない。
扉の先は、暗い穴。
決意を胸に、少年は闇の世界へと足を踏み入れた。
◆よい子はもちろん、わるい子もマネしちゃだめだぞ───